装束と紋章と馬上槍試合の相関ー「結婚商売」にまつわる雑学⑥
マンガ版「結婚商売」が第一部のクライマックスに突入しています。そう、馬上槍試合です。騎士の晴れ舞台、中世最大の娯楽、そしてビアンカがザカリーを案じた通り、現実にフランス国王が死ぬという惨事も招いた危険な公開訓練でした。
(かのカトリーヌ・ド・メディシスの夫アンリ2世のことです)
この馬上槍試合、原作でもやたら華やかに描かれるうえ、主要キャラそれぞれが核心に迫る言動やモノローグをこれでもかと打ってくるので周辺知識なしでも充分楽しめるのですが、目下筆者の辞書代わりである「図解 中世の生活」を読んでいたら、なんと【騎士の装束】と【紋章】と【槍試合】は切っても切れない歴史を持っていると書かれているのです。
こんな面白い話、調べないわけにはいかぬ!!
…と息巻いて紋章学の専門書まで買ったのですが、冒頭で「難解を極める」とジャブを打たれ、1ヶ月以上放置してしまい、マンガ版に追いつかれてしまいました。
馬上槍試合ってそもそも何
まずは「ザカリー・ド・アルノーが優勝間違いなし」との下馬評で賭けが賭けでなくなってしまった馬上槍試合について理解しておきましょう。
これに関して手元のどの資料にも共通して書かれていることがあります。
トーナメントの語源である
馬上槍試合にはトーナメントの語源となったトゥルネイ(団体戦)とジョスト(一騎打ち戦)がある
中世の娯楽
盛り上がりすぎて禁止されたことがある
貴婦人との恋愛を進めやすい場(薔薇を渡すはガチ)
騎士の時代が終わった後も貴族のスポーツや甲冑の壮麗さを競う場としてしばらく残った
試合で使われる主な武器は先を丸めて殺傷能力を落としたランス(槍)だったので馬上槍試合という名称だった(剣のこともあるが剣の方が扱いが難しいらしい)
というわけで「結婚商売」で行われている馬上槍試合は厳密に言えばトーナメントではなくジョストです。
騎士階級の従卒時代のメニューは「馬の世話、武具の手入れ、乗馬、武器の扱い方、格闘術、マラソン、水泳」で、特筆すべき項目が「馬上での槍の扱い」とされています。これらの鍛錬を経て目指すのが武芸を披露する公開訓練であり、その頂点が馬上槍試合になります。
15世紀の貴族の甲冑
設定考証③時代で軽く書きましたが、ザカリーの甲冑はプレートアーマーがモチーフになっていると思います。
また、頭部を保護する兜のデザインはアーメット(英:ヘルメット)です。papagoぶっ飛び翻訳が「投球」と翻訳してくるのは兜のことです。騎士の装束をテキトーに翻訳してくるので大変困ります。
アーメットは15〜16世紀にヨーロッパ各国で普及した可動式のバイザーがついているタイプの兜です。現代のバイク・自動車競技用ヘルメットと同じ機構ですね。
※神聖ローマ帝国はサーリット(スターウォーズのダースベイダーが被ってるやつ)が主流でした。
全体的にどんなものかは「結婚商売」のマンガ版でザカリーの甲冑を見れば概ね外していません。あとピクシブの解説が割とイケてます。
馬上槍試合の装束は凝ってるけど、なんで?
さて馬上槍試合となると騎士の(戦地以外の)晴れ舞台ですから、馬から本人からゴリゴリに凝った装束で出てきます。
アーメットには飾りがつきますし、上半身には紋章をあしらったサーコート(結婚商売ではフランス語のシュルコーと翻訳されます)を纏います。さらには騎乗する軍馬にも紋章入りの外被(カバリスン)を被せます。
単に派手にしたいってわけではなさそう…これ、なんでだと思いますか?
