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イマーゴ〜おともだちの場合〜
友人関係、特に親しい友人や、親しくならなくても、会ってすぐ意気投合したり、初めて会った気がしない、なぜかとても執着してしまう、そんな友だちがいませんか?
本編第三部で説明されている”イマーゴ”は、何も夫や恋人などのパートナーに対してのみあるものではありません。
わたしは、とある友人と交流を絶って1年経ちますが、なんでその様な大仰なことをするに至ったのか、それこそがイマーゴのなせる技だったという事をお話しします。
そのともだちとは、4人仲間の一人で、その他の二人とはまたちょっと距離感とか理解の深さが違う関係性でした。少なくとも私はそう思っていました。
この通り私は、思索の人で、いつもいろいろな気づきがあり、それを表現するのに余念がありません。とてもマニアックなので、なかなかお話ししていて満足するリプライを得られないのが常です。
私がどういうリプライが理想かと言いますと、単に私の話を聞き、私の非常識的で一筋縄ではない心の動きを理解し、聞いた事を言い返してくれるという事なのです。それを満足行く形でできる人は、彼女しかいなかったのです。あとは、互いに同じ量だけ話す、グチは言わない、同じ問題を繰り返し言わない、等、細かな決まりの様なものもあり、そういうことも大切でした。
その上、その彼女とは、互いの家族や人生におけるテーマ、出来事についてもシェアしあっていたので、最初から説明しなくても互いの情報をわかっているという点でもかなりのアドバンテージがある関係でした。
それだけでもすごいのですが、そういう哲学的な面も含め、実は、彼女は私のイマーゴにかなり当てはまっている人でした。雰囲気、性質が、父方の家族にとても似通っていたのです。
父方の祖母を、うちの母はとても嫌っていて、絶対遊びに行くことはありませんでしたし、父方の家が衛生的に不潔だと、私たちを洗脳していました。確かに、母方の家はものすごく整理整頓されていて、掃除も行き届いていて、しかも、母方の実家の敷地内に私たちは住んでいて、母方の家族の方が近い関係だったのですね。
また、性格的にも父方の家はなかなか個性的で、お金に関してとてもシビア。どちらの家も、お金がないわけではないのですが、父方家のことを、母は色々指摘していました。たとえば、ケチだとか、腐りかけみたいなものを食す、よこすとかです。
そんな感じだったので、たまーに父の実家へは父に連れられていくだけでしたが、父と母は毎日喧嘩していて、私はいつも母の味方だったので、父の実家に行くのはかなり抵抗を感じていました。
ということは、わたしは、遺伝子の中に半分入っている父方の家族を否定していて、克服しないといけない問題がてんこ盛りだった、という事なのです。
わたしは、父方の遺伝子について、たくさんのネガティブな感情を持っていたわけです。父方の家を肯定したら、母に嫌がられる不安、心配、父方の家を批判しなければいけない圧迫感や焦燥感を常に感じていました。その時は、不幸にも父方の家は私にはまごう事ない悪だったのです。
たぶん、その記憶を書き直したい、肯定したい、ということで、先の友達なのです。
そのともだちは、どこか父方の雰囲気を持っています。顔も性格も(衛生面においては彼女は普通でしたが、物を大事にするところは共通でした)。
すると、私の脳みそは反発を覚えつつも惹かれる気持ちを抑えられません。最初、その友だちと逢った時、非常に強烈なパーソナリティーで、その時は、気の強い人でこだわりが強いなあ、としか思い、しばらくしてさらに親しく話す機会があった時も、強烈に説教か何かされて、やだなーと思ったものです。
でも、関わりを持つに連れて、じょじょに他の追随を許さないくらいの存在になっていきました。無意識にイマーゴを感知していったのでしょう。
そして、彼女にとってもわたしはイマーゴで、互いに家族のどこかのイマーゴを持っていたのです。
なぜ彼女を引き寄せたのかと言いますと、おそらく単純にそのネガティブな感情を思い出すためだったと思います。普通に生活していたら、ネガティブ感情を思い出す必要がありませんでした。でも、無意識の中では、罪悪感とか、愛したかった気持ちや、家族みんなに仲良くしてもらいたいという気持ちがあったと思うのです。
そして、絶交したのも、わたしは父の実家の人たちを私の母方の味方をしていたことで拒絶していたので、その再体験にあたるのかもしれません。どちらにしてもうまくいかなかった、という再体験にもなると思います。この点においてはこの先どういう展開になるのか、まだわかりません。
とにかくイマーゴである彼女に異常なシンパシーを持った私は、相手が、自分ほど自分を求めていない、特別視していない、大事にしてないという事で、切ない、悲しい、残念な思いを持ち、すっかり精神的にまいってしまったのです。
でも結局、彼女は私がいなくても生きていけるし、自分も彼女がいなくても生きていけるという設定にし、父の実家の人たちも母も、互いに変われなかったのだ、それでいいのだ、という受け入れ方での克服になるのかもしれません。
私的には、シンパシーにもがき苦しみながら、つれない人にこちらから三行半を叩きつける形で、お別れしたという事です。とりあえずは、今の自分を大事にするところから始める感じです。
とどのつまり、彼女はちっとも悪くなく、こちらの一人芝居、よくある片思いの状態ですね。唯一無二とも思われる”親友(=依存先)”をなくし、わたしは、精神的に自立していく道を選んだわけです。
本当にそれは寂しい事で、不安な事でしたが、依存はダンナ様だけでまかなうことにして、1年過ぎたところです。
まだ私の中には、悲しいという思いが完全にはなくならず、そのともだちも自分のイマーゴの問題を解決しないと私と復活するのはないかなって思います。実際は、別の友達たちを介し、会う機会は増えるのですが、他の多くの友達の一人として、関わるしかないのです。
ソウルメイト的な言い方をすれば、彼女こそがツインフレーム、燃えさかる関係です。ただ、彼女の側からだと、他の二人同様のソウルフレーム止まりだったのでしょう。そのズレが、関係を一回解消せざるを得なくさせ、リセットしてからまた関係を再構築するかしないか、考えないとなりません。
(本編第三部第1章参照)
この様に、イマーゴは性的パートナー以外のところにもちょくちょく現れますし、必ずしも親のイマーゴだけでなく、こうやって、祖父母や兄弟姉妹のイマーゴもそれなりに強く現れでてきます。
というつらい体験でした。
キライの裏には強烈なスキ=イマーゴがかくれてる
みなさんも思い当たることがありますか?