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ひとつくらいは変わるものを
みなさん、昨日の記者会見で寝不足の方も多いのでは。
高校三年生の方は、ちょうど学年末試験、つまりは卒業試験の頃ではないだろうか。、
僕が高三の時には、この時期にあの三菱銀行人質事件が発生した。
試験勉強そっちのけでテレビに釘付けになり、みんな寝不足のまま試験を受けていた。
「せんせー、試験、明日にしてーな」
と頼んでも、もちろん聞いてもらえなかった。
昨日の会見、僕は、「一致、不一致」で揉めているあたりで、面倒くさくなって見るのをやめた。
興味は、途中から、ことの真相よりも、「この聞く方も答える方もグダグダな会見、いつだれがどうやって終わらせるんや」、そちらに移っていた。
朝テレビをつけると、さすがに終わっていたけれども、心のどこかに「まだ、やってたら、面白いなあ」、そんな自分がいた。
この問題、あとは第三者委員会の結果を待つだけということになるだろうけれども、これをきっかけに各社「女子アナ」をもう一度考えてみてはどうだろう。
つまり、一社員である「女子アナ」の「女子」を売り物にするような番組の構成のことだ。
また、「女子アナ」だけでなく、テレビ局のアナウンサーの採用と、そのありかたそのものも考えなおしてみてはどうだろう。
そもそも、漢字が読めない、ニュースもまともに読めない人をアナウンサーとして採用しているところから、間違っていると思う。
それに、恐らく容姿は問わないことになっているんだろうけれども、誰が見たって、最初か最後の段階で、容姿で振り分けられているのは明らかだ。
もちろん、需要があるから供給もあるのだけれども、なかには、応えなくていい、応えるべきではない需要もあるのだ。
恐らく、今回の問題は、結局は大きくは何も変わらずに過ぎてしまうのだろう。
フジが今、いちばん考えているのは、何よりも、スポンサーの振り上げた手の降ろしどころに違いない。
そのうちに、CMも元にもどり、何年かすれば、あんなこともあったねーと、昔語りになるのだ。
ひととき盛り上がりはしても、何も変わらないこの国で、ひとつくらいは、あれをキッカケに変わったねーと言われるものもあっていいのではと思う。
まあ、「女子アナ」って言ってる時点でダメなんだけれども、まだまだ目に耳にする。