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10年前の浪人

浪人するか迷ったあの時

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10年前、私は初めての大学受験を経験し、すべての大学から不合格通知を受け取った。

思い返せば現役時代、将来についてちゃんと自分と向き合って大学受験を決意したわけではなかったように思う。
自分の意思が分からないまま周りに流されて受験し、勉強にも身が入らず、実力もないのに周りの人間と同じようなレベルのところを受けて、見事に散った。

今、社会人になり、自分でお金を稼ぐようになって、親には申し訳ないことをしたとつくづく思う。

お金を稼ぐことがどれだけ大変か。

受験をした人なら知っていると思うが、受験は1校3,5000円も受験料がかかる。10校受けたとしたら35万円かかるのだ。

特に私の家庭は裕福ではなく、しかも下に2人も弟妹いた。

35万円は大金だ。
毎日厳しい社会の現実とノルマに向き合って初めてもらえるお金に対して、自分は上に書いたようななんとなくで中途半端な努力で受験に挑み、情けなくも敗れ去った。自分の結果に対する情けなさよりも、全力で挑めなかったことに対する恥ずかしさがずっと勝った。

これを読んでいる人の中には、今後就職するか、秋の専門学校を受験するか、あるいは浪人を決意したかという人がたくさんいると思う。

わたしもそういう決断をした一人だ。気持ちはよくわかる。

私が浪人するか、就職をするか、どうしたらいいか迷っているとき、父親が言った言葉を私は今でも覚えている。

一度目指したものなら、もう一回頑張ってみたらいいんじゃないか

私はこの言葉に胸を刺されたような感覚を覚えた。自分が必死に働いて稼いだお金を無駄にした人に対して、もう一度やってみろと言う父親に感謝した。ただ1度目指したからという理由だけで説得する父親のその度量に。

この時私は親という生き物は偉大なものなんだと知った。

浪人生活

浪人生活は賢者を育てる。

浪人生活の感覚を一言でいうと
人生が停止している
と表せると思う。

浪人生はこの感覚と1年間付き合っていくことになる。

周りが大学生活を謳歌する、あるいは社会人として社会にしっかりと貢献していく様を見ながら、自分と向き合い、見つめなおし、自分の情けなさを自覚しながら受験勉強に励まなければならない。

1年という時間は終わってみればあっという間だ。しかし、そのさなかはとても長く感じる。

全く思った通りに進まない計画と、全く思った通りに努力しない自分に悶々としながら、どうしようもない感情に襲われる日もたくさんあった。

一度失敗できない場面で全部落ちた経験があると、人生どうにかなるもんだという幻想は幻想であることに気が付く。

模試を受けるたびに猛烈な不安に襲われる日々を過ごし、勉強が手につかなくなり、人生がどうのこうのと言うよくわからない啓発本に手を出したり、息抜きとか言ってゲームセンターにもいっても、勉強していない時間は等しく確実に過ぎていく。不安はむしろ積み増しされる。

この現実とどれだけ向き合って勉強できるかで結果は大きく変わる。

そんな気持ちや現実と向き合いながら、自分の不甲斐なさを自覚していく中で、それでも自分なりに必死でやっていくしかない。

そうやっていると、次第に未熟なりに立てたスケジュールが軌道に乗ってくるようになるもので、成績も着実に伸びていった。

成績が目標まで伸びきったのか分からない中で迎えた受験当日。

本番に手ごたえを感じていたものの、合格に絶対の自信があったわけではなかった。

そして実際、志望校からは不合格通知を受け取った。

そのほかにもずいぶんと落ちた。

1年前と同じように、たくさんの不合格通知を見て、何とも言えない気持ちになったのをよく覚えている。

どうにかなると根拠のない安心感の中でどうにもならなかった1年前を思い出し、猛烈な不安に駆られたのをよく覚えている。

最後の2校の合格発表で私は初めて合格の2文字を見た。

単純に喜びや安心といった感情ではなく、色々な気持ちが一気に押し寄せ、それらがごちゃ混ぜになった気持ちになった。

応援してくれた親や兄弟や親戚、友人に結果を報告し、自分の結果にこんなにも喜んでくれる人がいたんだなと、人生の時間が再び進みだした気もした。これからやっとまた進めるんだと。

これから浪人する方々へ

後になって振り返れば、大学受験は人生の通過点もいいところで、大学やその後に学んだこと、その後に成し遂げたことに比べれば本当に些細なイベントだったと思う。

浪人しないで済むのであれば、浪人しない方が良いということは絶対に間違いのない事実だ。

いってみれば、浪人はこれからただ受験という試験を受けるためだけに1年間を過ごすというだけのことで、客観的に見ればそんなことのためだけに10代の貴重な1年間を使うというのは、中々理解しがたいものだと思う。それくらい10代という時間は貴重なのだ。

しかし、私は大学受験のために浪人した1年があったからこそ、大学での学びが大きくなり、今では世界的なエリートと呼ばれる人達と世の中を良くしようと一緒に切磋琢磨できているのだと思う。

これから浪人して1年間を過ごす方々においては、未熟ながらに自分と向き合い、うまくいかない中で試行錯誤を重ね、目標に向かって直向きに過ごす毎日は必ず人生の糧になると信じて頑張ってほしい。

そうすれば1年後、学力だけではなく、人間としても大きく成長した自分に会えるはずだと確信している。

この1年は、身が入る時期、身が入らない時期、様々な自分に出会うと思う。それくらい受験勉強という同じことだけを坦々とやり続けるというのは難しいことなのである。それを知る1年でもある。

どんな自分に出会っても、目標と自分を見失わずに自分なりに精いっぱい頑張っていけることを切に願っています。

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