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諦めと受け入れ PART Ⅱ
昨日書いた記事。
内容は読まれたし。
なのだが、簡単に言うと、独白っぽさと愚痴っぽさがあって(もちろん調節しているよ)、読み方によっては病んでるようにも見えなくもない文章。でも意外と言いたかったことも結構盛り込めていて。上手く書けたとは思わないが、嫌いではない、ただ誰かに読まれるのはちょっと恥ずかしさも感じる、日記とブログの中間に位置する文面。
こういう文章を書いたとき、いつも迷う。
Twitterで拡散するかどうか。
noteのフォロワーは108人(2022/1/26現在)、一方のTwitterは3500人ほど。数の多さはもちろん、顔見知りの繋がりが多いのは断然ツイッターである。だからリンクを貼ってツイートすると、しないよりも当然たくさんの人に読まれる可能性が上がる。そして知り合いに読まれる可能性も上がる。
でもnoteに書く以上、記したいという気持ちと共に、どこかでやっぱり読まれたい気持ちがあるは確か。共感してもらったり、異なる意見をもらったり、誰かの何かの琴線に触れたいと願っている。
だからツイートした。
確かにビールは飲んでいた。
ちょっとだけ「まあ、いっか」という気持ちでツイートボタンを押した。
寝る前に、再びツイートを開くとリプが来ていた。
劇団の先輩方からだった。
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2002!?
誰ヨ、2002なんて書いたのは?
2002って埼玉スタジアムかよ!
わたしの世界線20年遅れてるの?時空ゆがんでたの?
タイトルにも、文面にも、ハッシュタグにも、全部2002が使われていた。もちろん2022と書きたかった。間違いである。でも完璧に間違い過ぎて、逆に、逆の逆に、訂正する気すら起きなかった。
これはつまり、諦めであり、受け入れである。
冒頭の文章で、
外面がいいとは思わないけれど、一見ちゃんとしてそうには見せてる。仕事はそこそこ出来るほうだと自負しているし、人間関係もそんなに苦労したことがない。そしてこれまで借金をしたり、深い恨みを買ったり、路頭に迷ったりしたこともない。
って書いてるけど、ちゃんとしてなさそうだし、仕事出来ない奴の感じがプンプンする。内容と中身の齟齬がすごい。恥ずかしい通りこして、ちょっと笑える。先輩方も楽しくいじってくれて感謝しかない。
身をもって諦めと受け入れを感じた夜。
そして、文章読んでもらって、嬉し恥ずかし朝帰り。
わたしは沈没船のモンキーガール、決戦は金曜日だってさ。
from ドリカム
※今日は酔っていない
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