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貴族と強者の親和性 ー 穏やか貴族の休暇のすすめ。[ジルとイレヴンを掌握する方法]

前稿では古代ギリシアのドーリア人男性社会におけるパイデラスティアを取り上げました。発端は「なぜリゼル様はスタッドとジャッジを甘やかすのか?狙いは何なのか?あんなスキンシップ込みでいいのか?」という疑問の供養でしたが、あれは疲れました。ぜんぶジャッジが悪いんだ…

今回は対となる二人、パーティメンバーであるジルとイレヴンについて。
「彼らはなぜリゼルにハマってしまったのか?」「リゼルはどうやって彼らに選び取らせたのか?」を双方の視点で整理してみたい
と思います。

⬇️辛かった原稿


「貴族モード」のリゼルに感化された二人

高位の二人を靡かせた心理学における次元的欲求

リゼルの身内4人(ジル、イレヴン、スタッド、ジャッジ)を見ていて度々考えることがあります。それは"リゼルに起点を置く欲求"を抱くのは同じなのに何故こうも違うのか?ということです。
人間の欲求とは何かを改めて考えると、ベタですがアメリカの心理学者で人間性心理学の権威であるアブラハム・ハロルド・マズローが提唱した「人間の欲求の階層」(マズローの欲求のピラミッド)に行き着きます。こういうやつです👇

4と5の間には深くて大きい谷があるわぁ…って作図しながら思いました(こなみかん)

スタッドとジャッジは能力限定で【5】にいけそうなのですがメンタルが追いついていないのでウロウロしています。そこに限定的な【4】を提示された感じでしょうか。他人はどうでもいいと言いながら、リゼルの評価が唯一至上であり、他人はもとより、自分の納得感や自己評価さえありません。高位(リゼル)に認められたいと望んでいるうちは【5】にいけないのです。

対してジルとイレヴンは既に自己を確立しています。通ってきた道は異なるものの、自分の属する世界で高位にある自負を持つゆえに「誰かの言いなりになるのは御免だ」「他人の評価など意味がない」という思考が共通点です。傲慢でも斜に構えているわけでもない、単なる事実として「自分が今更誰かにへいこらしようがない」というのがあるのでしょう。
だからこそリゼルと共にいる理由も"評価の希求"ではないのです。そこにあるのはリゼルを通した"自分"のみ。

まずジルですが、過去稿《その瞳は竜の如く煌めき》でも取り上げた通り、リゼルに惹かれた理由を「自分を高みに導く存在だから」と捉えています。ただでさえ最強なのに、メンタルにおいても【5】どころか「自己超越」という異次元に向かっています
リゼルの評価など求めず、むしろリゼルを使って、リゼルが示す領域を目指し始めます。初期は無意識なので、なんだかわからないが悪くないとか、「コイツといると飽きそうにねぇな」といった感覚ですが、リゼルがジルに怯えることがなかったように、ジルもまたリゼルの高貴に気押されることも、崇拝することもありませんでした。
常に中心には"自分の在り方"があり、だからこそ同じレベルにあるだろうリゼルにも"在り方を変えるな"と言えるのです。

自己超越:
「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく自我を忘れてただ目的のみに没頭し、何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態をいいます。人口の僅か2%しかいないとされています。

「モチラボ」| マズローの欲求5段階説より

イレヴンは自分のレベルや内面がどうとかはあまり興味がありません「自分が楽しければいい」これが第一です。
ただ、捻くれた性格なうえに自己顕示欲が強いせいか内面はもう少し複雑で、立ち位置としては限りなく【5】に近い【4】でしょうか。自分より上位だと認めた相手に従う点は獣人らしさでしょうが、それはリゼルよりもジルに対して発揮されている印象です。

リゼルに付いていくと決めたのは、承認欲求とはまた違う種類の欲求、自己顕示欲の充足です。
イレヴンから見るリゼルは、襲撃中は決してイレヴン本人には注目せず、これまで覚えなかった感情ーたとえば畏怖ーを自分に抱かせた超然とした存在です。リゼルを希求する姿はスタッドたちと似ていますが、リゼルの"評価が欲しい"のではなく、"自分を見て欲しい"のが違いです。
その象徴は、前髪の精鋭も気づいた「期待に応えた時に向けられる褒め称えるような目」であり、リゼルがモチーフとなった劇団ファンタズムの"魔王"が部下に向けるもの。
自己陶酔が入っている気がしなくもないですが、そのためにリゼルを大切にして、ジルが動きやすい状況を作っているので良いのでしょう。

