【2021/7/29】2年ぶり8度目の富士山
去年は登ることが許されなかった富士山。
今年はどうにか行くことができた。
父60歳、わたし30歳から始まった父娘富士登山。
体調とか天候とか山自体の問題じゃなく、登れないことが起こり得るなんて考えもしなかった。
毎年恒例は当たり前じゃない。
恒例だったものさえ、恒例にできないことあるのだと、身に染みて感じている日々である。
登れることが当たり前でない、有り難いことだと、頭では分かっているけれど、やっぱり登り出してから30分くらいはなんでこんなキツいことやってんだろ?と思わざるを得ない。
特に今年は丸2年のブランク。自粛中の運動不足、猛暑での引きこもり、などなど、不安の要素しかなく、不安でしょうがない。
とはいえ、次第に身体が山に慣れてきて、ああ始まった、今年も登るんだな、と実感が沸いてくる。朝日が昇ってきて(暗いうちから出発するので)、太陽のパワーを感じたり、明るい中に輝く月を眺めたり、赤く染まっていく雲や大地に惚れ惚れしたり、見たことのない光の屈折や反射に出くわしたり、ここでしか感じられない世界がある。
父もわたしも初登山から8つも年を取っている。足取りもかつてほど軽くはないし、残る疲労もハンパない。別に登らなくたって誰も怒らないのに。
それでも登りたくなる富士山。ある意味、義務みたいなもんだけど、それでも行かずにはいられない富士山。登ったら登ったで、足が攣ろうと、こけようと、雨や風に打たれようと、絶対に山頂まで行かないと気が済まない富士山。
山頂からの風景はに心を洗ってくれる。
そして心を解放してくれる。
※8回目を指4本、4本で表現。
また来年も行くのだろう。
とりあえず父が70歳になるまでは行くのだろう。
なぜなら70歳以上は記念品がもらえるからだ。
それまではどうにか、身体を保たねば。
足が攣りまくった父は、これからトレーニングを始めるらしい。