コンテンツ全盛期だから、コンテンツで勝負したらアカン話
こんにちは。越ヶ谷(えちがたに)です。
新型コロナが流行ってから「コンテンツ」に関する熱気が高まっているのを感じます。対面での情報提供が難しくなってきている中でいうと、Webにコンテンツを量産し、接点や情報提供の場を増やすという観点は非常に理解できます。
その一方、気をつけたいのはそういう「コンテンツ全盛期だからこそ、コンテンツで勝負したらキツイ」っていう話です。
コンテンツよく分からないやって方、改めてコンテンツを見直したい方、ご覧くださいませ。
コンテンツの超基本な前提
コンテンツに関して話す前に、ちょっとどこに向ければいいか分からない怒りを言わせてください。
「コンテンツを上げればお客様が見てくれるでしょ。コンテンツマーケやろうよ!」
という話を聞きます。昔からクライアントやら上司から言われたことがちょいちょいあります。そんなときは
「んなわけねっす!」
って返します。だって無理だもん。無理ですもん!!
引用:「世界にWEBサイトの数」はいくつ? 2019年 世界のWEBサイト数
そもそも、Webサイトの数は2019年時点で16億以上、ページで言うと凄まじい数になります。そんな中、コンテンツ上げれば誰かが見るってそんな訳はない。見てくれるのはGoogleとかのクローラーとかくらいです。
「とりあえずコンテンツ作ろう」っていう考えが多くなると、質の低いコンテンツが世の中に溢れ、結果お客様にしわ寄せがいきます。
だから前提として「ちゃんとお客様のこと考えよ!」ってことです。
つまりは、凄まじい数のサイトがある中でのお客様が見る理由がないとそもそもコンテンツは見ないです。で、そのお客様とコンテンツの関係は状況により変わるのでその状況認識を考えましょうということが今回のお話です。
その点を「水」に例えて紹介したいと思います。
コンテンツ砂漠状態
こちらをご覧ください。こちらは絵本のアンパンマンの第1巻です。初期は絵も大きく違ったり、アンパンマンの口調が固かったり、設定も雑だったりしますが、ってそこはどうでもいいです。
何が言いたいかというと、砂漠で水も食料もない状態の人は、水分、食料であれば何でもほしいということです。嫌いな人からでも水はほしいですし、それが水道水でもVolvicでもエビアンでも何でもほしいという状態です。
コンテンツにも同じことが言えます。
世の中にコンテンツがなく、お客様がコンテンツに飢えている状態のときは、コンテンツを出せば見てくれるという状況です。
コンテンツ戦国時代=コンテンツ間に合ってます状態
水のお話に戻しますが、現代の日本では水は溢れています。様々なミネラルウォーターがありますし、なんなら水道水も全然飲めます。
砂漠では「水ありますよー」って言えば「ほしいほしい」って言われますが、今の東京で「水ありますよー」って言っても見向きされません。そらそうだ。
つまり今のコンテンツもこの状況に当てはまるということです。
コンテンツ戦国時代ということはコンテンツが溢れているという状況。似たテーマのコンテンツが10000個ある場合は、お客様の視点からでは1/10000のコンテンツにしか見えず、コンテンツそのものをお渡ししようとしても「間に合っています」と思われてしまいます。
さらに言うとその競争が過密になっていけばいくほど、コンテンツの量は増えていきます。
ではどうすればいいのか・・・
水に意味をもたせる文脈(コンテキスト)の力
水で差別化をする点で面白いと思っている事例はVolvicの1l for 10lです。こちらはVolvicが1l買われるごとに、アフリカに10lの水が供給されるというキャンペーンです。
このキャンペーンによりVolvicは水に「社会貢献」という意味をもたらすことができて注目と購買数を伸ばすことができています。
まあ、売上はだんだん下がってキャンペーンは終了しましたが、参考にしたいことはどんな文脈を作るかということです。
ってときに文脈ってなんやねん、ってなるんですが僕の説明では文脈は「なぜあなたに」「お客様の興味関心への補助線」です。
Volvicの例だと「水飲みたい」ということではなく、「社会貢献をしたい」だったり「何かいいことをしたい」という興味関心に水をつなぎ合わせているということになります。
つまり、コンテンツに関してもお客様の興味関心の向いている方向を解像度高く察知して、その興味を満足させる、課題を解決させることが必要となります。その興味関心に寄り添うものが文脈です。
まとめ的な
今まで話したことを切り口かえてまとめると上記のようになります。
コンテンツに溢れる時代、やたらめったにコンテンツを出してもあまり意味がなく、文脈(コンテキスト)を考えましょうというお話です。
さらに言うと、文脈の上には人格があります。
たとえば、Volvicが社会貢献の文脈のキャンペーンを多く打ち出していたら、キャンペーンでなくVolvic自体が社会貢献にコミットしている人格なんだという認識を与えられます。
その認識が信頼となり「〜の企業なら信頼できる」「〜さんなら信頼」できるという状況を作れます。
コンテンツ余りの時代 / VUCAの時代だからこそ、自社がどんな文脈を打ち出すべきか、自社がどういう存在であるべきかを見直すことが、世の中に良いコンテンツが増えると信じています。
PS
水を事例に出しましたが、Volvicにするかガキの使いの罰ゲームでまっちゃんがエビアンをエビアンに行って汲みにいく話にするか悩みました。