イベントへの道 ー5ー
これまでの自分を振り返って振り返っていると、海馬の奥底に仕舞っていた記憶が蘇っている。人とは不思議なものだ。忘れたくないものは忘れないのに、忘れなくてもいいものは忘れてしまう。
カテゴリー分けすると「大切な記憶」「楽しかった記憶」の分類に確実に入るはずなのに。
でも大丈夫。思い出す行為の中で、やっぱり「大切で」「楽しかった」ことを再認識できるから。忘れることは悪いことじゃない。一旦タンスの奥にしまっておいたお気に入りの洋服のようなもので、取り出したらまた自分のテンションを上げてくれる。
そうした記憶や思い出をもう一度読み返していると、「生み出す」ことは自然発生的に起こるものじゃないということに気付く。
もちろん日常の中の発見や気づき、感動や後悔、まれに起こる偶然や運命みたいな経験(自他のもの含め)を積み重ねて、ひとつの作品を作り上げていくのだけど、受け身でいてはその経験は発生しにくい。
ある意味、意図的に、発生させないといけなくて、私はそれを怠っていたのだと言うことにも気付かされた。
関西にいた時は書きたいことやアイデアが(盛って言うと)常にあった。でも東京に出てきてからは、徐々に減っているような感覚がある。
上京した当初(6年半前)は、脚本コンクールに作品を提出したり、コロナ禍は配信ドラマをつくったり、所属する劇団の若手公演で脚本演出を担当したり、noteで作品を書いたり、何かしらを作り上げていた。
でもここ数年、書きたい、書かねば、と言う気持ちが薄れている。
もう自分は書けないのか?
売れっ子の直木賞作家が言いそうな悩みを、何にも当ててないわたしが発するのもおこがましいのだが、そんな思いすらよぎってしまう。
しかしそれは、生活や環境のせいとか、仕事のせいとか、他に楽しいことややるべきことがある・・・どうにでも言い訳はできるけれど、つまるところ、書く努力をしていない、だけである。
それを、「振り返り」を通して気付いてしまった。
関西にいた頃、たくさんの人たちの力を借りて、たくさん行動していた。
色んな人の話を聞いたり、面白い人を紹介してもらったり、やってほしいことややりたいことを頼んだり、誰かと何かを一緒にやったり、していた。
少し無理しても、失敗しても、お金にならなくても、「死にはせん」の精神で、立ち向かっていた。
あれは若さがあったから?
とにかく売れたかったから?
もちろんそれはある。
本当に、わたしの中の、あの日誓った決意の灯は消えてしまったのか?
それを確かめたくて、イベントをすることにしたのである。
書いたり、生み出したり、表現したりすることは、しんどい。
言葉ひとつをとっても、意味を調べたり、使い方を考えたり、例えてみたり、時間がかかるのである。でも嫌いじゃない。まだ、向き合える。
もう一度、生み出すことと真っ向勝負できた時、次の道が見えてくるかもしれない。
【トップ画】
2016年6月フリライターイベント1周年の時のチラシ。
作:オホカナコさん
お芝居3本立てて、事務所の同期、和泉大輔、竹本真之(曽我廼家桃太郎)とわたしの3人主演で行った。他にも仲間が協力してくれて、とても実のあるイベントとなった。