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自キャラを追って大分・熊本に弾丸した話 ―ハコボタ巡礼 1

【おことわり】
このnote「ハコボタ巡礼」シリーズは、川端康成先生の戦後の代表作『千羽鶴』をもとに大分の九重くじゅう連山を旅した記録です。
公開記事として経緯含めてわかるように記述していますが、主旨としては筆者の創作活動をご存知の方(主にTwitterのフォロワー諸氏)に向けたレポートであり、身内ネタも多分に含みますため、川端作品や九重連山についてお調べになっていて偶々ヒットして開いた、という方にはブラウザバックを推奨します。

だってさぁ……同人活動の記録だよ?

「まりりんさん、九州行くってよ」

出発1週間前に紀伊国屋書店で漸く入手した山岳ガイドと、癖に刺さる本

紀行作家・大神紫をどこへ飛ばすか問題

故あって〝休暇。〟の現代パロディ三次創作『箱庭と牡丹』シリーズを書き始め、「川端康成研究を専門とする日本文学研究者の青年と女子大生の話」などという意味不明な小説を大神先生に連載させてしまったため、私は人生で初めて真剣に川端康成先生について調べ、作品を読む羽目になった。

母が本の虫だったため、名著と呼ばれる作品には子供の頃からそれなりに親しみ、自身では夏目漱石作品を率先して読んで育ったものの、どういうわけか川端作品は母に推奨されたことはなかった。先日その理由を聞いてみたが意図的に避けたといったことは特にないらしい。単に母も『伊豆の踊子』以外にはさほど興味がなかったようである。なんたって彼女は池田理代子先生と古典文学の沼人だ。

明治以降の文学は地雷も多いからね

ハコボタは恋愛物語でありながら極度の恋愛音痴がヒロインだ。私は頭を捻った。どこかで人並みの感情を持たせなければならない。しかし元キャラが元キャラである。恋のライバルとの鞘当てなど到底想像できない。ただ、原作でも距離だったり独りになることについては結構デリケートに扱われていると私は解釈している。「ならば引き離す期間を作ろう」と考えた結果、大神先生をたびたび取材旅行に出すことにした。実際、彼は「本来は紀行作家」という設定であり、孤独な長旅を苦にしない人間だ。
一方、ヒロインの村崎さんは「活字中毒の産業翻訳家」である。本が世界の入口であり、自分の知らないものに興味津々という設定は原作と同じだが、お嬢様育ちで職業も異なるため、彼と同じフィールドには立てない。どんなに願っても、彼女は大神先生についていって同じ経験を積むことはできないのだ。

最初は鎌倉・伊豆・湯沢を数泊で回り、半年後には湯沢へ一週間。二人の関係性は着実に変化していったものの、決定打は出ないまま。というか作品の時間軸において村崎さんが恋の概念と闘争するのはずっと先だった。取材旅行を起爆剤に使うためには、どこかもっと遠いところへ長いこと先生を飛ばさなくてはならない。私は『千羽鶴』『波千鳥』をモチーフに取った。

『千羽鶴』は、昭和24-26年に「文藝春秋」や「小説公園」等複数の雑誌にバラバラに掲載された連作小説の集合体で、続編の『波千鳥』は昭和28-29年に「小説新潮」に連載された作品である。
話の筋は割愛するが、私はヒロイン・文子が〝九州の屋根〟と称される九重連山を単独で越えて、竹田にある亡き父の実家を訪ねた路迂に衝撃を受けた。戦後すぐの時代(私の両親がまだ幼児だ)、二十代前半と思われる独身の女の子がそんな旅に挑むなど、どれだけ止むに止まれぬ思いだったのか。その思いの丈は彼女が主人公の菊治に宛てた手紙からも明らかである。ならば紀行作家であり、史学地理を専攻した大神先生ならば「川端研究者が体験して然るべき旅」とし、自ら取材に赴くはずだと考えた。
私は第一章のクライマックスに先生の取材旅行と村崎さんの精神闘争を設定した。

"ミリ知ら"で書く行き詰まり

『千羽鶴』のヒロイン・文子の旅を追う大神先生の取材旅行ルート

私は生まれも育ちも嫁入り先も首都圏である。先生の住むエリアは数駅しか違わないし、鎌倉も実家の隣町だ。伊豆は神奈川の海側民にとってドライブや一泊旅行のメインストリームであり、湯沢は南関東のスキーヤー・スノーボーダーにとってメッカのゲレンデがある。旅行好きだったし、コロナ禍までは出張で日本の各地に行った。つまりここまでの記述で困ったことは何もなかった。
しかし残念ながら私はこの時まで九重連山を知らなかった。それどころか、大分・熊本は仕事でも未上陸である。何も見たことがない。

そこで私は自分の視点を村崎さんサイドに固定した。
先生は山岳地図を読めるし、ちゃんと登山ルートを決めて届も出して旅に出るが、村崎さんはその全てを知ることはできない。けれど『波千鳥』に出てくる地名をもとにGoogleMapを見るくらいはきっとする。

