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Hamra street in Beirut

Mario Takahashi
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1972年12月、中東のパリと呼ばれていたレバノンの首都、
ベイルート。その目抜き通り、当時のハムラ通りは東京の
銀座のようにきれいだった。当時を懐かしんでちょっと
遊んでみました。また古い旅行記から、、

中東のパリ、レバノン・ベイルートの美女

 ベイルートに到着、すばらしい街。
パレスチナ人難民の数も少なかった。
中東のパリ。
ベイルートの街は商店も銀座のように綺麗だ。
女性が多かった。
トルコ、シリアを旅している間はあまり女性を見かけなかった。
また、シリアとかヨルダンなどのアラブ諸国では、イスラム教
信者モスレムの女性はチャドと呼ばれる長い衣装で顔を隠している。
レバノンはありがたいことにキリスト教徒が多い。
顔を隠していない。美人が多い。
中東のパリ。
アルファベットを発明し、地中海を荒らしまわったフェニキアの末裔。
血もイスタンブールのように混じっている。
アラブ、トルコ、フランス、、、、
古くは十字軍。
レバノンの女性がこれほどきれいだとは知らなかった。

世界一周貧乏旅行記「ひとりぼっちの地球街道」出版社:悠飛社

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