僕のアイドル
「今日も聴いてくれてありがとー!」
ステージ上から観客に向かって手を振り、君がひと際大きな声をあげた。
汗で束になった前髪が額に張り付いて、いつものキメ顔とはちょっと違う。だけど、こっちの君も好きだな、と僕は思う。
ライブは終盤に差し掛かっている。時間的に、次が最後の曲だろうか。
今日も楽しかったな。今日も良いライブだった。
もうすぐお別れの時間が来てしまう。名残惜しいけど、仕方ない。次に会えるまで、君の姿をしっかり焼き付けておこう。
僕より前にいるファンたちの頭の隙間を縫って、一番よく見えるポジションを探した。もっと背が高かったらよかったのにな、と、ライブに来るたびに小柄な自分を呪ってしまう。
ステージ上では、君がアイドルを目指したきっかけや、何度も落ちたオーディションのこと、デビュー直後は片手で数えられるくらいのお客さんの前で歌っていたことなどを振り返っていた。僕が君を追いかけるようになってしばらく経つけど、この時の君を僕は知らなくて、もっと早く出会いたかったと、悔しい気持ちになる。その時の5人の観客に嫉妬する。
いつも通りのMCだった。
だけど、いつもと違うなと感じたのは、最後の方、君がこれから目指している舞台の話をした時だった。
憧れだったあの舞台に、私はいつか立ちたい。立って夢を叶えたい。その姿で、多くの人に希望を与えたい。
そう言った時。
ふと。
マイクを両手で握りしめて、声を振り絞るように、君は小さな身体を二つに折り曲げた。
「私は絶対に、絶対に大きなステージに立つから。絶対に夢を叶えるから、これからも、私についてきてください…!」
その声が、語尾が、微かに震えていた。
見ると、いくつものライトを浴びて浮かびあがった君は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「うおー! いいぞー!」
「がんばれー!」
「絶対行けるよー!」
君が決意を新たにしたと受け取った周りの客は、君に負けじと大きな声援で応えていた。その表情の意味も、今日のライブの成功に感極まっていると思っているのだろうか。
だけど、僕は何も言えなかった。
「こわい」
震える君から、そんな声が聞こえた気がした。
一人夢に向かい、力強く突き進む君。
どんな場面でも楽しそうに歌い、踊り、僕たちに笑顔をくれる君。困難に立ち向かう姿さえ眩しくて、僕はいつも目を細めてその姿を眺めていた。
ついてきてくれる人も、応援してくれる人も、たくさんいるように、僕には見えていた。現に、今日だってたくさんの人が観客席に集まっている。
でも、君はいつも不安だったんだね。
もしかしたら、このまま夢は掴めないんじゃないか。
そもそもこの先に、夢なんかないんじゃないか。
今は周りにいてくれる人も、いつか離れてしまうんじゃないか。
気が付いたら、一人になってしまうんじゃないか…。
そんな未来を考え、振り払い、でも離れなくて、毎日毎日不安と戦っていたんだね。
ふいに見てしまった、君の怯え。
一人にしないで。どこにもいかないで。ずっとついてきて。
ずっと私を見ていて。他の人なんか見ないで。
お願い。
その表情から、全身から、隠しきれない声が、確かに聞こえたんだ。
たぶん、僕だけに。
その時、僕は猛烈に反省した。
今まで気づかなくて、ごめんね。
何も知らずに君から幸せだけをもらっていた僕を、どうか許してほしい。
僕は決めた。
僕の全てを、君に捧げよう。僕が持っているもの全部君に費し、君を夢に近づけよう。
大げさじゃなく、永遠に。僕が死ぬまでずっとだ。
僕は君以外、もう絶対に見ないから。
他の人たちが離れていったとしても、僕だけはずっと君を見ている。一人にしない。
だから安心して、前だけを見て進むといい。
僕がそばにいるから。
君が夢をつかむまで、ずっと。
君が夢をつかめなくても、ずっと。
イントロが流れる。
マイクを右手に持ち直した君の顔からは、すっかり怯えは消えていた。いつも通り、太陽みたいに僕を照らす、大好きな笑顔だった。
「それでは最後の曲です。聴いてください、『ナズナ』」
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