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徳を積むってはなし
最近YouTubeで大好きな三木大雲という住職さんのお話を聞く機会が多くとてもいい気分になったので言語化して残しておきたい。
まずこの動画↓
前半から見たほうがわかりやすいのでオススメだけど後半だけでも十分人生得すると思います🌱
ここからはほぼ自分用のリマインダー↓
これを見て「徳を積む」というキーワードがとても気になり、自分は?という疑問から、親という立場になってからの気づきがあったのでつらつら書いておく。
昔から多分自分の親の影響(親は法華経を毎日あげていた程度の仏教徒)で「徳を積む」という概念は比較的身近なものだった。
それもあってなのかたとえば少年時代のぼくはふと家までの帰路で「ゴミを拾って帰ってみよう。」と思いつき、実際に持って帰れるギリギリの量を拾いあつめ、それを見つけてくれた親に褒めてもらうというような体験がちらほら記憶に残っている。
特に親から「徳を積みなさい」というような教育を受けたという記憶はないのだが、おそらく親の言動からそういうなにか「気づき」のようなものを受け取っていたのかもしれない。
そして上の動画を見て、その拾ったゴミこそが「徳」なのである。ということも初めて言葉として理解(納得?)した。
そして徳を積むという行いにはボーナスポイントをゲットできるかもしれないもの2つがあって、それが「許す」ことと、「陰徳を積む」ということなのだそうだ。
言葉通りだし上の動画で詳しく説明されているので意味は省略するが、このボーナスポイントの話を聞いていてまず自分の最近の行いを見直したと同時に恥じた。反省。
恥じたと同時に親になった今、もしかしたら自分はものすごいボーナスステージにいるのかもしれない。と気づいた。
うちには3歳と0歳の怪獣がいる。
現在自分が育休中で妻だけパートで働いている。そして昨日妻が職場の飲み会で一日中家にいなかった為、ワンオペで2人の怪獣と戦っていた。そんな気分だった。
まず0歳の怪獣には言葉が通じない。
そしてニコニコ笑っていたかと思ったら次の瞬間泣いている。メンヘラである。
抱いても置いてもエサ(ミルク)をあげても気分が悪いと泣く。それも大音量で。
さらに3歳の怪獣が帰宅するとさらに賑やか(比喩)になる。
昨日はほとほと疲れはてた。
同時に、ずーーーーーーーっと怒りっぱなしだったなと夜寝る前にものすごく反省した。
3歳の怪獣には言葉が通じるので少し言いすぎてしまったり、0歳の怪獣には泣くしか表現する術がないのに大人気なくイライラしてしまったり。
本当にここ半年で1番反省した。
しかし今日1人になる時間ができて、大好きな三木大雲先生の動画を漁っていたらあの動画に出会えた。
僕の役目は、「許す」こと。
そして、言葉の通じない我が子を無償の愛で包むこと。
今の無償の愛こそ最大の「陰徳」だと思う。
ぼくは二十歳ぐらいから最高の親孝行をしたくて試行錯誤してきた。そしてたどり着いた答えが「産んでくれてありがとう」と心の底から親に伝えること。これをテーマにして生きている。
しかし、親になった今思うことは、本当に、心の底から、「健康に生まれてきてくれてありがとう。それだけで十分です。」という感情だけだ。親孝行してくれなんて微塵も思わない。
だからおそらく僕のたどり着いた答えは正しかったんだろう。
話は逸れたが、我が子に親にしてもらった現在ぼくは徳を積むための人生最上のボーナスステージにいる。
こんなに理不尽でワガママな怪獣たちを相手にできている現在が、ぼくの人生史上最高の瞬間なのだろう。
あの動画に出会えてよかった。
もっと許せるようになろう。
もっと愛を伝えよう。
キミたちの生まれてきた世界はこんなに素晴らしく美しい世界なんだよ。といつか伝えられるように。