先生がいなかった
インド占星術をお伝えする仕事をさせてもらうようになって先生と言われることが増えたけど、最初はとても恥ずかしかった。口には出さないけど穴があったら入りたいって慣用句がグルグル浮かぶくらいに。でも口に出さなかったのは、相手は自分の立場が生徒です宣言する代わりに先生と言うだけなのだからそんなに深い意味じゃない、ってことを自分も生徒だった時にわかってたから。
だけどここで立ち止まる。この気恥ずかしさには立ち止まる意味がある。
小学生の頃に将来何になりたいかわからないけど絶対になりたくないと思ったのは先生だった。目の前のセンセイ達がそう感じさせていたと思う。
先生って呼ばないで下さいと宣言してる人には何人も会った。で実際、彼らは先生じゃなかった。
先生じゃないけど指導をする職業。それはインストラクター。
(ネーミングってすごい❗️ってかこの言葉を得るまで全員センセイだったわけだから。言葉が無かったからハッキリ気づくまで何十年もかかったよ‼️太郎さん❣️)
いまのラージャ・ヨーガの先生に逢うまでのわたしには、先生と呼びたい先生が本の中にしかいなかった。自分のホロスコープの特色から鑑みていまの先生に出会って先生と呼べる関係でずっと続いているのは奇跡に近い。
わたしにはいま先生がいる。
そう言えることの幸せも噛み締めている。
だから。
わたしは、穴に入ったりしません。
先生と呼ばれることから逃げません。
わたしは、先生と呼んで下さる皆様に値する精進をこれからも重ねます。
ありがとうございます。