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「信仰」と「宗教」の違い、あと「真の科学」と「一般科学」(by分身主義)


農民芸術概論



日本人のほとんどの人がそうであるように、ジジイは特定の「宗教」に対する「信仰」というものを持たずに生きてきました。
だけど、noteに参加されている方の中には、「信仰」に身を捧げている方、あるいは「信仰」に近い「霊的」なものに導かれて生きている方は多くいらっしゃるように感じます。

でも、その方たちの中でも、「信仰」と「宗教」の違いについて考えたことのある方はごく少数ではないでしょうか!?

ジジイは常々、「真の科学」と「一般的な科学」とを見分ける目を持たなくてはいけないと言ってきました。(『📌真の科学とは何か?』)

最近、これはまさに、「信仰」と「宗教」の関係に類似していることに気づきました。

僕たちは「科学」という言葉を何気なく使っていますが、この一般的に使っている「科学」と、「真の科学」が違うということを考えたことがある方もごく少数だと思います。

でも世界中から争いをなくし、みんなが心を一つにしてより良い生き方ができるようになるためには、これらの違いは、絶対にはっきりさせておかなければならないことです。



北海道のクリスチャン Kenさんという我らが誇るべき分身さんは、次のように仰っています。

「宗教」と「信仰」の違いを明確にしておくことはとても重要です。なぜなら、宗教は人間を束縛して人間に不利益を与えるものですが、信仰は人間を自由にして人間に益を与えるものだからです。
宗教と信仰の違いをごく簡単に言えば、宗教は人間から来るものですが、信仰は神から来るものです。
宗教とは、神仏の思想を背景に置きながらも、それを人間の都合の良いように利用し、人間の「教祖」をたてまつって、そこに人間を誘い込んで利益共同体を形成し、その共同体の(さらに言えば教祖の)利潤を最大目的として活動することを言います。つまり「人間の命令を教え込まれている」わけです。


「共同体の(さらに言えば教祖の)利潤を最大目的として活動する」というのは、宗教に限らず、スピリチュアル的なものでも同じです。この有効な見分け方は、そこにお金が関与しているかどうかです。

高額なお金を要求する「宗教」とか「スピリチュアル的なもの」などは、騙されていると思って、まず間違いないでしょう。
それらは本来はお金とは無縁だし、むしろお金を遠ざけなければいけないもののはずです。

こんなところにも、ジジイがいつも言う、お金が作る負の側面である「詐欺的文化」が根付いてしまっているのです。

また興奮してちょっと話が脱線してしまいました。ジジイの悪い癖です。「信仰」と「宗教」の違いについての話に戻ります。



松島 修さんという我らが誇るべき分身さんも、「信仰」と「宗教」を正しく見分ける必要がある、と仰っています。

「信仰」とは神を信頼することであり、目に見えない神を信じ、希望や期待をすることであり、親しく神と交わることです。信仰は神と繋がることと言っても良いでしょう。神は信頼されることを喜びます。

彼は、この「信仰」に対して、「宗教」は「信仰の偽物である」とまで言います。

一方、「宗教」という言葉は、いろいろな定義方法があると思いますが、ここでは「純粋な信仰とは違い、神が不在のまま、ある行事・儀式・教えだけが先行し、形式化してしまうこと」と定義します。
その本質は、「神抜きで、つまり神の恵みや助けなしに、人の力で神の国を実践しようとすること」と言えます。
つまり、宗教は信仰によく似た偽物です。
(中略)
宗教とは、神との人格的(神格的)な交わりを無いままに生み出される自己中心な信念であり、信仰とは、神との人格的(神格的)な交わりによって得られる確信です。


「信仰の偽物である」と言い切るのは反発を招きかねないと、他人事ながらちょっとビビりますが、ジジイだって、人間の利益や欲のために利用している科学や医学のことを「似非(えせ)科学」と言っているわけですから、同じようなものです。(『📌真の科学とは何か?』)


彼らの言葉を、わかりやすくまとめたものが下の表の黒字部分です。下の表の中の黒字で表した言葉を赤字に置き換えると、分身主義でジジイの言っていることにそれぞれ対応しているとわかっていただけると思います。

黒字赤字

さて、最後になりましたが、ネットサーフィンをしていて見つけた田中 哲朗さんという分身さんの文章を紹介させていただきます。ジジイが「宗教」についてずっと悩んでいた疑問を、この文章は、霧を晴らすように一掃してくださいました。

この方の人生は我々が知っておかなければならないものです。普通の人には、到底まねできない超絶な生き方をされてきた、我らが分身さんのことを知ってください。そしてこの方が流してきた汗や涙や血を、無駄にしてはいけません。もう二度と、誰も悲しみの涙や血を流さない世界にしなければいけません!

彼の考え方と行動は、分身主義に至ったジジイの考え方や行動と少し違います。でもこのジジイの考え方や行動は、ジジイの《環境》(遺伝も環境ですよ)がジジイに取らせている思考と行動です。

その意味で、まさに彼は我々の《環境》ではできないことを、我々に代わって、彼の《環境》で生きてくださっている分身さんです。
そして、誰であっても、彼のことを我々の分身として誇りに思うことを忘れてはいけません。(『📌分身主義とは』)

下の二つは動画で見れます。

オーストラリア国営放送SBSがドキュメンタリー映画「田中さんはラジオ体操をしない」を放映【1:14:53】(最後のギター一本で歌われる歌は感動ものです)

嫌な目にあわせておいて「どっきりカメラでした」【7:53】(現代社会のひずみを訴えてくださった優しさにあふれた動画です)


