農業で知る命のシステム

おそらく記憶のある範囲では、田んぼでの作業をするのは初めてのことだったと思います。

この度、家内に誘われて山形まで足を運び、自然栽培農家の中川吉右衛門さんの田圃で農作業(今回は田植え直後の水田で雑草の一種「クログワイ」を取る作業)に携わらせていただきました。

吉右衛門さんによると、裸足で田圃に一歩足を踏み入れた瞬間、ほぼみんな笑顔になると聞きましたが、私も御多分に洩れずそうでした。田圃の水も土も思いのほか温かく、懐かしい土の感覚に思わず笑みがこぼれました。

最初はどこに重心を持っていくのがいいのかわからず、よろけながらの作業をしていましたが、全身を使った作業を繰り返していくうちに、足をつま先から入れてつま先から出すコツが掴めてきました。

農作業中はいろいろなことが新鮮で驚きの連続でしたが、一番の驚きはお腹の調子でした。

私はかれこれ15年以上前に大腸を全摘しており、小腸の末端(回腸)を袋状にした「パウチ」と呼ばれる部分と肛門をつなげる手術を受けています。パウチは便を溜める袋とはいえ、大腸の便を溜める能力に比べると雲泥の差があり、どうしても短時間で便意を催していまいます。特に食後にはすぐに便意を催すため、食後は直ちにトイレに行くことが常でした。

今回田圃に入る前に、吉右衛門さんの田圃で採れたお米を使った大きなおむすびを二個食べました。そのあとトイレに一度も行かずに田圃に入りましたが、不思議なことに全く便意を催さないどころか、お腹がしっくりくるというか、安定感をしっかりと感じながら農作業をしていたことに気がついたのです。

それは何がそうさせたのか全く自分でも確信を持って答えることはできないのですが、おそらく自分の感覚では、微生物(ここでは腸内細菌)の働きが普段とは少し違っていたように思います。

吉右衛門さんのお米がそうさせたのか。おむすびの握り方がそうさせたのか、はたまた田圃の土壌菌の作用なのか、あるいは全身を使う農作業がそうさせたのか。私には全くわかりませんが、私の感覚としては何らかの形で微生物同士がコミュニケーションをしてくれた結果として腸内細菌の働きにも影響が及んだのではないかと妄想していました。

夜のフリートークでは吉右衛門さん、宮島先生、小関先生、伊藤雄馬先生の4人の興味深いお話を聞くことができ、非常に痺れる内容に感動を覚えました。

中でも特に印象的だったのが、吉右衛門さんの仰る言葉です。

『「足りない」と思っているから右往左往してしまう。まずは「全て足りている」ことに「気づく」こと。』

つまり「土に栄養が「足りない」と思うから肥料を与える。」
という発想から
「全てはここに「有る」」
ということに気づくことが大切。
それに気づくとすべてはそのように回り出すというのです。

おそらく医療についても同じことが言えるでしょう。
「〜が足りない。だから足しましょう」
「〜が悪い。だからこれを飲まないと〜という最悪のことが起こるかも」
でもこの発想が、枯渇感を強化し、薬やサプリメントに対する依存心を生むことになってしまわないか。

我々医療者側も発想の転換が必要な時期が来ているのかも知れません。


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