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意識低い系「面倒くさい」のトリセツ


面倒くさいを深掘りしてみる

前回の記事で「面倒くさい」という言葉を使いました。


私は必要に迫られるとモチベーションが生まれるのですが、
その背景には、「面倒くさい」のが嫌だという思いが、
人一倍強いからのようです。

そこで、改めて自分自身の「面倒くさい」という感情に向き合ってみました。

シンプルに思いつくこと、
それは
「トラブルの解決は嫌だな」
ということです。

トラブルといっても範囲が大きすぎますね。
では、どんなトラブルかな、ともう少し深掘りしてみます。

機械的、物理的なトラブルは修復すればよいので、そこまで嫌でもないな。

とすると、
「人と人の間で起きるトラブル」
ということに行きつきます。

人と人のトラブルといっても、色々あるぞ、と進めます。

いわゆる顧客や取引先からのクレーム案件は、
問題の原因を究明して、こちらに非があれば
それはまず謝る。

非を詫びて謝るだけでなく、反省もする。
謝罪と反省をもとに再発防止を検討実行すればよいので、
面倒もあるけど、嫌いと言うほどでもないかな。

私自身がクレームをだす側に立つことも多々あります。
その時は感情的にならないように自制を心掛けます。
これは「明日はわが身」だから。

とすると、
私が「面倒くさい」と思うトラブルというのは
内輪の人同士の問題
ということになりそうです。
これがね、こじれると
「面倒くさい」のです。

内輪の中での違法行為とか暴力行為(言葉含め)は悪い方が明白なので、
面倒だけど、対応も明確です。

だけどね、
個々の価値観とか、正義感とか、理想とか、
そういった背景に基づく対立のはざまに立たされるのは
非常に「面倒くさい」
どちらも自分の「良かれ」を求めて主張していると、
明確な正解不正解がはっきりしないのです。

どちらにもそれぞれの「理」がある気がしてくるのです。

いやいや
そんな対立に振り回されてるようでは修行が足りないのでは?
信念をもって会社を大きくするために突き進まなきゃ!
と言われそうです。

確かにそれも分かります。

会社の未来、成長を考えることはむしろ楽しい。
なんたって希望があります。
夢がある。

会社の未来、成長を考えた計画や方針を示した後、
それに対する受け止め方、感じ方、賛否は人それぞれによって異なるのは当然です。
それは個性の尊重であり、その違いをお互いに尊重するのが多様性。
この多様性をうまくまとめて前向きに進みたくなるようあれこれするのが経営です。

しかし多様性がゆえに、お互いにぶつかり合い、対立したりすることもあります。
結果的にそれぞれの行動に差が出で、悪い方に進んでしまうこともあるのです。

リスクは面倒くさいか

また、未来の話をする場合、上手く行かなかった場合はどうするの?
という意見もつきものです。

リスク管理の話ですね。

リスクを割り出し、評価し、どう備えるのか、
二の矢三の矢の策も考えておく。
大事なことです。
リスク管理については、面倒は面倒です。
失敗の可能性を考えるわけですから、キツイ時間にもなります。
だけど、そこまで嫌とは思わないですよね。

むしろ最終的な成功確率が上がる気がしてくる。
ともすると楽観的過ぎなこともあるでしょう。
見たくないことに蓋をしているのかもしれませんが、
未来の話なわけですから、希望をもって取り組みたいと思うのです。

リスクを客観的に評価することは大事なんですが、
未来や計画に説得力がないと、
聞く側は先に不安を感じます。
その不安は予想されるリスクに対して客観性を失わせます。
むしろ感情的なリスクの過大評価が生まれる気がします。

希望のリスク対策管理と
不安のリスク過大評価が対立した時、

これが一番面倒くさい!!!!

そして私が一番面倒くさいと思う言葉はこれです。

「上手く行かなかったら誰がどう責任を取るんですか?」

希望と責任

さて、
責任を取る、って何でしょうね?

責任の取り方と言えば、
辞職、減給、注意とかが一般的ですね。
出来ることなら、誰もが関わりたくない処遇です。

だから失敗すると責任の押し付け合いが生じます。
「悪いのは〇〇!私のせいではない!!」

この話も最悪に面倒くさい。
私はここに何の希望も未来も感じられないです。

けじめをつけるのが苦手なだけかもしれませんが。

我が社の辞書には失敗という文字はない

本来、失敗とは
その原因を分析し、追求し、
繰り返さない仕組みや教訓を残せれば
その組織にとって大きな財産である、
と私は思っています。

つまりは
原因の追求と分析、その共有を行うことが責任の取り方だと思うのです。

ですので、
それをやり遂げれば、チャレンジしたとして評価すると決めました。
一方、
それを怠ることは、同僚、関係者への不義としました。

「我が社の辞書には失敗の文字はない」
これをキャッチフレーズとして皆に宣言しました。

失敗と責任の考え方を明示し、社風にするとしたのです。

あれふれた言葉ではありますが、
結構浸透していると感じています。
そして、面倒くさいと感じることは格段に少なくなりました!

意識低い系の「面倒くさい」のトリセツは以下のようになります。

面倒くさいのは嫌だ、
という思いは、
努力して克服するよりも、
自ら認めて、向き合って、
共存するのがよい。


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