コロナが近くにやってきた…事になってるらしい。
職場の一人が熱を出し、それがなかなか治ってくれないので自宅待機となった、とだけ言ったのに、母上の脳内では「コロナが私の目の前まで来てる」にすり替わった。
帰宅したとたん手を洗えと喧しい。んで消毒液も塗れという。
もともと社屋じたいが違う場所の者がなっただけ。それもまだ「熱が続いてる」というだけ。俺など顔も名前も知らない誰か。
そして俺は自分の持ち場では、へたしたら一日に3分だって人と喋らないような仕事をしてる。
これで感染するなら、もうなにをどーやってもなっちゃうもんだし、だいいち昼間にウイルスに触れていたなら「帰宅してから手洗いをして」で、それを除去できるわけがない。
こういうときに大昔からの言葉「禊」ってのが浮かぶ。たぶん「禊=身削ぎ」だ。穢を切り捨てて、清らかな部分だけにする。
医学が発達する前の世界では、衛生とは「穢れたモノ(というか、者)」を排除する事が一番有効だったのだ。
これはハンセン氏病の人たちの気の毒な歴史が有名だし、じっさい天然痘もその方法で根絶させている。徹底的な隔離によって感染を抑え込み、物理的に葬ってしまった。
でーもーさーぁーー!
昼間の職場での接触について、それを「帰ってきたら消毒しなさい!」は無意味でしょ。
いやいや、帰りにスーパーとか立ち寄ってるからもちろんするけど、したことで「職場でコロナらしい人が出たから」の方はどーにもならんでしょーがっ。
わかりはするのだ。
不気味な危機を、このワタシの見てる前で清めろというその感覚はわかりはするんだよ。
でもそれ、感情じゃないか。オマジナイじゃんか。
どーしてもその感覚が俺には持てないから、ちょっと戸惑うんだよなあ。
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