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【2021/6/25】説明のつかないこと

脚本を書いていると、

「頭の中でキャラクターたちが自由に話をし始めます」

みたいなこと、あるっちゃある。
後から読んで、こんなこと書いたっけ?って思うことはそこそこある。それが必ずしも”良い”ものばかりとは限らないけれど。

読み返して整合性が取れていなかったら書き直して、全体を何度も読み直して、結局終わりはないので、締め切りまで粘って、エイ!って投げ飛ばす(=脱稿)。

舞台の場合、しかも演出までする場合、そうやって勢いとか流れとか急に入るゾーンとかの時に降ってくる的に書いたセリフについて、役者から「これってどういうことですか?」って聞かれることがある。「どういう気持ちで演じたらいいですか?」って悩んでいる様子が見受けられる。

そういう時は、一瞬、説明がつかない。

「そんなの説明できません!」とはもちろん言えないので、書いた時の気持ちを思い出しながら考えると、答えはちゃんと出る。自分の中でより一層整理できたりして、質問してくれてありがとう!と思う。

でもこうも思う。

正直、人が世間話や適当なムダ話をするとき、すんごく深く考えて話すことってなくない?自分でも何言ってるかよく分かんないことあるよね?それに話した内容の半分以上、忘れるよね?

だからと言って、セリフの説明の義務がないとは言いたいわけじゃないし、舞台上で発せられる言葉のすべてには意味と必要性がないといけない。それが舞台であり、それが脚本のセリフたる理由である。

でも現実を考えると、人の発する言葉のすべてにちゃんとした意味があるわけではないと言いたいだけ。説明のつかない発言や行動は誰しもがするものだから。

誰かがわたしに降ってきて、説明のつかない、が、最高の脚本を書いてくれないかな。

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麻利央書店
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