紋章は「騎士の身分証」
紋章は中世の騎士とは切っても切れないものです。戦地では敵も味方も似通った甲冑姿なので、誰なのかわからない。そこで11世紀ごろから盾に個人の意匠を用いることになったようです。なぜ盾だったかというと、戦場で常に携行しているものが盾だったから。そのため初期は盾そのものが紋章であり、やがてサーコートやカバリスンにも用いられました。洋の東西を問わず戦争ものではいわゆる旗指物をよく見ますが、ここまでの用途は旗指物の意匠と同じですね。
ただしヨーロッパの紋章が旗指物の意匠と異なるのは騎士個人に紐づく形で発展したことです。何しろ戦地で個人の判別をしなければなりません。そのため嫡男であっても父とまったく同じ紋章は使えず、地位に応じた図像を加えるなどして区別をつけ、父が亡くなるなどしてから爵位とともに紋章を継ぎました。
実際、蛇殿下ことジャコブの盾の紋章は薔薇のみで、セブランの紋章(ビクトル王の所有)にある光の矢は入っていません。おそらくジョアシャンの紋章もブランシュフォールの紋章(=グスタフパパの所有)とは若干異なっているはずです。
また、婚姻によっても紋章は変化します。例えば”女子相続人”(男兄弟がおらず父の財産・爵位・紋章を継ぐ娘)である女性と結婚すると、夫は女性側の紋章を自分の紋章に加えることになります(マーシャリング)。マーシャリングによって2つの意匠が入った紋章は、妻が先立たない限りは子どもにそのまま受け継がれます。
また戦争等で領地の併呑や分割があってもマーシャリングは実施されます。
盾に複数の紋章があしらわれている意匠を見かけることがあるのはここに理由があります。
というわけで馬上槍試合の装束にやたら紋章があしらわれているのは、この流れがあってのことです。オシャレじゃないんですよ、身分証なんです!
ヨーロッパの騎士・貴族階級の意匠を家紋とは訳さないのも、ここに理由があるわけですね。
紋章官は戦地の立行司
このように図案が複雑化するともう専門家を置かざるを得なくなります。
「結婚商売」原作3巻の自炊翻訳をしていた時、筆者が訳をどう充てるか悩んだのが、トーナメント競技場でアナウンスを務める人の一般名詞です。なにしろここでもPapagoぶっ飛び翻訳でしたから、それらしい名詞が出てこなかったのです。
それで云々唸っていたのですが、「図解 中世の生活」を読んでいたら出てきたのです。紋章官(ヘラルド)という存在が。
紋章制度は国により差異はあるようですが、王の直属にしろ領主にしろ「主君」を持つ存在であり、主君との関連性が一目でわかる専用の装束を身に纏い、平時には紋章調査のため各地を回り、戦争があれば戦地に同行しました。戦地での仕事はもちろん敵味方の判別、死体が上がれば紋章を見ての身元確認。それだけでなく、宣戦布告や和平交渉の使者も務めるなど、中世の戦場における行司役でした。そのため彼らは敵対関係にある地域においても攻撃を受けない立場にあったそうです。死なれたら双方困るので保護されていたのですね。
馬上槍試合の仕切りも紋章官のお仕事
紋章は11世紀ごろの神聖ローマ帝国が発祥とされます。その根拠は紋章学の用語の一つ「ブレーゾン」の語源、ドイツ語のblasen(ブラーゼン)「ホルンを吹く」にあるそうなのですが、ここで馬上槍試合との関連性が出てきます。
この時代の神聖ローマ帝国の馬上槍試合では、出場する騎士は従者に紋章をあしらった盾を持たせて入場し、審判役である紋章官がホルンの合図を受けて騎士の氏名、階級、紋章を見物客に紹介するのが慣例だった、すなわち「ホルンを吹いたら紋章の説明をする」という流れが確立されていたのだそうです。
「結婚商売」38話でも試合前にホルンが吹き鳴らされますし、騎士の入場前に大仰な説明が入っていますが、いずれも史実に則った演出なわけです。
たいへん長く内容も濃く難解なのでまだ読み途中ですが、設定考証・時代考証厨としてはマジで楽しい本です。
もうじき第一部が終わりますね。
次は原作/マンガ版の相違点と時間軸でもまとめようかと考えてます。