成功とは「米を炊く」ということだ。
今朝ふと、考えてみた。
「為せば成る。為さねば成らぬ何事も」
までの文を長年勘違いしていたようで(そもそも文章自体そこまでしか知らなかったのもあるが)「行動すれば成功する。成功しなきゃいけないんや!」みたいな、筆者の感情がこもった文だと思っていたのだが、よくよく調べてみると「人が何かを成し遂げようという 意志をもって行動すれば、何事も達成に向かうのである。 ただ待っていて、何も行動を起こさな ければ、よい結果には結びつかない。」という意味だったのを知り、驚きと共にやはり昔から物事の本質は変わってないんだな。という感想も湧いてきた。
そして、「成功するための行動」を「米を炊く」という行動に置き換えてみたらわかりやすくなったので書き留めようとおもう。
※ちなみにここにおける「成功」とは社会的成功、端的に言うと金銭的にリッチになることという意味でご理解ください。
成功と努力
成功するためには努力は必要か?
これはもちろんYESだと思う。
ただ、いろんな人が言っているように努力そのものに価値は無く、その結果発生した利に対して価値がつく。
「お米を炊く」を成功に見立てた場合のゴール(成功)とは単純に「ご飯が炊き上がる」だ。
さらに付け加えると、「美味しいご飯」が炊き上がるとなおいいだろう。
そしてご飯が炊けるまでに行われるプロセスを「行動」とか「努力」と他人は呼ぶ。
例えば炊飯器を用意する、美味しいお米の炊き方をYouTube等で調べる、お米を買ってくるといったプロセス自体に価値はない。お母さんに対してそのプロセスごと感謝をする人間は極めて稀だ。
しかし、ご飯が炊き上がるまでには様々なプロセスをこなしていく必要がある。つまり、成功している人は間違いなく「行動」していて、それを他人が見たり聞いたりした場合に「努力」として変換される。
宝くじも買わないと当たらない。
●成功するための行動(努力)はする必要がある。
なにをすればいいかわからない。
みんなお米の炊き方は知っていても、成功の掴み方は知らない。教科書もなければ正解もない。なにを持って成功と呼ぶのかも人によって違う。こんなあやふやなゴールでは辿り着けたかどうかすら判断できないのだ。
なにをすれば成功できるかわからないという人のほとんどが、何を持って成功と呼ぶのかが定まっていない。
「お腹が減ったから何か食べたい」けど、何を食べたらいいか、なにが食べたいのかが決まっていないのと同じ。
「美味しいお米が食べたい」とゴールを決めてはじめて行動の中身が決定する。
なにを食べたいのか、食べればいいのか自分で決められない人たちは、出てくる料理を食べるしかない。しかし、大勢の人たちは出された料理に文句をいいながら食べ続ける。それもよく知らないシェフの作る、よく知らない料理を何十年も食べ続ける。
他人の作ったモノを食べ続けるより、自分でなにを食べるか決めたほうが幸福度や満足度も上がるだろう。
●まずは〇〇を食べたいと決めてみる。
準備にばかり時間をかけるな
例えば、成功する過程で起業しようとするとみんなまず「調査」に入る。準備にとりかかるのだ。もちろんこれもひとつのアクションであることに変わりはないし、調査も大切だ。ただ、日本人サラリーマンの大半はその準備で一生を終える。そういう生き物なのかもしれない。
これでは「美味しいお米がたべたい!」と決定したはいいものの、YouTubeで「お米 美味しい 炊き方」と調べて何本も動画を見て、よし、これで炊き方はわかったナリ。あとはだれかがお米を持ってきてくれるのを待つだけナリ。とソファでゴロゴロしているのと変わらない。
もしくは「美味しいお米の炊き方」などという参考書を数冊買ってきて数ページずつだけ読み、ふざけた顔をしてパンを食べながら寝転がっているのとなんら変わりない。
「成功する」という目的になると、途端に準備期間で一生を終えるサラリーマンが激増する。調べて満足してソファで寝転がってダラダラしてしまう。
実際にお米を買ってきたり、炊飯器がなければ鍋で炊いてみて、失敗したりを繰り返して最終的に「美味しいご飯」が炊ければいいのだ。
なぜ行動するまでに至らないのか?
これには様々な要因が考えられるが恐らく異常なまでのリスクへの恐れや、知識がないが故に起業に対しギャンブル性を感じてしまうといったことが大きな要因になるのだろう。もちろん成功するためには様々な道はあるのだが。
各家庭や教育機関における教育課程での刷り込みが本質的な問題なのだろうが、他を変えるより自分。自身のマインドセットや考え方ひとつでこのハードルは下げられる。
準備も大切だが、それよりもなんでもいいから小さく始めてみる。これのほうが本を何冊も読むよりも数倍、あるいは数十倍のスピードで学習できる。
●知識や準備より行動のほうがはるかに大切だ。
なにから始めればいい?
目標が「美味しいご飯を炊く」に決まったら
(もし手持ちの道具や食材がなにもなかったら)
なにから始めるだろう?
炊き方を本で調べる?YouTubeで炊き方を見る?
