FIREについての私見(仮題)
本日は、最近注目され、知られるようになった『FIRE』について、私の考えを記しておこうと思います。気の利いたタイトルが思い浮かばなかったので『FIREについての私見(仮題)』としておきます。
大流行中のFIRE
すっかり有名になった感のあるFIREとは、Financial Independent(経済的自立)とRetire Early(早期退職)の頭文字を繋げたことばです。このことばを一躍有名にしたのは、ビル・パーキンス『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』(ダイヤモンド社 2020)だろうと思います。
28年半務めた会社を退職し、次の二毛作目に向けて再スタートを切るまでのモラトリアムをのんびりと謳歌していたら、瞬く間に月日が過ぎていきました。一向に明るい未来へのプランが定まらないことに対して、危機感と焦りを感じ始めていた頃に本書に出会い、「まさに我が意を得たり!」と膝を打ちました。
私が目指していたのは、まさにFIREのような生き方でしたから、自分の決断に自信を持ち、大いに勇気づけられました。
FIREは手段であって、目的ではない
FIREを志向する人々に対しては、賛否両論があります。FIREは、是か非かで議論するようなテーマではないのになあ…… と思います。FIREは、一度きりの人生を悔いなく生き抜きたいと思う人にとっての選択肢の一つであり、頭の片隅に置いておいて損はない方法論に過ぎません。
正確には別物なのでしょうが、「逃げ切り人生」のようなキャリア論は、昔からありました。私が会社を辞めることを考えていた頃、FIREということばは、まだ世に浸透しておらず、市民権を得ていませんでした。私は、企業人としてのキャリアをスタートさせた若い頃から『仕事中心に追い立てられる毎日からは早めに卒業して、人生の後半は晴耕雨読で暮らしたい』という願望を、ずっと心の奥底に隠し持っていたように思います。真面目に仕事に取り組みながらも、先々のXデーに向けて、着々と準備をしながら生きてきたような気がします。
完全ではないにせよ、条件が概ね整い、もう食べていく為だけに無理をしてお金を稼ぎ続ける必要はない、という確信を持ったので、『会社員を辞める!』という決断が出来たのだと思います。その頃にベンチマークしていたキムさんのサイトは、以前の記事にも書きました。
ただ、前途有望な若者が、社会に出る前からFIREを目的に人生戦略を組み立てることは、個人的には推奨できません。才能もあり、人柄もよく、友人もたくさんいて、周囲から好かれているFIRE希望者を見ると、「そんな早くから勿体ないこと考えるなよ、持てる資質を目一杯活用してキラキラ生活を楽しめよ......」と思ってしまいます。
FIREが向いている人
有能で時代感覚に鋭敏な若者の中にFIREに憧れる人が増えているのは、よく理解できます。彼らは、怠け者だから、夢がないから、未来に絶望しているから、という理由で働きたくないわけではありません。自分を認めてくれていると心底信用できる人や組織の為ならば、一生懸命、夢中になって働きたいと思っている、と思うのです。
想像するに、優れた若者が最も嫌うのは、自分がいいように誰かから利用されて、ボロ雑巾のように捨てられることではないかと思います。必死に働いているのに一向に報われず、誰かの肥やしの駒として消費され続けることに我慢がならないのではないか、と思うのです。
また、自分自身は誠心誠意その人物や組織に忠誠を尽くす覚悟も、決意も、自負心もあるのに、相手から求められず、邪険に扱われることにも我慢がならないのだと思うのです。そして、そういう評価や扱いを受ける自分の不甲斐なさに直面して絶望したくないので、自己防衛の為にクールな態度を貫いているのではないか、と思うのです。
FIREは、そのようなプライドだけは無駄に高いのに、実力は大したことがなく、雑魚キャラから抜け出せそうにない人に向いています。自分のプライドや自己満足を守り、機嫌よく人生を送る為には、最適な方法論かもしれません。
これからの時代は、FIREを目的に社会に出てもいいのかも
不労所得で生活を支える体制を築くのは簡単ではないので、人生のある時期(10~15年くらい?)は、自我の発動を抑えつつ、懸命に働いて資産を蓄えることに注力することは必要です。早期にFIREできるかどうかの成否を握るのは、不労所得の確立であり、ずばり投資の成功です。しかしながら、一攫千金を可能にする金融資本主義には批判も多く、今後FIREを可能にする為の基礎的条件が失われてしまう可能性もゼロではありません。他者にこき使われる労働、そしてそうなった場合の不条理に耐える経験はあった方がいいと思うのです。
懸命に働いている内に、仕事が面白くなって、早期リタイアなんてとんでもない! という展開になれば、それはそれでハッピーな人生になります。計画通りにFIREを実行するにしても、人生のある時期、我慢して一生懸命に働いた経験は、たとえ誰かの肥やしとして搾取された苦い結果になったとしても、あらゆる場面で活きると思います。
人生なんて、理不尽と不条理の連続ですし、辛い場面にもある程度慣れておいた方がいいのは確かです。FIRE実現後の生活にも耐えられる、多様な経験を積み重ねておくことも大切と思います。