自キャラを追って大分・熊本に弾丸した話 ―ハコボタ巡礼 1
「まりりんさん、九州行くってよ」
紀行作家・大神紫をどこへ飛ばすか問題
故あって〝休暇。〟の現代パロディ三次創作『箱庭と牡丹』シリーズを書き始め、「川端康成研究を専門とする日本文学研究者の青年と女子大生の話」などという意味不明な小説を大神先生に連載させてしまったため、私は人生で初めて真剣に川端康成先生について調べ、作品を読む羽目になった。
ハコボタは恋愛物語でありながら極度の恋愛音痴がヒロインだ。私は頭を捻った。どこかで人並みの感情を持たせなければならない。しかし元キャラが元キャラである。恋のライバルとの鞘当てなど到底想像できない。ただ、原作でも距離だったり独りになることについては結構デリケートに扱われていると私は解釈している。「ならば引き離す期間を作ろう」と考えた結果、大神先生をたびたび取材旅行に出すことにした。実際、彼は「本来は紀行作家」という設定であり、孤独な長旅を苦にしない人間だ。
一方、ヒロインの村崎さんは「活字中毒の産業翻訳家」である。本が世界の入口であり、自分の知らないものに興味津々という設定は原作と同じだが、お嬢様育ちで職業も異なるため、彼と同じフィールドには立てない。どんなに願っても、彼女は大神先生についていって同じ経験を積むことはできないのだ。
最初は鎌倉・伊豆・湯沢を数泊で回り、半年後には湯沢へ一週間。二人の関係性は着実に変化していったものの、決定打は出ないまま。というか作品の時間軸において村崎さんが恋の概念と闘争するのはずっと先だった。取材旅行を起爆剤に使うためには、どこかもっと遠いところへ長いこと先生を飛ばさなくてはならない。私は『千羽鶴』『波千鳥』をモチーフに取った。
『千羽鶴』は、昭和24-26年に「文藝春秋」や「小説公園」等複数の雑誌にバラバラに掲載された連作小説の集合体で、続編の『波千鳥』は昭和28-29年に「小説新潮」に連載された作品である。
話の筋は割愛するが、私はヒロイン・文子が〝九州の屋根〟と称される九重連山を単独で越えて、竹田にある亡き父の実家を訪ねた路迂に衝撃を受けた。戦後すぐの時代(私の両親がまだ幼児だ)、二十代前半と思われる独身の女の子がそんな旅に挑むなど、どれだけ止むに止まれぬ思いだったのか。その思いの丈は彼女が主人公の菊治に宛てた手紙からも明らかである。ならば紀行作家であり、史学地理を専攻した大神先生ならば「川端研究者が体験して然るべき旅」とし、自ら取材に赴くはずだと考えた。
私は第一章のクライマックスに先生の取材旅行と村崎さんの精神闘争を設定した。
"ミリ知ら"で書く行き詰まり
私は生まれも育ちも嫁入り先も首都圏である。先生の住むエリアは数駅しか違わないし、鎌倉も実家の隣町だ。伊豆は神奈川の海側民にとってドライブや一泊旅行のメインストリームであり、湯沢は南関東のスキーヤー・スノーボーダーにとってメッカのゲレンデがある。旅行好きだったし、コロナ禍までは出張で日本の各地に行った。つまりここまでの記述で困ったことは何もなかった。
しかし残念ながら私はこの時まで九重連山を知らなかった。それどころか、大分・熊本は仕事でも未上陸である。何も見たことがない。
そこで私は自分の視点を村崎さんサイドに固定した。
先生は山岳地図を読めるし、ちゃんと登山ルートを決めて届も出して旅に出るが、村崎さんはその全てを知ることはできない。けれど『波千鳥』に出てくる地名をもとにGoogleMapを見るくらいはきっとする。
で、実際やってみた結果、GoogleMapは登山道までは割り出してくれないのだ。
その時の愕然とした心情を、私はそのまま村崎さんのセリフに使った。
そして私は旅程を組むのが趣味だ。九重連山や、首都圏との往復について調べ、大神先生の旅程を組むのも楽しかった。ここまではひとりで書けた⬇️インターネット万歳。
ただ、逆に言えば「想像ではここまでしか書けなかった」のだ。旅の最後、夕方に町に下りてきてどうやって帰るか調べたら、なんと大分空港ではなく熊本空港から最終のANAに乗れと出た。しかもルート途中に謎の固有名詞が出てくる。私はクライマックスを前にTLでぎゃあぎゃあ叫んでいた。
ここで奇跡が起きた。「ハコボタ」のモチーフとなった二次創作作品の著者であるフォロワーの峰咲さんがご当地在住なのだ。先生が大分・熊本で乗る公共交通機関について解説していただいた。
そして夫が熊本に最近よく出張する。夫にも取材した。
(もちろん同人のためだなんて言わない)
ふたりとのやり取りのおかげで書けたのが先生の帰路である⬇️
とはいえ、私の中で「現地を見ずに現代の日本を書いた」ことがずっと引っ掛かっていく。その影響は大きく、仕事の状況も相まって「第二章のプロットが起きない」という大スランプに陥った。読者諸姉に取ったアンケートのおかげで番外編を公開したりしてお茶を濁していたが、春になっても断章さえ形にならなかった。
そんなある日、会社の業務メールに人事から通知が来た。
「今年度中に永年勤続休暇を原則連続5日間取得してください」
これほどの僥倖があるだろうか。私は九重に飛ぶことを決めた。
先生が取材旅行に出た10月なんて待てない。仕事の状況もわからない。担当職務の上半期スケジュールを確認して、「6月下旬しかチャンスがない」と悟った。
かくして「恋 ―後篇―」公開の4ヶ月後、私は峰咲さんと共に巡礼の旅に出ることになる。
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