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ハナちゃん ハワイへ行く 〜私の婚活漂流記〜 ⛵️#6

⛵️Sailing 6: ハナちゃん  帰る港を手に入れる


帰国と結婚🌴

3月末に私は帰国した。
正直なところ、その時には彼と結婚したいのかどうかは自分でもよく分からなかった。でも毎晩のように彼からFaceTimeビデオがかかってくるようになり、連絡がない日はiPadの黒い画面を眺めながら寂しい自分がいることに気がついた。

5月に私は東京で手術をした。その日程にあわせて彼は日本に帰って来てくれた。彼は私が入院していた約1ヶ月間、ほぼ毎日神奈川から2時間近くかけて病院までお見舞いに来てくれた。
彼と結婚しようと思ったのは、この頃だ。

夏休みには私がハワイに会いに行き、結婚することに決めた。

会いに行く前から、結婚することはすでに2人の間で決めていた。
でも私は『やっぱりプロポーズの言葉は言ってほしいなぁ』と思い、彼に伝えると、電話で言うのはイヤだと言う。
5月の手術の時には彼が日本に来てくれたし、こうなったら今度は私がハワイに行くしかない!

私は『ハワイにまた行ける口実ができたぞ』と内心ほくそ笑みながら、ルンルンでハワイに行った。後から考えると、エマさんが言っていた『ハワイでやり残したこと』とは、これだったようだ。

そして彼の誕生日に入籍した。
母から『傲慢・頑固・ぐうたら』の『3G』とあだ名をつけられ、『夢見る夢子ちゃん』と言われた私が、ついに結婚したのだ。
長い道のりだった。


日本人の宿命?💫

彼は年下だ。年齢を聞かれなかったので、私から聞いた。
結婚が決まった頃、彼から言われた今でも忘れられない言葉がある。

私はある時、彼の本心を知りたいと思って、ついこんな質問をした。
心の中でずっとモヤモヤしていたのだ。

「あのさ、結婚するの、年上の私なんかでホンマにいいの?私はもう41歳だし、子どもを産むのは無理かもしれないよ」

普段は年齢を気にしないようにしていたし、『私なんか』という言い方もネガティブできらいだったから、なるべく言わないように気をつけていた。

でも日本で生まれ育った私はやっぱり典型的な日本人で、年齢を気にしないようにしていても、それは本心ではなく、努力して気にしないようにしているにすぎない。だからつい本音を言ってしまったのだ。

彼はそんな私の顔をまじまじと見て、
「日本人の女性はかわいそうだね」
とポツリと言った。

「どうしてそんな風に思うの?僕はハナのことが好きだから結婚したいと思ったんだ。年齢なんて関係ないよ。子どもだって、べつに子どもがほしいから君と結婚したいと思ったわけじゃない。年齢を気にしてそんな風に思ってしまう日本の女性はかわいそうだね。もっと自分に自信をもてばいいのに」

私は彼の言葉を聞いて、自分がとてもつまらないことを聞いてしまったと後悔したが、それ以上に心が楽になった。
年齢という目に見えない呪縛から、やっと少し解放された気がしたのだ。


式場選び🌷

日本への帰国、手術、ハワイに行ってプロポーズ・・・と、この5ヶ月間はてんやわんやだった。いいことも悪いことも、人生の一大事がいっぺんに来た感じだ。

私たちは入籍した当初、結婚式は挙げなくてもいいやと思っていた。
でもやっぱり一生に一度のことなので、家族だけでこじんまりと式を挙げようと考え、式場選びをはじめた。
すると面白いことに、やっぱり友達も招待しよう、お世話になった人達も招待しよう、と少しずつ増えていき、結局そこそこの人数になってしまった。

入籍したこともあり、できれば年内に式を挙げたいと思っていたのだが、私は日本の『THE 結婚式』にはあまり興味がなかったので、『どうしようかな〜』と悩んでいた。

なぜ仏教徒でも教会で式を挙げるのだろうか。しかも本物の教会ではなく、結婚式用に作られた教会だ。私はべつに信心深いわけではないが、普段から親しみのない教会に、自分の信じる神様がいるとは思えなかった。

ちまたで売っている結婚の情報誌やネットの情報にもとんと興味がなかったので、私はほとんど情報をもっていなかった。判で押したような決まりきった結婚式なんて、ちっともやりたいと思わなかったのである。

