「容姿端麗」とともに隠されたもの
こんな記事があった。
宝塚音楽学校の募集要項から「容姿端麗」の文言が削除され、「心身ともに健康」の文言が加えられた。
「時代の変化を踏まえて」のことらしい。
もちろん、これはこれで間違ってはいない。
しかし、もし2人の成績が甲乙付け難い時に、容姿端麗だが心身ともに健康とは言えない人と、容姿端麗ではないが心身ともに健康な人と、果たして本当に後者が選ばれるのだろうか。
「人を見て、容姿端麗と思うその価値観が間違っている」と言われれば、そうかもしれない。
でも、そんなに簡単に価値観を変えられるものなのだろうか。
宝塚音楽学校の試験官は、みんなこれまでの価値観を一掃できているのだろうか。
さらには、宝塚歌劇を観るファンも、もしこれまでの価値観に照らし合わせれば容姿端麗ではない人が舞台に現れたって、同じように楽しめるのだろうか。
僕は以前の会社で、中途採用の業務に関わっていた。
例外はあるが、原則として求人広告には年齢制限や性別の制限は書くことができない。
採用、不採用にあたって年齢や性別を理由にしては駄目ですよと言うことだろう。
でも、いくら国が駄目ですよと言っても、企業にも事情がある。
採用する方としては、今回は若い人が欲しいなあとか、女性を採用したいなあと考えることがあるのだ。
ただ、求人広告を出して応募があると、ひと通り会わざるをえない。
年齢を見て、この人は無理だなあと思いながらも、形だけの面接をする。
相手は、こちらの事情なんてわからないから、何とか採用されようと必死で受け答えをする。
お互いに時間の無駄だ。
たとえ不採用でも、企業はその理由を知らせる義務はない。
本人にとっては、まさか年齢で不採用になったとはわからないわけだ。
これは、性別においても同じことが言える。
だから、企業としては、求人広告を出す時に、違反にならない程度に、思わせぶりな言葉を入れる。
「若い人が多数働いています」
「主婦に人気の職場です」
「第二の人生に最適」
要するに、空気を読んで応募してくださいよと言うわけだ。
もし本気でこんな差別をなくしていくのなら、障害者雇用を企業に義務付けているように、年齢別、男女別に、それぞれ一定の割合の雇用を義務付けていくしかないのではないか。
あるいは、不採用の際に、その理由を本人に告げることを義務付けるか。
ただ、その場合には、そこそこの割合でトラブルも予想される。
ただ、「容姿端麗」は難しい。
容姿端麗でない人を何%採用しなさいとは言えないし、また、チェックをして違反しているともいないとも判断が難しい。
容姿で人を判断することは間違っている。
しかし、世の中から「容姿端麗」と言う価値基準の無くなることはないだろう。
アイドルとして活躍する男女には、容姿端麗が求められる。
どんなに、あの人は内面も美しいと言っても、それはあくまでも「内面も」に過ぎない。
恐らく、ビジネスの場でも、同じ能力なら容姿端麗が好まれるに決まっている。
女子アナだって、そうとは言わないだろうが、容姿端麗が暗黙の条件になっているのは見ていてわかる。
わかると言うお前の価値観がおかしいなどと言わないで欲しい。
恐らく、宝塚音楽学校の本音も「心身ともに健康かつ、容姿端麗な人」だろう。
ただ、そうは言えないので、応募する方はどうか察してくださいねと言うことだ。
どうも、昨今のいろいろな基準、基準の書き換えが、臭いものに蓋になっているような気がする。
それよりも、早く国会議員には、「清廉潔白」の条件をつけるべきだ。