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最後のギリサー

 いよいよ、34歳最後の日。「ギリサーの女」と題してエッセイを書いてきたが(後半失速)、これを書くのも最後となる。
 明日から私は「ニューフォー」になる。新しいベトナム料理のフォーのことではない、新人のアラフォー、つまりニューフォーと命名してみる。こんな造語は二度と使うことはないと思われるが。

 25歳からアラサーを始めて、いよいよ卒業である。「○○代」と言う表現からいつの頃か「アラウンド〇〇」が世間に浸透し始めた。同級生の友人たちはとうの昔にアラフォーになり、しかも数え年37歳の本厄。ひどすぎやしないか。年齢カテゴリーを一段上げられ、そして30代2度目の厄年まで訪れるなんて。かつて偉い人が「その人に越えられる試練しか与えない」と言ったそうだが、それだけ負の落石が次から次に落ちてくる山をどうやって乗り越えろというのだ。

 正直、数え33歳の本厄は思い起こせるような災難はほとんどなかった。そして、34歳(数え35歳)になった頃までどっちかと言うとイケイケドンドンで、やること成すこと良い方向に行っていた。私はこれから新しい世界に飛び立ち、新しい出会いや発見の中で、輝かしい未来を想像することしかなかった。しかし、35歳(数え36歳)を目の前にした私は、不安に苛まれている。自分のこと、家族のこと、将来のこと、仕事のこと、結婚や子供のこと、自分が選んだ道が本当に正しいものなのか、これからどうなって行くのか、幸せや成功って何だろう、考えなくてもいいことまで考えちゃう始末で。

 今までの生活をしていても悩んだろうし、新しい生活を選んだ今もこれで良かったのか悩む。自分がこんなにしょうもない人間だったのかと本当に呪いたくなる。やるべきことはあるはずなのにやる気が起こらなかったり、やってみたら全然出来なかったり、自分が想像していた34歳はこんな感じではなかったはずだ。

 ネガティブなことを書き出したらキリがない。結構ポジティブな方だと思っていたから、本当にネガティブな人はもっと闇が深いのだろうか。それとも実はポジティブじゃなかったのか。よく考えてみたら、情緒不安定なところあるんだった、私。いや、これももしかしたらみんなに当てはまることなのかもしれない。日々起こる様々な事象に一喜一憂して、気分に波やムラがあって人を巻き込んじゃうこともあって、そしたら突然良いことがあってテンション上がってあれなんだったんだろうって思って、でも誰かに言われたちょっとしたことに傷ついて。
 自分が抱えている大きな問題も小さな問題も、本当は大差ないのかもしれない。問題は問題で、解決するのは自分で、受け入れるのも、右から左に受け流すのも自分だもん。
 出来ない自分が愛おしい日も、吐き気がするほど嫌悪を感じる日も、晴れの日も雪の日も、生きていることが素晴らしい。結局これにたどり着くんだな!

 あっぱれ、ギリサー!お世話になりましたアラサー!
 そしてまもなくやってくるアラフォー!私は恐れないぞ!

 結婚線40代にあるって言われたし、友達たくさんアラフォーで結婚して子ども産んでるし、まだ走れるし、来週人間ドッグ行くし、英会話もやっちゃうし、また海外も行くもんね!それで、書いて書きまくるもんね。共感されても批判されても、見てさえもらってなくても、私は私で代わりはいない。誰かにとって必要でありたい、でも自分自身が一番自分を必要としたい!
 アラサーとして生きた10年、楽しかったし苦しかったし嬉しかったし哀しかったし…トントン。だからアラフォーとして生きるこれからもきっとトントン。だって神様は平等だから。さぁそろそろ書くことがない!笑

 ギリサーの女、読んで下さった皆様、ありがとうございました。
 34歳と365日目の麻利央より愛をこめて。

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