すべてを恥じない
自分がやってきたこと。
通ってきた道。
自分が好きなこと嫌いなこと。
大切にしているもの、忘れたくないもの。
自分が一緒にいる人。
友達や家族や、関わってきた人たち。
今の自分を、
その全てを、恥じない。
ふとした瞬間に、
或いは常日頃から、
これでいいのか、このままでいいのか。
これが望んだ姿か、これがあるべき姿か。
この問いに猛烈に襲われることがある。
今いる場所が間違いのように思えて、
でもどうしても抜け出せなくて、
泣きたくなることがある。
でも次の瞬間に、
或いは別の思考がよぎった途端に、
お腹空いた。眠たい。おしっこしたい。
単純な欲望に覆われて、その行動に走る。
アルバイトに日々の時間を食われているわたしは
本当はなりたい自分があって、みんなに見せたい姿がある。
その一方で、日々アルバイトに勤しんでいるわたしは
お客さんが好きで、仕事が楽しくて、これも悪くないと思っている。
舞台に立ったり、脚本を書いたり、テレビに出たりするわたしは
少し鼻が高くして、いい顔して、前向きなことを言ったり書いたりする。
その一方で、たまに注目してもらえるわたしは
もっとすごい人は五万といる事実を誰よりも意識していて、苦しんだり羨んだりする。
仲間を連れて山に登ったり走ったりするわたしは
気持ちよく駆け上って、山頂からの景色を堪能して、幸せを感じている。
その一方で、山を走るトレイルランの大会に出るわたしは
自分より遅そうに見える小柄の女性に先を越されて、ひどく落ち込む。
理想と現実の違いは常にわたしにぶち当たってくる。
シワや白髪が増えたことも、疲れやすくなったことも、自分や親の健康の話が増えたことも、容赦なく攻撃してくる。
だが一方で、それらの攻撃をかわす自分なりの術も身に着けてきている。
諦めたり、受け入れたり、抗ったり、無視したり。
そうしてここまでやってきた。
そんな自分を、誰が恥じることがあろうか。
わたしが恥じなければ、誰も恥じることはない。
わたし以外、誰もわたしを恥じることなどできない。
どんな自分も、恥じる必要などない。
売れたいけど売れてない自分は、売れることを求めるのはもう止めよう。
もっと目立ちたいけどそのステージに立てない自分は、目立つことを諦めよう。
とにかくお金をたくさん稼ぎたいけどその仕事がない自分は、貧乏であるしかない。
そう願うことは、恥ずかしいから。
いいえ。
何も恥ずべきことはない。
わたしはわたしらしく、
いつまでもなりたいものを目指して、
食べたいものや行きたい場所に忠実で、
もし今がそれに近い状況や環境になかったとしても、
それでも自分が望むなら、
恥じることなく進んでいけばいい。
そのスピードだって、急だったり猛だったりしなくてもいい。
自分に恥じない人生を
自分が選んだ道を信じる力を
わたしは、すべてを、恥じない。
世界各国から旅行者が集まる、デンマークはコペンハーゲンの人魚姫の像の前で、同じポーズをしたのは恥ずべきことかもしれない。
親が撮影に手間取って、この姿で数分晒された。。
海外だとこういう「恥」ができてしまうのが怖いところ。