平安時代に跋扈した怪鳥「鵺(ヌエ)」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第二十八回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
神使「鵺(ヌエ)」
妖怪「鵺」
「鵺(ヌエ)」は鬼同様に、神として祀られている妖怪です。
鵺が書物に登場し始めるのは平安時代。狐狸妖怪、魑魅魍魎が跋扈していた時代でした。
水木しげるさんの著書『[図説]日本妖怪大全』には、民俗学者で小説家の藤沢衛彦氏の『妖怪出現年表』からの引用として、平安時代に現れた数々の鵺の記録が著されています。
いずれも鵺の出現を、その鳴き声で理解していることが分かります。
鵺の鳴き声は、トラツグミに似ているといわれます。
主に夜になると「ヒョー、ヒョー」と独特な鳴き声を発することで知られるトラツグミ。
この鳴き声が怪異の前触れを演出するかのように、不気味に聞こえたのかもしれません。
鳴き声はこんな感じ。
真夜中、漆黒の空を翔ける鵺の姿を想像して聞いてみて下さい。
宮中を恐怖におとしいれた「鵺」
鵺は、顔は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇。この姿は、『平家物語・巻四』の鵺退治伝説に描かれたものです。
仁平3年(1153年)、近衛天皇の住む清涼殿の上に毎夜、鵺が黒雲とともに姿を現して、二条天皇がこれをとても恐れ、ついには病に伏せてしまいます。薬も祈祷も効果がありません。
側近たちは、弓の達人として知られる源頼政に鵺退治を命じるのです。
頼政が家来の猪早太を連れて清涼殿へ赴くと、上空に黒雲が立ち込め、その中で鵺の不気味な鳴き声が轟きました。頼政は、その鳴き声を頼りに矢を射ると、鵺は二条城の北に落下。そこに早太が駆け付けて短刀でとどめを刺したのです。
頼政と早太に退治された鵺は、祟りや疫病を招くと恐れられたため、丸木舟に乗せられ淀川に流されます。鵺は現在の大阪市都島区に流れ着きますが、村人が祟りを恐れて死骸を埋め、祠を建て鵺塚として祀りました。しかし、ここで祟りが起こったことから、再び流されたどり着いたのが芦屋市でした。
ここでも鵺塚が祀られましたが、現在は残っておらず記念碑が設置されるのみとなっています(都島には昭和32年に改修された塚が現在も残っています)。
退治された「鵺」を祀る「鵺神社」
頼政が放った矢が命中し、鵺が落下したのが二条城の北、現在の二条公園。園内のさらに北に位置するのが退治された鵺を、鵺大明神として祀る「鵺神社」です。
社の横には、頼政が鵺の体に刺さった矢を抜いたあと、その鏃(やじり)についた血を洗ったとされる「鵺池」が復元されています。
「鵺」を射った鏃(やじり)が奉納された「神明神社」
清涼殿に夜な夜な現れる鵺に悩まされた近衛天皇がしばしば行幸した、藤原忠通(近衛天皇妃の養父)の邸宅跡である「神明神社」。
頼政は鵺退治に出発する際、この神明神社で祈願をしています。また、退治に成功すると、この時使われた鏃(やじり)2本を奉納しており、現在でも神明神社の宝物として伝わっています。
普段は、鏃の写真のみが掲示されていますが、毎年9月の第二土曜日と、それに続く日曜日の祭礼で、実際の鏃が公開されます。