とりあえず最初に見学に行った近所の式場は、森の中にあって素敵だったが、土日祝日は半年先まで予約でいっぱいだった。

ガッカリしたが、そこに行ったおかげで新しい情報が手に入った。見学の最後に記入したアンケートに載っていた、ある式場名に、私は興味が惹かれたのだ。
なんだか素敵な場所のような予感がした。

数日後、早速夫と見学に行った。
そこはもともと大正時代に建てられたお屋敷を宿泊施設に改装してあった。とても風情があり、私も彼も一目で気に入ってしまった。
近くには小川が流れていて、周囲は緑に囲まれている。空気が清々しい。なんて素敵な空間なのだろう。

最初に行った式場と同じく、土日祝日は半年先までほとんど予約でうまっていたが、とてもラッキーなことに、なぜか一日だけポッカリと空いている日があった。その時期は紅葉が見頃で、例年ならば真っ先に予約が入る日なのだそうだ。
担当の方も『不思議ですねー』とつぶやいていた。

「もうこの日にしよう!」
私たちは即決した。

あとから気づいたのだが、その日は祖父のお葬式があった日だ。
なんだかこれも、おじいちゃんが用意しておいてくれたような気がした。
考えすぎかな。


ドレス?白無垢?👗

もともと、結婚式には子どもの頃からほとんど興味がなかった私だったが、
いざ結婚式を挙げるとなると、あれもこれもと気になりはじめた。

『やっぱり結婚式は白無垢かな』
『でも一生に一度のことだし、ドレスも着たいなー』
ということで、私は両方着ることにした。

ドレスはレンタルショップを3軒見て回ったが、気に入ったデザインのものはサイズが合わず、あきらめた。レンタルショップのドレスって、デザインもサイズも若い女性向きに作られているような気がする。

弟にその話をすると、
「お姉ちゃんはもうアラフォーやねんから、無理しないで着物にしとき!着物やったら体型がバレないで」
と言われた。相変わらず失礼なヤツだ。

でも確かに・・・考えてみるとそうかも、と思い直した。
着物だったらデコルテや二の腕を出す必要がない。ウエストだって、帯を結ぶ位置や着物を前であわせる位置をズラせば、体型が変わっても半永久的に着ることができる。なるほど!

着物って実は万能だと気づいた。今流行りの、究極のSDGs(持続可能な開発目標)なのではないだろうか。最先端の伝統文化だ。

ドレスは結局、親友の知り合いに作ってもらった。
私の大好きなオードリー・ヘップバーンの写真を持って行き、さりげなく体型がカバーでき、なおかつ素敵なデザインのドレスを作ってもらった。
結果的に、料金はレンタルしても作ってもらってもほとんど変わらなかったので、大満足だった。


結婚式🍁

結婚式は秋晴れの爽やかな日だった。
紅葉がとても美しく、小学生だった甥っ子たちは赤やオレンジ、黄色の落ち葉を空高くほうり投げては大はしゃぎしていて、緊張していた私の心を和ませてくれた。

帰国してからの時間はあっという間だった。8ヶ月前はハワイに留学していたなんて、なんだか信じられない。人生、うまくいく時はいくもんだ。

式がはじまり、私が白無垢姿でみんなの前に登場すると、甥っ子たちが私の頭を見るなり、
「ハナちゃん、みる〜く饅頭、月化粧や〜!」
と、大騒ぎだったらしい。関西のテレビで流れているCMだ。

屋外だったので私には聞こえなかったのだが、弟夫婦やまわりにいた人たちは、
笑いをこらえるのに必死だったそうだ。
いや〜ね。

日本文化大好きの夫は、ずーっと紋付羽織袴。長年、茶道をしているので、着物は私よりもよっぽど着慣れている。やっぱり慣れている人は、姿勢や仕草が全然ちがうなぁ。
ちなみに夫はお色直しで着替えてもまた着物だったので、誰も着替えたことに気づかなかったそうだ・・・。