ジルとイレヴンの第2の共通点は「リゼルの貴族モード」

逆に「これをやられたらすぐさま自分はリゼルのもとを離れるだろう」と彼らが仮定しているNG要素も幾つかあります。

  • 自分を飽きさせる

  • 捨て鉢・自己犠牲メンタル

  • 何かを強制したり依存してくる

これらの審査をリゼルが通過できたのは「貴族モード」のおかげではないでしょうか。二人とも、あのリゼルを見て"感化"がスタートしているからです。

貴族とはなんでしょう。我々の世界では、古代ローマから絶対王政が倒れるまでの2000年近くに渡り、「戦う者」=騎士こそが貴族の本来の定義でした。
しかしリゼルは違います。ある意味ではめちゃくちゃ戦っているのですが騎士ではありません。
作中でリゼルを貴族として定義づけている要素は、王族と見まごうほどの高貴と気品、傲慢さ、常識人ぶった非常識ぶり、そして外見的な意味合いではない"美"
それらの全てが、「ジルたちが嫌悪する事態はリゼルに限って起き得ない」と告げています。

リゼルの場合、大貴族ゆえの傲慢さと鍛え抜かれた冷静さ、いつかは陛下の元に帰るという未来志向により"捨て鉢メンタル"はあり得ず、存在が傑出しているだけに他者に依存することもありません。
そのくせ世慣れておらず興味が向けば全力で首を突っ込むので危なっかしい。いろいろな意味で目が離せず、飽きが来なさそうです。

また、リゼル本人は割と好き勝手に休暇世界を歩いていますが、ジルたちに何かを強制したりはしません。パーティを組むにあたっても、ジルには「俺は、君を縛りたくない」と言い、イレヴンには「せっかく離れる機会をあげたのに」と告げています。実際には選択肢なんてないのに、ボールを相手に渡してめちゃくちゃ念押ししてるわけですよ、「本当にいいんですか」と。
その姿勢は3人パーティになってからも基本的に変わりません。

リゼルの美しさ。
序盤に出てくる「知識を食べて生きる魚」の暗誦合戦の最後にリゼルが「美しいと思ってもらえました?」とジルを揶揄いますが、実はこれこそが「ジルのイデア論」と騎士道の根幹に繋がっていきます。
それはまた別の機会に。話がとっ散らかるし長くなりすぎちゃうので。

優秀な人材を逃さない宰相様のエゴイズム Part2

ジルたちがその個性を精査したうえでリゼルと共にあるように、リゼルもまたジルとイレヴンを吟味しています。なにしろ「世界を転移してきた貴族で宰相」という、とんでもない立場なのですから。嫌な言い方ですが「自分と違う特性を持ち、使い物になり、かつよほどの理由がない限り離反しない」そんな人材でないと一緒にいられないのです。
実際、アスタルニアでジルを引き抜こうとしたAランクの冒険者と問答になった時、リゼルはこう言っています。
その程度ひきぬきで離れていくようなら、最初からいりません」

では、隣に並びたい・隣に置いていいと判断したジルとイレヴンはどんな手法で掌握したのでしたっけ。

完成されているから必死で逃さなかったジル

スタッド「誰にも媚びず、誰にも従わない」
レイ「謙遜しなくていい。一刀が君を選んだんだ」
ヒスイ「がんばって従わせられる相手じゃないと思うけど」

"一刀"の孤高のソロっぷりが語られたセリフBest3

ジルが誰かと行動を共にすることが如何に衝撃的か、それが語られたセリフは枚挙に遑がありません。カネにも地位にも人にも興味がない、弱みも特に無い。とうの昔に【5】に到達している冒険者最強は、リゼルをもってしても外的要因でどうこうできる相手ではありません。
ならばどうするか。手放したくないと思わせるしかない。面倒ではない程度に目を離せない興味の対象になるしかない。訴求広告を見せたりサンプルを提供したりではなく、自分の存在をジルの生活に少しづつ差し挟んでいくような手法です。

