専用車両は居場所がない。⑥両目‐完‐
「さっきまでいたのに…どうして」
「やっぱ、いませんよね」
「は?」
「あ、いや。大丈夫です。ありがとうございます」
僕は子ども専用車両の中を通り抜けようとした。アンパンマンのアニメ、絵本、音の出るおもちゃ、僕もかつて親しんだものがそこには転がっていた。どんなに時代が進んでも、子供の心を捉えるものはそう変わらないのかもしれない。そして、それ以外の車両にいるのは、スマホから目を離せない大人たち。僕が青春を過ごした時代から年月が経っているはずだが、こちらも変わらないようだ。一体僕らは何を見ているのだろう、何をその小さな機械に求めているのだろう。
ひかりちゃんを探しながら、僕は自分のいるべき場所を考えていた。今の僕にはどの車両に乗っていいのか選ぶことができない。過去からやって来て、家族も友達もいないこの世界で、何に属して生きて行けばいいのだろう。個性を求めず生きてきたはずなのに、何かに属して色に染まりたいという欲望があるなんて思いもしなかった。
いろんなことを思案しながら歩いていたら、ふと目の前に違和感を覚えた。次の車両のその先に線路が見えたからだった。つまり、一番先頭の車両の手前まで来ていたのだ。次の車両にひかりちゃんがいなければどこかで降りてしまったか、もしくは後ろの方の車両に行ってしまったのかもしれない。降りてなければいいけれど…そう思いながら連結部分に立った。
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私は祈るような気持ちだった。ひかりは高齢出産で生まれた子で、私の生きる希望。あの子がもしいなくなってしまったら、生きている理由なんてないのかもしれない。こんな私を母親に選んでくれたあの子が誰よりも愛しい。私は母親になれたことでこの世にいる存在意義を見つけることが出来た。口も利けない、耳も聞こえない私でも、この世に存在していいんだと。
あの青年が探しに行ってくれてから、もう10分は経っている。彼を信じるしかない。
羽田光―ハダヒカル。
思い出した。彼はかつて冷凍され、幾年を経て復活し、病気を治して、この世で再び生きている人間だ。一時期とても話題になった。当たり前のように電車に乗っているなんて。でもどうしてか、彼の眼は少し寂し気に見えた。彼もまた自分の居場所を見つけることができていないのかもしれない。
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わたしは一番端っこまで来た。線路が見えてちょっとだけ嬉しかった。端っこなんて初めてだったから。ここに乗っている人たちはどんな人たちなんだろう。20人くらいいる。ボーっとしているようにも見えたし、何かに気付いたみたいに真っすぐな目をしているようにも見えた。でもわたしはずっとここにはいられないって思った。ふとママに会いたくなった。でもこども専用車両には戻りたくない。どうしたらいいのか分からなくなって、涙が出てきた。
そうしたら、うしろで誰かがわたしの名前を呼んだ。
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最後の車両の扉を開けたら、一番先頭に小さな女の子がいた。彼女はピンクのワンピースを着てポニーテールをしていた。間違いない。僕は揺れ動く車両の中、バランスを取りながら真っすぐ歩いた。信じられないくらい、体制を崩さずに、真っすぐ歩けた。会ったことのない誰かの力が働いているようにも見えた。小さな背中は近くに行っても小さかった。少し、震えているように見えた。
「ひかりちゃん?」
一瞬、彼女の肩がビクッとしたのが分かった。そうして、ゆっくりとこちらを振り返った。その瞬間、潤んだ左の瞳から一筋の涙が流れた。そこには小さなホクロがあった。彼女の眼は真っすぐに僕を見ていた。
「ひかりちゃんだよね。お母さんが探しているよ」
「ママが?」
「そう。探してほしいって頼まれたんだ」
「ママ、怒ってない?」
「心配してる。とっても」
「お兄ちゃん、誰?」
僕はどう答えていいのか分からなくなった。彼女にとって何者でもないからだ。そして僕は僕を形容する言葉を持ち合わせていない。今までと違う車両の雰囲気に辺りを見回した。色がない。匂いも、特徴も、偏った動きもない。一体ここは何の車両なんだ?唐突に僕は焦りを感じた。
「ねえ、お兄ちゃん」
ひかりちゃんに呼ばれ、我に返った。でも自分をどう説明したらいいのか分からない。彼女にとって僕は見知らぬ大人で、不審者に思われかねない。戸惑っている僕に彼女は聞いた。
「ママは、どうやってお話したの?」
「え・・・動きと・・・スマホで」
僕の返事を聞いて、彼女は笑顔になった。
「ねぇ、お兄ちゃんはいつもどの車両に乗ってるの?」
「・・・分からないんだ」
「ひかりはね、ここが好き」
「ここ?」
「ここはね、何でもなくていいの。そのままでいていいの」
僕は車両の中の表示を探した。すると、
【無個性専用車両】
僕はハッとした。周りの人たちをよく見ると、僕と同じような目をしる気がした。この世の中で無個性であることは許されないと思っていたけど、ちゃんとここに居場所があった。同じように自分の専用車両を見つけられず彷徨っている人たちがちゃんといたのだ。いつか僕は自分の車両を見つけられるだろうか。
ひかりちゃんと手を繋いで、仕事専用車両に戻ると、全身の緊張が解けて泣きそうな笑顔の母親がそこにいた。ひかりちゃんは母親の元に走っていった。母親は深く深くお辞儀した。
「ひかりちゃん、子供専用車両は好きじゃないみたいですよ」
僕はスマホに打ち込んで見せた。母親は一瞬戸惑いを見せたが、ひかりちゃんと向き合って頭を優しく撫で、その後強く抱きしめた。それだけでひかりちゃんは嬉しそうだった。その姿を見届けて僕は電車を降りた。
それから僕は何度も電車に乗ったが、無個性専用車両に出会うことはなかった。もしかするとあれが奇跡の車両だったのかもしれない。僕はもう自分の車両を探さない。目の前にやって来た車両に乗るだけだ。
🚋 完 🚋
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