で、実際やってみた結果、GoogleMapは登山道までは割り出してくれないのだ。
その時の愕然とした心情を、私はそのまま村崎さんのセリフに使った。

 リゼルはその晩、書斎から持ち出した川端康成全集を開きながら、文子の辿った道を具に書き出していった。目の前のモニターは大分県全土の地図を映す。
 これは読書ではない。調査だ。そしてジルからの宿題だ。
 昼間ジルが示した様子から、「本当に気になるなら、地図を広げながら『波千鳥』を読み直したら」と言われた気がしていた。文子の足跡を地図に引き、ジルが立ち寄るであろう資料館や川端ゆかりの場所を探し、何日かかるか当ててみろと。
 仕事に関してジルが仔細を語ることもなければ、他者を優先して意を変えることもないとリゼルは理解している。恋人の帰省、飛行機の都合、誕生日……そんなものが大神紫にとって何の足枷になるだろうか。
(中略)
 別府温泉から北上し、西に進路を取って由布岳を回り込み、溶岩台地の日出生台沿いに西進し、豊後森から千メートル級の山渓に入り筋湯温泉へ。九重登山口のひとつ長者原から千五百メートルまで上がって法華院温泉、そして坊ガツル湿地。そこから南下して朽網岐れを経由して最終地点の久住町へ。
 リゼルは各ポイントを地図に入力していき、ルート表示を徒歩に切り替えて絶句した。
「―― ひゃくさんじゅう、ご…」
 別府から久住まで、百三十五キロ。それも、登山道を含めた百三十五キロだ。おまけに地図はどうあっても一般道を通そうとするので、正確な距離はわからない
 文子は途中、湯布院から豊後中村までは汽車を使っている。それでもリゼルの理解を超えた。途方もない数字に見えた。

恋―前篇―

そして私は旅程を組むのが趣味だ。九重連山や、首都圏との往復について調べ、大神先生の旅程を組むのも楽しかった。ここまではひとりで書けた⬇️インターネット万歳。

 文子の道行の描写は十月十九日の神戸港、フェリー「こがね丸」の出航から始まる。おそらく列車で行ったのだろう。翌日昼に別府温泉に着いて地獄めぐりをしてから九重の山々に近づかんと由布岳の麓を回り、湯布院から豊後中村までは汽車に乗り、そこから山越えに入る。竹田に辿り着いた文子から道のりを聞いた伯父たちが驚いたというのは無理もない。『波千鳥』が書かれたのは戦後まだ十年も経たぬ頃だ。九重連山の資料を持って来た出版社の新人が「この山を、女の子のひとり旅なんて昭和の時代に」と心打たれたのも頷けると、ジルはその道行をどこかリゼルに重ねて想像していた。
 ではジルがどういうルートを取るかといえば、現在、神戸〜別府のフェリーはない。海路は大阪〜別府か、神戸〜大分のいずれかになる。ジルは大阪の南港から別府行きのフェリーに乗るつもりでいた。そこからは文子の辿った道に沿うが、川端の成した緻密な描写を追うには文子より日数がかかるだろう。
(中略)
 湯布院はちょうど、文子の道行で山越が始まる手前だ。ベースキャンプとして使う手はある。九月下旬から大分に入れば、別府、筋湯温泉、由布岳、かつて川端が逗留した筌の口温泉、飯田高原の入り口までは見ておける。ある程度、九重連山の雰囲気に触れた状態で対談するほうが相手の話を咀嚼しやすいし、実際ここまでは然して日数を使わないはずだった。九重の描写が細かくなるのは飯田高原から先である。天候さえ荒れなければ最悪でも十月十二日の最終便で戻れるかもしれない。

恋―後篇―

ただ、逆に言えば「想像ではここまでしか書けなかった」のだ。旅の最後、夕方に町に下りてきてどうやって帰るか調べたら、なんと大分空港ではなく熊本空港から最終のANAに乗れと出た。しかもルート途中に謎の固有名詞が出てくる。私はクライマックスを前にTLでぎゃあぎゃあ叫んでいた。

ここで奇跡が起きた。「ハコボタ」のモチーフとなった二次創作作品の著者であるフォロワーの峰咲さんがご当地在住なのだ。先生が大分・熊本で乗る公共交通機関について解説していただいた。

後に二人で弾丸登山するとは夢にも思っていない平和なやり取り

そして夫が熊本に最近よく出張する。夫にも取材した。
(もちろん同人のためだなんて言わない)
ふたりとのやり取りのおかげで書けたのが先生の帰路である⬇️

 十月十一日、季節終わりの台風が近づく大雨の中、ジルは竹田を後にした。
 特急で肥後大津まで出て、日没間際に空港ライナーという名の無料ワゴンに乗り込む。近年の熊本は半導体関連の産業で出張者の行き来が多く、ジル以外は全員がサラリーマンやエンジニアらしき客だ。連山を半月も旅してきたむさ苦しい男はジル一人だ。
 土砂降りの水煙を振り切るようにしてワゴンが田畑の続く道を上っていく。程なくして、高遊原台地の先端に建つ熊本空港の新しいターミナルビルが現れた。
 最終の羽田行きは三十分ほどもディレイし、羽田の滑走路に着いたのは二十一時過ぎ。荷物が出てきたのはさらに随分と後だった。さすがのジルも慣れた羽田に着くや疲れが押し寄せ、モノレールではなくタクシー乗り場に向かえば、悪天候の中を戻って同じく疲れ切った旅人が多いのか、それなりに行列ができていた。

恋―後篇―
(頭の片隅に残しておいてくださいね、最後の太字部分)

とはいえ、私の中で「現地を見ずに現代の日本を書いた」ことがずっと引っ掛かっていく。その影響は大きく、仕事の状況も相まって「第二章のプロットが起きない」という大スランプに陥った。読者諸姉に取ったアンケートのおかげで番外編を公開したりしてお茶を濁していたが、春になっても断章さえ形にならなかった。

そんなある日、会社の業務メールに人事から通知が来た。

「今年度中に永年勤続キャリアステージ休暇を原則連続5日間取得してください」

これほどの僥倖があるだろうか。私は九重に飛ぶことを決めた。
先生が取材旅行に出た10月なんて待てない。仕事の状況もわからない。担当職務の上半期スケジュールを確認して、「6月下旬しかチャンスがない」と悟った。


かくして「恋 ―後篇―」公開の4ヶ月後、私は峰咲さんと共に巡礼の旅に出ることになる。

続く⬇️


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