お抹茶とお干菓子🍵

彼が打ち合わせの時点からどうしても譲らなかった希望がある。それは招待客に、これまでの感謝の気持ちを込めて、お抹茶を振る舞いたいということだった。

だから当日は、中庭で野点(のだて)をした。野点傘とよばれる赤い大きな傘を
立ててお抹茶を飲む、屋外でのお茶会だ。
お干菓子は、キレイな色の紅葉や銀杏、鶴亀。なんと彼の手作りだ。
彼が神奈川でお世話になった和菓子屋さんで作らせてもらった。
お干菓子まで作れるなんて、ビックリ。

式には彼が長年お世話になっているお師匠さんやお友達が、遠路はるばる関東から来てくださった。野点では彼がお抹茶を点て、私がお師匠さんや両親に運んだ。
慣れない草履で砂利の上を歩いたので、足元がグラグラ。後から妹に、
「お姉ちゃん、見ていてヒヤヒヤしたわ!」
と言われた。慣れないことはするもんじゃないな。

彼のお師匠さんは70代後半だったが、絶対にそうは見えない。長年茶道をされていると、あんな風になれるのかな。とても若々しく、背筋がピンと伸びている。
お抹茶はアンチエイジングに効果があると聞いたことがあるが、それもあるのかもしれない。

お師匠さんが以前、フランスでのお茶会に参加した際には、彼女の健康と若々しさの秘訣が毎日飲むお抹茶にあるのではないかとフランス人の参加者の間に広まり、みんながこぞって地元のお店でお抹茶を買い占める事件(?)が発生したほどだ。

私は年齢を気にしないように努めているが、それは老化現象をあきらめているわけではない。やっぱり若々しくありたいと思うし、そのための努力は大切だと思う。私もお抹茶をもっと飲もうかしら。


ブーケトスと未婚女性💐

結婚式の中で、私はブーケトスをしなかった。それには理由がある。

私が働いていた職場は女性が多かったので、今までたくさんの結婚式に参加させてもらった。参加すること自体はもちろん嬉しかったのだが、唯一イヤだったのは、強制的にブーケトスに参加させられたことだ。

私が若い頃のブーケトスの方法はとてもシンプルだった。
花嫁が後ろを向き、招待客に向けてブーケを投げるというもの。
参加してもしなくてもよかったし、もらえたらラッキー!という程度だった。

ところが昨今は方法が変わってきた。
たいていが、まず司会者が未婚女性を全員前に集める。誰が未婚女性なのかは事前に把握されていて、わざわざひとりずつ名前をマイクで呼ばれた時もあった。
当時の私からすれば、若い女性陣にまじってアラフォーの私がひとり呼び出される様は、どうにも居心地が悪く、なんだかさらし者にされている気分だった。

そして、人数分のヒモが用意されていて、司会者からヒモが1人ずつ手渡される。どれか1つのヒモがくじ引きのようにブーケにつながっていて、運がよければブーケを手に入れることができるのだ。

参加者が少ないと盛り上がらないので、そういうやり方をしているのだろうと思ったが、いかにも日本っぽい。ヒモはあらかじめきちんと用意されているし、結婚式なのでイヤとも言えない。

主催者側もアラフォーの私を参加させるかどうかで頭を悩ませたにちがいない。
ブーケトスを楽しみにしている女性がいるのも、もちろん知っている。
でも、未婚女性がみんな参加したがっていると考えるのは、もうそろそろやめた方がいいんじゃないのかなと思う。するなら自由参加にしてほしい。
『もういいやん。かんべんしてーな』と私は正直思っていた。

ということで、こんなバカバカしいことはやめようと思ったのだ。
ブーケは記念に家に持って帰った。


結婚して思ったこと🌱

結婚式はこれまでの人生でお世話になった方々に、感謝の気持ちでいっぱいの一日となった。
普段はあまり言う機会がないが、両親にこれまで育ててくれたお礼をきちんと伝えられたことは、よかったと思う。

結婚式というのは、自分のこれまでの人生をふり返り、感謝し、これからの未来を新しい自分自身の家族と一緒に作っていくということを認識する、よい通過点だと思った。

結婚して良かったことは、何だろう?

