見出し画像

言葉に宿る深遠な力「言霊」で幸せを掴む方法 ①「十言神咒(とことのかじり)」

これまでのコラムで何度か、罪穢れを祓うための「唱え言」をご紹介しました(例えば「日参り」についてのコラム中に記述した「吐普加美依身多女(とほかみえみため)」など)。

こうした唱え言には、不思議で霊妙な祓い清めや開運の効果があることもあり、コラムを読んで下さった方々から、他にもこのような唱え言はないのかというお問い合わせをいただきました。

そうしたご要望にお応えをして今回からお届けするのは、神道に伝わる言葉に宿った大いなる力によって、願望を実現したり、より良い人生を送るための助けなるコラムです。

唱えるだけで良い、言葉にするだけで良い・・・のですが、前提はこれまで何度もお話をしている、神という存在を信じ、敬う、謙虚で純粋な気持ちと、神様との信頼関係です。

これまでのコラムを読んでいただいた上で、是非ご活用いただければと思います。


言霊

画像1

日本人は古から言葉には霊力が宿り、「良い言葉は吉事を招き、悪い言葉は凶事を招く」と信じて来ました。言葉の「言」とは「事」であり、言葉として発すれば全てそれが現実に起こると考えたのです。

こうした言葉による働きを「言霊(ことだま)」と呼んでいました。

この「言霊」については、奈良時代末期に成立した『万葉集』に四句詠まれており、以下の③以外の句には「言(事)霊」の文字が明確に出て来ます。

(原文①)
志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具

(書き下し①)
志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ

柿本人麻呂

(原文②)
神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理

(書き下し②)
神代より 言ひ伝て来らく そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり

山上憶良

(原文③)
柿本朝臣人麿歌集歌曰
葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾

(書き下し③)
柿本朝臣人麿の歌集の歌に曰はく
葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ吾がする 言(こと)幸(さき)く ま幸(さき)くませと 障(つつ)みなく 幸(さき)くいまさば 荒礒(ありそ)波(なみ) ありても見むと 百重(ももへ)波(なみ) 千重(ちへ)波(なみ)にしき 言(こと)挙げす我れは 言(こと)挙げす我れは

(原文④)
事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依

(書き下し④)
言霊の 八十の衢に 夕占問ふ 占まさに告る 妹は相寄らむ

既にこの奈良時代には「言霊」という言葉が存在しており、「言霊の幸わう国」と形容されていたのです。

③に「言挙げ」とあるのは、一字一句正確に、自分の意思をしっかり声に出して神様に申し上げることです。

江戸時代後期になると、山口志道(1765-1842)や中村孝道(生没年不明)といった国学者たちによって、「言霊」の体系化が始まります。

彼らは、人の話す言葉は75の音声から構成されており、その一つ一つに「霊」が宿り、意味を持っていると定義付けます。

このことから『古事記』などが示す神話には、字義通りではない、もっと深遠な隠された意味があり、「言霊」を駆使することにより、それを解読することが可能だとしたのです。

また、「言霊」は正しく使えば、神と交信をしたり、そのご利益に預かることができるとしました。つまり、古来より伝えられる「祝詞」が現代でも連綿と祭祀で用いられているのは、そこに「言霊」の人智を超えた不思議な力があるからに他なりません。

神道の基本は「祓い清め」にあります

人は何かと、罪穢れを伴った存在であり、そのままでは神に近づくことは出来ません。そのため手水舎の水を用いたり、火打ち石の火を用いたり、または大麻(祓幣)を振って祓い清めます。

画像2

そして最後に、必要なのが「言霊」による祓いというわけです。

昨今、「ありがとう」という言葉には大いなる「言霊」の作用があり、唱えるほどに幸せになるという言説が根強く信じられています。

しかし、この「ありがとう」は「有ることが難しい」「珍しい」という意味の仏教語「有り難し」から転用されたもので、実際に「ありがとう」と感謝の意味で使われ始めたのは明治期に入ってからだといわれています。その歴史は非常に浅いのです。

『古事記』にも触れられておらず、名だたる神道家たちの知る由もない歴史の浅い言葉に、「言霊」の宿る余地があるとは甚だ疑わしいのです。

そうした意味で、現代はこの「言霊」そのものの意味が曲解、誤解されているのかもしれません。

十言神咒(とことのかじり)

画像3

こちらのコラムを読んでくださっている皆さんは、神社に日頃から親しまれていらっしゃるか、興味があるという方が多いと思います。そんな皆さんでも「神咒(かじり)」という言葉は耳慣れないものかもしれません。

「咒」とは「呪」の旧字です。「のろう・じゅ」と読みますが、決して人を呪うという意味ではなく、「まじない」という意味で用いられます(「呪」「咒」の一字で「まじない」と読みます)。

それでは「まじない」とは何かといいますと、「神仏などの神秘的な威力をもって、禍や穢れを祓う」ことをいいます。まさに、これが「神咒」そのものの意味でもあります。

その「神咒」の前に「十言(とこと)」と付きます。

こちらは何となく「十の言葉」の意味なのかな?と見当が付きます。

正確には、「十の言葉」ではなく、「十の音(文字)」を指します。

つまり「十言神咒」は、「十の音によって、神の威力を発動させ、その神威によって禍や穢れを祓う」ものなのです。

その「十の音」とは高天原を統治する最高神の御神名である「ア・マ・テ・ラ・ス・オ・ホ・ミ・カ・ミ(天照大御神)」です。

十言神咒

アマテラスオホミカミ

古神道(*)の大家である友清歓真(1888-1952)が一般向けに伝授し広がったもので、この神咒を繰り返し奉唱することで無限の神徳をいただくことが出来るといわれています。

友清歓真によると、この「十言神咒」を毎日30分以上、1ヶ月も奉唱すれば、あらゆる悩みは解消され、神徳を授かることが出来るといいます。

実は天照大御神をはじめとした御神名そのものが、「言霊」の結晶であり、祓詞(はらえことば)であるといわれています。

神名には「◯◯命(ミコト)」とつくことが多いのですが、これは「御言(ミコト)」の意味であり、神は「火水(カミ)」を意味します。

ちなみに、神社参拝時の拍手では、両手を合わせたあと、右手を第一関節分引きますが、これは「左」が「火足(ヒタリ)」、すなわち「陽(ヒ)」「霊(ヒ)」つまり「神」を、右は「水極(ミギ)」であり、「陰(イン)」「身(ミ)」で、これは「人」をあらわしています。いわゆる「霊主肉従(霊的、精神的なのが、物質よりも優位であること)」の思想です。

両手を合わせる行為は、陰陽の結合と調和をあらわし、右手を引くという動作は「神」を敬って、「人」が一歩下がるということを示しています。
神社参拝の何気ない動作にも、このように「言霊」の思想が生きているのです。

さて「十言神咒」のお話に戻しましょう。

奉唱する際は、早朝が最も効果があります。日の出の時間帯から、8〜9時までが良いでしょう。

声の大小や、抑揚などに決まりはありません。

朝の貴重な時間帯に、30分以上の時間をかけるのは大変です。1回でも、2回でも可能な回数奉唱すれば良いでしょう。

声に出せない環境であれば、心に思う(心の中で発音する)だけでも構いません。
是非、「十言神咒」を奉唱して、「言霊」の効果を実感してみて下さい。

古神道:仏教や儒教などの外来宗教の影響を受ける以前の、日本古来の神道。また、江戸時代の国学者たちによって提唱された復古神道を指す。

参考文献
『言霊と日本語』今野真二(著)筑摩書房


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?