こういう手順を踏む方も一定数いるかもしれないが、ほとんどの方は「炊飯器を買ってくる」もしくは「お米を買ってくる」をまずやると思う。これは必要な道具や食材の最低限の知識があるからだ。
そしてそれらを買ってきたら次のステップ。
炊飯器の使い方やお米の洗い方、米に対する水の分量を計るなどに移る。
これを成功に当てはめてみても同じことが言える。
ひとつひとつのステップを明確にしできることから実行に移す。
初動のコツはなるべく簡単にシンプルになるまで細分化し行動を明確にしていくことだ。
ぼくのオススメはまず事業計画書を書いてみること。みんなビジネスプランのひとつやふたつ考えたことはあると思う。それを実際に計画書に文字として言語化してみる。
そしてできればそれを他人に評価してもらう。
銀行や公庫など事業に対して投資する金融機関がいいだろう。
べつにお金を借りにいけと言っているワケではない。
自分の書いた計画書をだれか第三者に評価してもらうために金融機関を使う。
そして恐らく「この計画ではお金を貸すことはできません。」と酷評されるだろう。
なぜ自傷行為ともとれるような、人に酷評されるような行為をする必要があるのか?
それは金融機関の職員が「投資に対するある一定の基準とそれに準ずる知識」を持っているからだ。少なくともビジネスを全くしたことがない人よりはいいアドバイスをくれる可能性がある。
アドバイスをしてくれなかったとしても、「だれかに評価してもらい、それを改善する」という行為はムダにはならない。
事業計画書のテンプレートもネットで調べればすぐ出てくる。
成功するためにはお米を炊くよりかは少しやることが多いが、それでもひとつひとつのプロセスを細分化すれば始めの一歩はどれもシンプルで簡単な場合が多い。
●お米を実際に買いに行ってみよう。
兵站を確保する
目標を決め、行動に移して達成するまでの期間が長期間化する場合、なにも食べないわけにはいかない。
たとえば起業すると決め、実際に準備を進めている間にも生活費が必要だ。すでに潤沢な資産をお持ちでない限りその間も仕事をし、生活費を賄う必要がある。
古くから、戦時における兵隊のためのご飯や物資を確保することの重要性はよく語られている。兵站(へいたん)の確保だ。
現代において最重要な兵站は間違いなくお金だ。
お金がないと食べられないし眠れないし着れない。
無人島で自給自足の生活でもしない限り、基本的に息をするだけでお金がかかる。
そしてお金を稼ぐための手段としてぼくたちがまず思いつくものが「労働」だ。
自分の時間や労働力を切り売りし、お金にかえる手段。
他にも手段は様々あるだろうが、わかりやすくするために「労働」することを前提として考える。
まず自分の食い扶持をみつける。なんでもいい。とにかく食べるためのライスワークをみつける。それを続けながらでも起業の準備はできる。
準備が整ったら小さく始める。そしてそれをスケールアップし、軌道に乗ったらライスワークをそちらに移行する。そしてまたスケールアップするもよし、別のなにかを始めるもよし。
そうして収入源を増やしたり事業を成長させるなどし、資金を増やしていく。
派手さもなく地味で味気ないかもしれないが、このやり方なら負けない。という戦法を使う。最終的にリッチになれればいいのだ。
最終的に美味しいご飯が食べられればそれでいいのだ。
●体力のあるうちにたくさん働き、たくさん考える。蓄えるのもひとつの手だ。
お金の使い方を学ぼう
お米を上手に炊けるようになるためには、失敗の体験が重要になる。「こうするとダメになる」方法を知るということだ。
これをお金に置き換えても同じことが言える。
僕たちは昔からお金の使い方を教わってこなかった。稼ぎ方は一般的なサラリーマン家庭なら「いい会社」に入るのがベストだと教わる。
だが使い方ときたら教わったためしがない。
「貯金をしておけ」くらいしか親も先生たちも言えないのだ。どうしてか?知識が足りないからだ。リテラシーが低いからだ。時代が貯金を後押ししていた背景ももちろんある。しかしそれにしてもただ漠然と「貯金」だけを薦めるのは乱暴だ。
お金も使い方を勉強しないと詐欺やボッタクリ、無駄遣いをしてしまう。たくさん我慢して長い間貯金して、その貯まったお金で無駄遣いをしていたら悲惨だろう。
お金は使おう。どうすればお金が回るのか。
想像をめぐらせながら使おう。人のために使おう。自分のために使おう。
●使ってみないと上手く使えるようにはならないものだ。多少まずくても味見してみる。
米を美味しく食べよう
最後に今のぼくにとっての成功とは、1日の終わりに家族とお喋りしながら美味しい(豪華である必要はない)夜ご飯を食べることだ。
そしてみんないっしょに布団で眠る。
こんな幸せは僕の人生で他に類をみない。
それまでの人生もそれなりに幸せで、充実してきたが、「家族」を持った今の幸せに比べてしまうとちっぽけだったと感じてしまう。
そして家族や、特に今はまだ小さい我が子の可能性を広げるためにもぼくは経済的に自由になる必要がある。
選択・決定・実行できる恵まれた環境でなにもしないのは罪だ。
豊かな優しい世界にするために、システムを理解しルールを使って自由を謳歌しよう。
炊けたごはんを美味しいと思える心を持とう。
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