ポッパという山
旅のくだらない噺手帖「ミャンマー・ラオス旅編」
前回『朝日に会えなくて、夏。』も是非お読みください。
見えなかった朝日の後、私たちはホテルをチェックアウトし、とあるツアーに参加した。ポッパ山へのバスツアーである。山の上に寺院があると聞けば、山登りが趣味の私は行かずにはいられない。いつもよりもスポーティないで立ちで迎えに来たバスに乗り込んだ。
シェアバスだったので至るところで旅行者を拾い、最後にはドライバーの娘まで拾い、バガンの町を出た。途中、ヤシの木を加工する場所に寄り道をして、どこかもわからない田舎道を走っていく。
バスに揺られること1時間半。ようやくその山は姿を現した。
確かに山の上に寺院がある。煌びやかな寺院が。
標高は737mあるという。日本百名山で一番低い筑波山より100mほど低い。しかし山というよりは岩と呼ぶ方がふさわしい。どうやって登るのだろう。近くに行ってみないと分からなさそうである。ちょっとしたお土産物屋を抜けようとして、ふと視線を感じた。
イヌとサルだ。犬猿の仲と呼ばれている通り、適度な距離を取っている。サルに至っては体操座りだ。ジッと旅行者の動向を見つめている。サルには注意するようにツアー会社のお兄さんに言われたことを思い出した。ちょっかいを掛けると攻撃してくるのだと。こちらも適度な距離を取って、彼らの下を通り抜けた。
山とは言え、ここは寺院である。いつものように靴を脱いで、裸足になる。そこからは永遠と続く階段を昇って行くというわけだ。ひんやりとした階段を一段一段登っていく。階段は屋根で覆われているので、上が見えない。果てしなく遠く続きそうな気がして、頭の中にはガンダーラが流れ始めていた。
お参りを終えて、下りてくる人たちともたくさんすれ違う。それだけ信仰されている山ということだ。なかなかの傾斜である。休み休み行かないと結構しんどい。
階段の掃除人も各所に配置されている。まさに今サルたちが出したであろうアレをモップで拭いてくれてはいるのだが、どう見ても「拭く」というよりは「広げる」と表現した方が良さそうな掃除方法である。もしかしたらこれも山の洗礼なのかもしれない。ほんの少し、つま先立ちで歩いてたのをいつからか止めた。
頂上にある寺院に着いて、黄金色の寺院をカメラに収めたり、山からの景色を眺めたりしていた。疲労度はそこそこ高かったが、頂上の解放感は何とも言えない。
サルたちは相変わらず、我がもの顔でそこかしこにいる。適度な距離を保ちながらも、サルとの記念撮影に成功した。彼らは仲間だと思ってくれているかもしれない、そう考え始めていた。
しかし、我々の考えは甘かった。
我々と同じバスで来た中国人女性のペットボトルを奪ったのだ。歯で強引にキャップをこじ開け、水を一気飲みしたのである。飲んでいる様はお行儀が良いように見えるかもしれないが、その姿は手が出せぬほどの迫力があった。この山の最大権力者はサルなのかもしれない。サルとの距離感を学んだポッパ山修行であった。
帰りのバスに戻ると、天使がいた。
ドライバーの娘ちゃんである。最初に乗って来たときは人見知りを発令し、コチラが話し掛けてもパパに隠れてしまっていたが、帰りにはこの笑顔を見せてくれるようにまで打ち解けた。買ってもらったグアバ(多分)を美味しそうに食べていたので、「ちょーだい」と手を出したら、ふたつもくれた。塗りたくったタナカに負けない可愛らしさで、友人は彼女の写真を50枚以上撮っていたのではないだろうか。叔母さんレベルにメロメロになっていた。
山に登ると張り切って向かったポッパ山ツアーだったが、一番に思い出すのは、娘ちゃんにもらった甘くないグアバの味と、土産物屋に売っていた誰だか分からないオッサンの置物である。