まず思い浮かぶのは、『私には絶対的な味方がいる』という心のよりどころを手に入れたことだ。

私は当時、裁判中で、人生で最低最悪な時期だった。
ある日、夫と東京へ向かう途中、私は新幹線の中で裁判のことをあれこれと考えはじめてしまった。すると悔しくて悔しくて、涙が勝手にあふれ出て、止まらない。
隣の座席に座っていた夫はそれに気づき、何も言わずにそっと静かに私の手を握りつづけてくれた。私の心は不思議と落ち着いた。

『私には絶対的な味方がいる』という現実は、何度も打ちくだかれ傷だらけになった私の心を、そのたびに癒してくれた。 
彼は安心して眠ることのできる、あたたかい鳥の巣のようなイメージだろうか。
私はフカフカの心のベッドを手に入れたのである。

あの頃のことを思い出すと、今でも夫には感謝しかない。
彼がいてくれたおかげで、私はなんとかその暗黒の時期を乗り越えることができた。彼は神様がくれたギフトだと今では思っている。

もう一つ良かったことは、気持ちが楽になったことだろうか。

それまでの私は、新しい出会いがある度に、『この人がもしかしたら私の運命の人かな?』と考えていた。変に意識して、素直につきあえない。
それがしんどかった。もっと気楽にコミュニケーションを楽しみたかった。

でも結婚すると、もう人生のパートナーは決まったので、そういった余計なことは考えずに人づきあいができるようになる。

『結婚すると自由がなくなる』とよく聞くが、私はそれとは逆に、なんだか『自由になった』気がした。

夫にそのことを言うと、夫も同じようなことを感じていたらしく、2人で「やっぱりそうだよね!」と言い合ったことがある。


晩婚のメリットとデメリット🚑

晩婚のメリットは、何だろう?
正直なところ、パッと思い浮かばない。
晩婚だから・・・どうなんだろう。

夫に聞いてみると、「たくさんあそべる!」と即答された。
あ、そう。
でも「それ以外は思いつかない」だって。

世間でよく言われるように、晩婚はお互いに人生経験をある程度積んでから結婚するので、それぞれの生活スタイルを尊重しながら暮らすことができると思う。
私たちは大きなケンカはほとんどしたことがないし、お互いの主義主張には口出ししない。ただ、それは2人の性格も関係しているのかな?と思ったりするので、
一概には言えないと思う。

では晩婚のデメリットは、何だろう?

私がまず思いつくのは、結婚式に祖父母に参加してもらえないことだ。子どもの頃からお世話になった大好きな人たちに、晴れ姿を見てもらうことができない。
感謝の気持ちを伝えることができない。

私の場合は、当時父方の祖母が生きていたが、92歳だったため、結局は参加してもらえなかった。祖母は足腰がかなり弱っていたので、車イスを用意する案などを伝えたが、祖母は悩んだすえ、最終的に無理だと判断して参加しなかった。
きっとたくさんの人がいる前に出る自信がなかったのだと思う。元気な頃はとてもシャキシャキしていた祖母だったので、思い通りに動かなくなった体がよけいにつらかったのかもしれない。

結婚式が終わった後、祖母に写真を見せたら、とても喜んでくれた。
その2ヶ月後に、祖母は天国に逝ってしまった。
間に合ってよかった。
先に天国に逝ってしまった母方の祖父母は、空の上から見ていてくれただろうか?

私が次に思いつくのは、子どもを授かる可能性がグンと低くなることだ。不妊治療をはじめる年齢が遅くなるので、当然、授かる可能性も低くなる。

私は41歳で結婚してから不妊治療を始め、4回もの子宮筋腫摘出手術を受けた。1回目の妊娠は、安定期に入った5ヶ月目で死産してしまった。
2回、大量出血をしてあの世へ逝きかけたし、2回目はコロナ禍の中、救急車で運ばれた。私の体内の血液はほとんど入れ替わっているらしい。

2回目の妊娠でマリリンを授かることができたのだが、44歳で妊娠し45歳で無事に出産できたことは、奇跡のようだと感じている。

女性の結婚に適齢期はないと私は思うが、妊娠出産には適齢期があることを、実際に経験して初めて知った。
それまでは、まぁ何とかなるだろうと安易に思っていたのだ。

母が私に「早く結婚しなさい!」と何度も口を酸っぱくして言ったのは、母の女性としての経験からだったのだろうと今では思う。

若い頃には、健康で風邪ぐらいしかひいたことのなかった自分が、まさか将来不妊に悩むとは思ってもいなかった。何事も経験してみないと分からないなぁと思う。


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