ライターを本格始動してからの暮らし

本業との兼務ライターの始まり


(引用:マーキャリー)

私は本業をクレーンオペレーターや重機を操縦して会社員として働いています。

コロナ渦で目に見えない感染症との葛藤があったりして、今までの様に普通にしてたら簡単に生活環境が失われてしまうと不安感を強く感じました。

一家の大黒柱として「自力で稼ぐスキル」を身につけたいと考え始めて時間がある時に本屋へ行きビジネス本を何冊も立ち読みをしました。

そこで出会ったのがスキマ時間を利用して好きな場所で作業ができるWEBライターという道でした。

兼業の日常

ライターを始める時に決めたことがAM4:00に執筆し始めて本業の出勤時間(毎日、時間変動)まで作業を行って通勤中には動画を見て情報を集めています。

休憩時間は画像選定・加工作業をして帰宅後に執筆を終わらせて画像を埋め込んで完了を目指す日々を送っています。

朝2h・夜3~4h=5~6hを執筆作業をできるように心がけています。
副業だから本腰入れてやってくれるのかな?とクライアントさんが不安に思われないようにスキマ時間を活用して常に学んでます。

残業続きで確かに辛いと思うこともありますが自分を成長させたくて始めたことですし、妻と子供達のために「パパは成長をやめない!」と心に秘めて家族のお陰で継続できてます。

進化を求める理由

貧しい環境で幼少期から育って周囲からも馬鹿にされ、兄弟は虐められて両親が病気で働くことのできない状況でした。

何の力を持たない子供にとって思春期は、凄い苦しかったです。

好きな子がいても諦めることしかできんし、けれど「野球が大好きで」これだけは曲げれなくて強い想いを中学1年生で新聞配達をアルバイトではなく、お手伝いとして働かせて欲しいと何度も頼みました。


雇用は中学生では絶対に無理ですし”生活保護受給者”は収入を得た分、減ってしまうというのも母から聞いていました。

なぜ、詳しかったかというと小学校4年生から体調を崩しやすい両親と兄弟達の為に振込みなどを任されていました。
今考えると小学生に通帳を預ける親ってヤバくない?って大人になってから思います。

中学生から高校生まで「朝刊の新聞配達⇒朝練⇒学校⇒部活」という三足の草鞋でした。

その生活は本当に大変でしたし高校卒業後は、家を出なければいけない環境でした。


引用:エアコンのない部屋でけいれん…猛暑と戦う生活保護の子どもたち

故郷が好きでも生活保護を受けてる世帯では、車を保有することもできませんし、保護費も減るので家族と自身の将来を考えて地元を離れる決断を16歳で決めていました。

電気・水道・ガスが未払いで止まり過酷な状況で育ってきて、自立性をはぐくまれ健康が一番ですし底辺を経験したのだから愛する妻と子供たちには「お金」で苦労だけは、かけたくないという想いが人一倍強いです。

その経験が私の糧でもあり、過去の自分自身を超える努力ができればライターとして成長できるのはないかと勝手に思っています。

どんなライターを目指すのか


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まだまだ、へっぽこなライターですけど世の中には人に話せず苦しんでいる方々がたくさんいます。

私は中学生の時に選抜選手の声がかかりましたが家庭の事情で断念しました。
なぜかと言うと生活保護世帯は車を保有することができないので、遠征が困難だったからです。

自分のチームだとPTAの車に乗り合わせで可能でしたが選抜メンバーとなると単体になるので無理でした。

どんなに可能性があって夢に向かって頑張っていても最終的には「金がモノを言うんだ」と当時の私は絶望しました。

高校受験時も先生に悩みある?と聞かれて生活保護受給者の家庭は高校へ行ってはいけないんですか?周囲から聞こえてくるコソコソ話しが思春期の私の逆鱗に毎日、触れそうでした。

先生からは「志高く、優しい心をもった人」それは間違いなくアナタだし周りが何て言おうが教育者として全力で応援するし将来、アナタが抱える悔しさを苦しんでる次世代の助けになる人になって欲しいと涙を流しながらこたえてくれました。

その言葉を私は「文字で伝えられる人」になりたいと考えています。



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