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当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間
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仕事柄山のニュースを勤務中にもチェックするのですが「北アルプス剱岳の岩場で女性の遺体 富山県警ヘリが行方不明者の捜索中に発見 単独登山中に滑落したか」の見出しに、震えが止まらなかった。
遺体で発見という文字の下には妻のザイルパートナーでついこの間も二人で3日間北海道の岩場を登り、帰路について1ヶ月…「また次だね」と帰路についた彼女の名前があり、到底信じられないという思いと、「あぁ、ついに」とアルパインスタイルで山を登る人ならいつか遭遇するかもしれないであろう事態に対して冷静に画面を見ている自分が嫌で嫌で仕方なかった…。
今日この日記を書いているこの時間に通夜が執り行われているし、妻は今頃斎場にいるのだろう。
僕が北海道に移住した理由の一つに「雪が好き」というのもありましたが、もう一つが北海道生まれの友達が2年前に急死したことも関係している。
前職に留まっていれば生活は安泰、人生の到着点も予想できる…
それがいいか悪いかモヤモヤしている時に数少ない友人の訃報を聞いた。
転勤族の自分が友人と会うのは毎年昔勤務していたスノーボードショップに注文していたボードを受け取りに東京に戻る時でした。
12月の一週目にスタバの外テーブルでコーヒーを飲みながら
「今楽しい?」
「なんか面白いことやってる?」
なんて話をし、歩いて銭湯を改装したまい泉で僕の給料では少し躊躇する金額のトンカツを食べ、ビールを飲んでまた駅まで歩いて二人とも乗り換える池袋駅で握手して「またね」と別れる。
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「ちょっと偉くなったから奢るぜ!かっこいいだろ!」
「あざーっす!」
「次は奢れよ」
「だね」
、、結局その約束は果たしてもらえなかった(笑)
いつも人生の岐路には大事な人の死が纏わりつく。
常に死は隣り合わせにあるのにどうにか意識の外に押し出して生活を続ける。
やりたいことをやれてるのか?
やれることだけやった結果なのか?
色々こなしてきた成れの果てが今なのか?
まだわかりませんが、死ぬ時には「少し頑張ってたよお前は」と言われたい。
もうすぐ夏が終わります。
貴方の大事な人は元気ですか?会いたいを先延ばしにしていませんか?
ネットがあるから近くにいる感はありますが是非会いに行きましょう。