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謝罪にこそ、本質が滲み出る

目の前にいる相手が、失敗や悪さをしでかし、自分に謝罪している…


にもかかわらず、謝ってくれている相手に対して、「は?」と耳を疑ったことありませんか?




昔むかし、付き合っていた彼女に浮気されました。そのときの彼女の言い訳は…


「ごめんなさい。やっぱり…あなたのこと…これからずっと好きでいる自信が持てなくて…」



待て待て待て。俺をさらに痛めつけてどーする。俺のせいか?俺は何のためにこの話を聞いている?


有事の後の、言い訳や釈明って、その人の本音が透けて見えちゃいますよね。たいして悪いと思ってなかったり、謝るポイントがズレてたり…だから当事者にとっては、ますます失望が広がる訳で…



こうした事故は、ビジネスでもしょっちゅう起こる。最も分かりやすいのは、企業の謝罪会見。謝罪した筈なのに、世間の理解を得るどころか、さらに炎上・非難されてしてしまう…


本音や失言を引っ張り出してやろうと待ち構える記者に対し、生半可な準備ではすぐボロが出る。あらかじめ用意してた原稿だけでは歯が立たない。かくして、企業のトップや経営陣の浮世離れした思想や見識が白実に晒され、世間を驚かす事態へ発展する…



あ、直近ではこんなのもありましたね。

埼玉県議会の自民党県議団は10日、子どもだけの留守番や外出などを放置による虐待と定める虐待禁止条例の改正案を取り下げると発表した。9月議会に提出したものの、他会派などから「ひとり親や共働き世帯が条例を守るのは困難」「置き去りの定義が曖昧」といった批判が上がっていた。

日本経済新聞


取り下げにホッと安心した束の間、その釈明の内容に唖然とした人、沢山いたでしょう…

取り下げの理由について、「議案の内容等に関しましては、私は瑕疵(かし)はなかったと感じておりますけれども」と改正案の内容に問題はなかったとし、「説明が不十分であり、その不十分さが広く伝わったことによって、国民や県民の皆さま方にご心配や不安が広がった」と説明不足だったとした。

スポニチアネックス


いやいや。待てって。〝議案の内容には問題はなかった〟って…それを本心で言っているのだとしたら、その方が県民にとって大問題なのですよ。ホントに分かってないのか…この圧倒的な感覚の乖離を。

この田村琢実団長の会見の模様が10日午後のテレビニュースなどで伝えられると、ネット上には批判が殺到。「えっ、内容に瑕疵はない…信じられない。本当にそう思ってるんだ」「違うでしょ!内容自体がおかしいでしょ!」「説明不足じゃないでしょ。説明すれば、この内容でいいわけ?」「なんで自民党さんと公明党さんは委員会で賛成したの?」「自民・公明の議員さん、子供いらっしゃいますか?」「少しでも県民の声が聞いて条例案をつくりましたか?」などの声にあふれている。

スポニチアネックス


起こしてしまった出来事は、もう取り返しがつかない。だからこそ、それに対する弁明や釈明は重大。被害者にとっては最後の砦。加害者の自己保身なんかどーでもよくて、1ミリでも理解、納得できるかどうかを見てるってのに。



逆側から考えれば、もし〝やらかして〟しまったとしても、最後の〝釈明〟のチャンスは残されている、ということでもある。それを生かすか殺すかは当人次第。問われるのは「起こしてしまった出来事に正面から向き合い、どれだけ深く省み、どんな対応をとれるか?」


皮肉にも、ピンチの時や失敗してしまった時こそ、人や組織の真価というものは露わになるものだ。

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