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#2 「人生いつ光るか、そしていつ闇に潜るか」
私が学生だった頃に英語の授業で読んだある海外の俳優が綴った文章に、なるほどと思った。……そんな記憶があるのだが、この機会に調べたものの見つからない。
おぼろげに覚えていることを書き起こせば、
「若い頃に俳優を志したが、オーディションを受けては落ちる事の繰り返し。でもひょんなことで役がもらえるようになって、そのうちに大きな仕事も舞い込んできて、スターになれた。今思えばあのとき私は闇の中にいた。でも、成功するには必要不可欠な時間だったと思う。どんな人でも、闇の中でもがく時間が必要なんだ」
といった内容だ(誰の文章か分かる方は教えていただけると嬉しいです)。
光と闇
小説家の小林多喜二の名言にも人生の光と闇に関するものがある。
闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光の有難さが分かるんだ。
これに対して「光があるから闇がある」といった(ずいぶん悲観的な)捉え方をする方もいるようだが、「闇→光」論は本当の意味で人生に成功するためのヒントを与えてくれるように思う。
人生いつ光るか
ところで、私は闇と光に関して、ある一つのアイデアを持っている。
人生でいつ光るか、そしていつ闇に入るかは自分で決められる。
やや極端な言い回しではあるが、あながち間違っていないとも思う。
例えば今光りたいなと思えば、世を代表するスターにはなれなくても、4等星くらいになることは願えば多くの人にとっては可能ではないか。子役や地下アイドルは典型的な「早光り」である。身近なところでは、散財するのも今すぐに光ろうとしている良い例である。
ただし、当然代償はある。多くの場合、今光れたとしてもいつかは自ら闇に入る時間を作ることを迫られるのだ。次にまた光れるようになるまで、辛抱の時が待っている。
逆に、5年後に光るために今は闇に入る、という選択をすることもできる。夢のために修行したり鍛錬を積んだり、あるいは貯金したりするような例が当てはまる。
世間ではよく後者が称えられることが多いが、それは誤っている。他人の光るタイミングに外野から口を挟むのはばかげている。いつ光りたいかはその人次第だ。
YouTuber ヴァンゆん の今
光と闇に関してもう一つ。
私が面白いと思うYouTuberにヴァンゆんがいる。説明するまでもないが、大人気の二人組YouTuberだ。
人気であることは間違いないのだが、2020年の末にあげた動画は視聴者の批判の的になった。その動画の内容はさておき、コメント欄には、最近のヴァンゆんは芸能界や新たな企画に挑戦しているが、その結果としてYoutuberっぽくなくなってつまらないというコメントが数多く寄せられているのだ。
私が思うに、ヴァンゆんは今、闇に入りたがっているように思う。
私たち視聴者から見えないところで、何か新しいことを生み出せないかと試行錯誤を繰り返している。光り続けているように見せるのがうまい二人ではあるが、「"今"を評価しないで」という気持ちも持っているのではないだろうか。
彼らは「挑戦」という言葉を上手く使って、自ら闇に入ろうとしている。また違う色で光り輝ける日を夢見て。
最後に
若いうちに光れるだけ光ったっていいし、若いうちに闇に入っておくのもいい。わかっておくべきなのは、いずれにせよ闇はキツいってことだ。
それから、闇に入っていた人が光り始めたとき、光ってるその人自身をほめるのはナンセンスだと私は思っている。
その人が闇に入っていた時間と努力を称えるべきではないだろうか。
かさぶたが消えたなら
聞いてくれるといいな
泣き笑いのエピソードを
最後までお読みいただきありがとうございました。
毎日投稿に挑戦しています。明日はもう少し読みやすい話題です。
ところで、「あなたは今光ろうとしていますか?それとも闇に入ろうとしていますか?」と聞かれると、ほとんどの人が「どちらかといえば闇だ」と答えるように思います(笑)
私?今はどちらかといえば闇ですかね。
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