思いやりには技術が必要
先日、友人の誘いでフレスコボールをした。
フレスコボール??
ご存じだろうか。
わたしはそのスポーツの存在すら知らなかったが、色々と話を聞くうちに興味が湧いて、体験させてもらうことにした。
場所は湘南海岸。
江の島と富士山が見える贅沢な場所。
浜辺でやるので、もちろん裸足。
柄の短い大きなしゃもじのようなラケットと、テニスボールよりやや小さいゴムボールを使う。
わたしはバレーボール出身なので、「素手」でプレーするスポーツのほうが得意である。(別にバスケやハンドボールが特段上手と言うわけではないけれどw)
だからテニスにしろバトミントンにしろラケット系は感覚を掴むまで時間がかかる。つまり、当たればすごいけど、めっちゃ空振りしたりホームランしたりする。
ただ、ビーチバレーは経験しているので、砂浜での動きはそこそこ出来るのではという感覚があった。
そんな具合での初体験。
手練れの皆さんは、写真のように7mラインの両サイドに立ち、自分の場所からほぼ動くことなく、安定したラリーを続けている。ポコンポコンとボールを打つ気持ちの良い音が響き渡る。
初心者のわたしはまず、自分でボールを上に打っての繰り返し練習。なるべくラケットの中心に当てて、なるべく動かずに続けられるように心がける。
入門練習をある程度したら、今度は二人一組での打ち合い。
ただ、ルールに則っての7m幅のラリーなど到底できないので、まずは近い距離からスタート。
先に述べたように、フレスコボールとは『思いやりのスポーツ』なので、相手を思って、想って、おもい尽くして、そのボールを、「打つ」というよりは「届ける」という優しい気持ちで扱わねばならない。
ラリーを続けなければならないのだから。
向かいに立つ相手は、敵ではないのだから。
しかし、
その心持ち空しく、ボールはあっちこっちに跳ね回り、相手を駆けずり回すことになった。結局、相手が動けば自分も動くことになる。経験者の方をも激しく動かしてしまい、申し訳ない気持ち。
途中から、近くに住む大学時代からの友人(バスケ経験者)が子どもを連れて遊びに来てくれて、とにかく打ち合って練習。二人とも体育会系出身なので、負けん気と根性だけは強い。どんなにボールが飛んで行っても、飛び込んで、走り回って、続けようとする。
子どもに当たらないようにだけは気を付けながら…
これはもう、フレスコボールなのか…???
ボールはいつまでも思い通りに飛んでくれない。
そのうち、思いやりの精神を忘れて、意地の領域。
ボールが落ちるたび「くそぅ!」と叫んでしまう。
体力だけはそこそこあるので、とにかく練習あるのみ。
打って、打って、打ちまくる!
重ねた練習の分だけ、ほんの少し、ほんの1ミリ、上達したかしら。
ラケットの向き、打つ力、身体の使い方、どれかが少しでも狂えば、思った場所にボールは飛んでいかない。
どんなに思いやりを持ってプレーしたとしても、技術や知識が付いていかないことには、相手の打ちやすい場所にボールを届けることはできない。
思いやりには、技術が必要。
そう痛感した。
これって、何か、いわゆる「思いやり」もそうだなと。
ただ独りよがりの思いやりは、時に「ありがた迷惑」、時に「余計なお世話」というやつに変形する。
「思いやりを持って」と簡単に言うけれど、実は簡単にはできない。
相手が何に困っているか、どういう状況かを理解した上で、自分に出来る範囲で、押しつけがましくなく、相手に気負わせることなく、さりげなく手を差し伸べることができるのが、「思いやり」。
それって、人としての技術なんじゃないかと。
フレスコボールが思い通りにできないことで、わたしは思いやりの本当の意味とは何かを考えるに至った。
あぁ素晴らしき哉、フレスコボール!
フレスコボールを通して、思いやりの精神と向き合う機会を得て、もっと競技を理解して、もっと技術を修得した先に、人として、そしてフレスコ共に、本当の「思いやり」に出会えるのかもしれない。
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