ご本人様と連絡が取れ、許可をくださったので全文を掲載させていただきます。

私は「信仰」という言葉と「宗教」という言葉を区別して使っています。
信仰は神や仏など人間を越える存在を信じ、敬い恐れる心。その前で他の人とともに幸せでありたいと願う心だと考えます。
宗教はそれらの考え方を持った人の集まり、組織だと考えます。
ところが、宗教活動は時として本来の信仰する心とは矛盾する行動を取ってしまいます。
 
指導者の考えや言葉を神や仏のものとして扱い、多くの場合排他的になります。
「人々を救済するためにはこの宗教を広めることこそが唯一の方法である」として。
人間の幸せの為に始められた当初の目的が、その団体の勢力拡大が第一の目的になってしまいます。
宗教活動に熱中する人の中には、その団体内での地位や名誉を得ることに快感を覚える人が存在します。
この人達は他の団体との争いに情熱を燃やし、その過程において、人を陥れたり、憎んだり、殺したりすることすらあります。
他の人を不幸にする行動を取ります。
これは信仰する心とは相反するものです。
信仰が深いことと、宗教活動に熱中することは必ずしも同じではないのです。
宗教のこのような面の存在を多くの人が認識する事によって、宗教がこのような方向に進むことを防いでいく事が必要だと思います。
そして、これと同じ事が政治団体や市民団体などの組織にも言えます。
団体を結成した当初は社会を良くするという崇高な理想を掲げているのに、いつかその団体を存続させることが目的になってしまい、当初の目的とは相反する行動を取ってしまうのです。
人間は団体を作ることで個人では出来ない大きな力を発揮しますが、大きな過ちをも犯します。
団体が間違った方向に進まないためには、その中で一人一人が自分の考えをしっかり持つ必要があります。
人間の持つ素朴な価値観を保ち、おかしいと思うことを上のものや周りの人がしようとしたとき、それをおかしいと指摘する勇気が必要です。
そのためには長いものに巻かれない、強いもののいいなりにならない個人の強さが大切だと思います。

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2001年3月、アフガニスタンにおいて、イスラム過激派タリバンが世界的遺産である「バーミヤンの石仏」を破壊した。
「偶像崇拝を禁じたイスラムの教えに従った」というのがその理由である。
これは、「指導者」が排他的な団結を求めて行った事だと思う。
宗教団体の中では、その指導者がその集団を支配しやすいように自分の考えを「神の言葉」として押しつけることがある。
それを批判するものを「信仰の薄いもの」「異端者」として排除しようとする。
本来の信仰の心とはほど遠い行為と言わざるを得ない。
 (『宗教と信仰の違いについて』田中 哲朗)


彼は、「宗教活動は時として本来の信仰する心とは矛盾する行動を取ってしまいます」と仰っていますが、本来の信仰は、「他の人とともに幸せでありたいと願う心」であったはずです。

一体どうして、それが全く正反対の、排他的になったり殺し合ったり破壊行為等につながってしまうのでしょうか!?

おかしいと思いませんか!?


だけどそれと同じことが、「真の科学」と「一般的な科学」の間にも起こってしまっています。(『📌真の科学とは何か?』)

「真の科学」とは、本来、自然界様に「この自然界はどのように成り立っているのですか?」「人類が、言葉を持つ以前のように、自然界と仲良く手をつないで生きるにはどうしたら良いのでしょうか?」と謙虚な気持ちで教えを乞うものだったはずです。

この「自然界様の声」が、言わば信仰における「神の声」だったはずです。

その声を聞くことが本来の科学の役目だったはずなのに、いつの間にか人類は、科学が翻訳してくれた自然界様の声に素直に耳を貸すどころか、勝手に人間中心の解釈をし、そしてついに科学を、我々人類の「欲」に利用するだけのものにしてしまったのです。

どこか「信仰」と「宗教」の関係に似ていませんか?


最初はこの世を良くしようと思って始めたはずの、宗教や科学に携わっている方たちに、ジジイは、遺言として残しておきたいと思います。

自分が最初に信仰を持った時の、感謝と喜びにあふれた祈りの心、あるいは、目を輝かせて自然界の観察をした時の震えるような気持ち、それを忘れないでください!
忘れてしまっている方は、もう一度、その子どものような純粋な情熱を思い出してください!

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。(『星の王子さま』サン=テグジュペリ)

その美しく無垢な心が、いつの間にかまったく正反対の行為をしてしまっているというのに、僕たち大人は全員慣れ切ってしまっていて、その自分たちの「過ち」にまったく気づかないで「今」を生きているのです。

先頭に立って、我々を引っ張っているものは一体誰でしょうか!?
政治家でしょうか!?
メディアでしょうか!?

それこそお金だったんです! お金が作ってしまっている今の《環境》です。

子どもはお金を手にした日から、正反対の行動を始めるのです!
政治家もメディアもお金に振り回されているのを見ればわかります。


お願いです。あなも初めは子どもだった大人なら、そのことに早く気づいてください。

それが余命少ないジジイからの遺言の言葉です。
自分には叶えられなかった夢です。

大金持ちの方から先陣を切って、お金をどぶに捨ててください。個人個人に切り離されてしまった人類を自然界に帰してください。そして、みんなが心を一つにする「分身精神」で生きさせてください!


あれっ、また興奮して、最後は「お金」の話になってしまいました。
ジジイの悪い癖です。🙏

あなたは「お金」が好きなのですか? それとも「お金でできること」が好きなのですか? お金が無くなればみんなができることが増えます。それだけでなく、みんなでできることも増えるんです。

1.それでもお金は無くなった方がいい!(前編)
2.それでもお金は無くなった方がいい!(中編)
3.それでもお金は無くなった方がいい!(後編)
4.お金を無くすなんて現実的にあり得るの !?




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★★★   関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義から分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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Markey Toku 徳永真亜基
長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。