たかが目玉焼き、されど目玉焼き
わたしは目玉焼きを両面焼く。
カリカリした食感が好きで、半熟の黄身が苦手だからそうしてる。
子供の頃の食卓には、作る時にフライパンに蓋をして、中まで火を通してしっとり仕上げたものが出ていた。家族みんなで、醤油を付けて食べていた。
でも、自分で作るようになり、両面焼いた方が断然おいしいことに気づいた。味付けも、塩コショウのみで十分だ。
大学生だったある時、仲の良かった男の子とそんな話をしていたら、笑いながら言われたことがある。
「え。じゃあお前とは結婚できないな。俺は断然、半熟派だよ。」
わたしはその言葉に、結構な衝撃を受けた。
「お前とは結婚できない」とはっきり言われて、実はその人のことが好きだったと気付いたから、ではない。彼に対して恋愛感情を持ったことは一切ない。
驚いたのは、結婚する相手を考える要素として、「目玉焼きの焼き方」を考慮する人がいるんだ、ということだ。
お互い好きで、ずっと一緒にいたいと思えればいい、とその頃のわたしは思っていたけれど。
目玉焼きのような小さな違いで、そんな相手と結婚に至らなくなる可能性がある、というのを、これまで想像もしていなかった。
「…え、でもさ。先に自分の目玉焼きを焼いて、ひっくり返したタイミングでもう一個卵を入れれば、両面目玉焼きと半熟目玉焼きが同時にできるんじゃないかな」
わたしはその男の子と結婚したかった訳ではないけど、ちょっとムキになって言い返した。小さなすれ違いなんて、努力と工夫で乗り越えられるのではないだろうか、と思ったのだ。そんな小さいことで、相思相愛の相手と一緒にいられないとしたら、なんていうか、悲しい。
それに対し、何と返されたかは覚えていない。
ただ、「何? 俺と結婚したいの?」と笑われて、全力で否定した記憶だけが残っている。
それから数年。
わたしが結婚した相手は、「目玉焼きは半熟派」の人だった。しかも、黄身を割るとお皿に流れるくらいのトロトロ派だ。
わたしが絶対食べないやつだけど、時間差で焼く方法で、今のところ問題なく朝食を乗り越えている、と思う。
今朝は、火を入れすぎてちょっと注意された。だけど特に問題なく過ごせている、と思う。
結局、一緒にいることにおいて何が大事な要素なのか、今でもよく分からない。