実際には互いにそれどころの相手ではなくなっていくわけですが(言い方)、リゼルの初依頼の前後を描いた5話『逃さない』はタイトルからして象徴的です。
リゼルは草原ねずみの討伐をしながらジルに魔銃の説明をした直後、わざと自分に向けて空砲を放ちました。反射的に庇ってきたジルの様子から、巨漢のBランクとジルのやり取りに横槍を入れ、ジルを自分のものだと公衆の面前(ギルド)で宣言し、ジルの興味を惹き続けて飽きさせないことを狙った結果の好影響だとリゼルは判断しています。空砲さえバロメーターにするのですから恐ろしい。

それから幾つかの依頼に付き添ったり、アインたちを手玉に取りながら踏破のアドバイザーを務める姿を見たり、迷宮に一緒に潜ったりしているうちに、リゼルの面白みにジルはハマっていきます。根源的には「自分にとってのリゼルの価値」をジルが無意識に見出す過程ですが、リゼルはこの契約期間を「1ヶ月もかけて慎重に関係性を築いた」と振り返っています。
(さすが宰相様、通常の人たらしなら短期決戦なんですねえ)

そのおかげで、契約終了時にあのセリフがジルから出てくるわけです。
そう、「俺が、俺の都合で、俺が望んだことに、お前が口を出すな」「だから、飽きさせんなよ」です。
ジルは言葉が短いし、わかりにくいけれど、きっとこう言いたかったんでしょう。

もとの世界に還る日まで一緒にいてやるよ。文句ねぇだろ。
せいぜいこの世界を楽しんでろ。
俺も好きにしてる。

縛れば逃げるから離れる選択肢を与えたイレヴン

ジルとは反対の対応をされたのがイレヴンですね。なにしろ最初は襲撃側ですし、なるべく排除する方向になるのはやむを得ないところです。

イレヴンは目立ちたがりですし、怯えたり怒りを向けたりする相手を屈服させる刺激を好むタイプの悪党です。しかしリゼルは怯えるそぶりをおくびにも出さず、それどころかイレヴンと身内との境界線をあからさまに引いてみせた
他者に屈辱を与えることを喜びにする者が味わった屈辱。自制が育つ前に自我が強く育ちすぎたゆえにイレヴンは負けたと言えます。

ここまでは愉快犯への対策ですが、イレヴンが本気で「パーティに加えてほしい」とアプローチしてからがリゼルの本領発揮です。
リゼルが取った手段は"追わせる"こと。商品サンプルを提供し、モニターさせるけれど、購入方法がいまいちわからない感じです。

あからさまに内側に入れるそぶりを見せたら、おそらくイレヴンは興醒めしてしまったでしょう。だからリゼルは麻痺毒を自ら口にしてみせるといった荒技や迷宮同行で"君を信じます"と暗に伝えながらも、「俺たちに懐いてるアピールだったらもう十分ですから」や、「どうしてもジャッジくんが嫌なら(パーティ入りは)断っちゃいますけど」と、距離を置くスタンスを見せ続けました。ジルがマスターに「あいつは乗り気じゃなかったみてぇだけどな」と説明したのもその様子からでしょう。

また、この頃のイレヴンはリゼルに「あなたは幼い」と断言されていて、ジルにも「クソガキ」呼ばわりされています。
しかしイレヴンが自己を確立しているのも事実。悪党路線と捻くれぶりが飛び抜け過ぎていて、ある意味で"育ち切ってしまった"存在です。だからリゼルもジルもイレヴンを教育したり矯正する気がありません。その点も良かったのでしょう。

"近くて遠い距離感"の演出と、未完成ゆえの"子供呼ばわり"。
限りなく【5】に近い位置にいる捻くれ者の【4】に自己顕示欲を煽り、自身の内面と向き合わせた。
それで導き出されたのが、あのストレートな「一緒にいさせて」の一言。
物の弾みでもなく、野次馬的な興味関心でもなく、本心から選び取った道だと自覚させること。
なんでしょう…100点満点で78点を取った捻くれ者の生徒に、「80点に届かないなんてまだまだ甘い」と発破をかける感じでしょうか。ちょっと頑張れば合格ライン、一人前になれる段階だからこその手法だったのかもしれません。


ジルとイレヴンがリゼルに感化した理由なんて、物語を読めば一発で察することができるのですが、いざ「なんで?」と問うてみると、案外細かい要素が多いんですよね。哲学とか心理学ってそういうことなんだ…という納得感を得つつ、ジルとイレヴンの差の大きさも改めて見た気がします。やっぱり、竜は凄い。

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