横浜らしい、もしくはマリノスらしいゴール裏って、どんなイメージなんだろう。
うっちです!
「こんな歴史がありました。」
「今、こんな出来事が物議を醸しています。」
近頃のSNSで散見されるのは、過去や現在の、既に起こった出来事に対する話ばかり。
勿論、これまでどんな出来事があって、どのようにして今が作られているのか、というのはとても興味深くて楽しいお話だと思います。
それでは、マリノスのゴール裏って一体どこを目指しているのでしょうか。
視点をグッと上げ、未来を見渡してみます。
ゴール裏論争、どうして?
月並みなフレーズですが、応援の形というのは十人十色。
「ゴール裏」や「応援」に拘らないのであれば、25704人の観客が動員されたスタジアムには25704通りの楽しみ方があるとも言えます。
勿論、スタジアムに来る目的は1人につき複数あって当然なのですから楽しみ方はより多岐にわたるでしょう。
僕自身、マリノスを見る事そのもの、応援の場に居るということ、スタジアムでのご縁やケバブ丼など、あげればキリがないほどの楽しみを抱えながら毎週横浜まで通っています。
僕と一緒に過ごしてくれる仲間たちでさえも、マリノスを見る事や応援の場にいることなどといった共通点はあれど、写真に残すこと、夫婦で過ごすこと、戦術的に俯瞰し解剖すること、ゲーフラ作りなどの空間を楽しむ人など、各々が様々なマリノスとの関わり方を持っています。
さて閑話休題、ゴール裏論争はどうして起こるのでしょうか。
写真を残したい人とゴール裏を熱くしたい人。
試合を観たい人とゲーフラを掲げたい人。
楽しみ方が様々な一方で、その楽しみ方同士は共存できない場合があります。
サッカー観戦において最も熱い場所とされる、ゴール裏の中心部分で応援に参加しないこと
サッカーを落ち着いて俯瞰して観たい人が多く集まるバックスタンドで声を張り上げること
どちらも販売されている席種の意図にはそぐわない行為ですよね。
先日のアウェイ東京戦でも、ゴール裏最前列で得点後の熱狂の中カメラを構え続けていた方が物議を醸していました。
「ゴール裏からしか撮れない景色がある」というのはもちろん理解できます。
この場合は、「写真を撮ること」という楽しみ方をしたい人と「ゴール裏を熱くし応援する」という楽しみ方をしたい人との対立が発生しています。
では仮に、「メインスタンドの方がピッチに近く声が響き渡る」という理由で、メイン側指定席で立ち見声出し応援をする人が出てきたとするとどうでしょうか。
こちらでも「落ち着いて試合を観る」「ピッチに近いところで写真を撮る」という楽しみ方をしたい人と「応援を熱くする」という楽しみ方をしたい人との対立が発生します。
「メインスタンドでしか出来ない応援がある」と言われたら困惑するのではないでしょうか。
僕は、各々に自分なりの楽しみ方を見つけてもらう事が、スタジアムへ人を呼び込むこと、ひいてはマリノスの為になることであると考えます。
更に、その楽しみには余計なストレスがあってはならないとも。
僕が強く訴えたいのは「棲み分け」というフレーズです。
それぞれが見つけたその人なりのオリジナルな楽しみ方というのは人に迷惑をかけるものでない限り全てが肯定されるべきです。
そうでなくてはならない。
ただ、各々が無秩序に自分の楽しみを優先することで引き起こされるのは、全体の幸福度の低下のみです。
写真を撮りたい人がゴール裏に来た時、排他的と感じる意見に居心地の悪さを感じれば、その人の満足度が100→70に低下するとします。
ゴール裏を盛り上げて熱く応援しようとする人が全く応援に参加してくれない人に頭を悩ませていれば、その人の満足度は100→70に低下するとします。
この場合2者の満足度は140であり、お互いがストレスを感じることなく観戦できた時の満足度200を大きく下回ったものとなります。
これを解消しようとする動きが他者への批判へと繋がります。
これは、本来否定されるべきでない他者の楽しみ方を否定することになります。
これが僕なりのゴール裏論争の眺め方です。
そして、「棲み分け」はこの問題を根本的に解決します。
ここで1つ、棲み分けの例をご紹介します。
Jリーグの公式クラブが発信している中で、最も分かりやすく棲み分けが明文化されたものがこちらになります。
カメラ文化はコロナ禍の観戦スタイルを確立していく中で広く普及した事新しい文化であり、このような説明文の中には反映されていませんが、それでもクラブが席種を分けている意図は汲み取れると思います。
僕自身、ゴール裏に居ることがほとんどの若造サポーターですから、もしこの記事に対してほかの立場からご意見等あれば是非伺いたいです。
ということで僕が常々感じている「棲み分け」についてのお話でした。
ゴール裏内での「棲み分け」
あぁしろこうしろという声や、「棲み分け」というワードから、排他的な雰囲気を感じてなかなか足を踏み出せないという方もいらっしゃるかと思います。
そんな時に、ゴール裏への第1歩としてオススメしたいのがゴール裏2階指定席です。
僕自身で体験した事が無いため、2階に足繁く通っているお知り合いの方々から頂いたお話をこの場でお借りしたいと思います。
まずは何と言ってもゴール裏2階の良さから。
1階席よりも自由な姿勢で、それでいて熱さもあるような素敵な空間だそうで。
僕も名古屋からサークルの仲間を連れてくる予定なのですが、2階席なんか、ハマってもらうにはとても向いているのかなと思わされました。
さらには最前の景色まで。
2階という場所から見るメリットって、物理的に高い場所にあることを活かした俯瞰なのかもな〜なんて感じますね。はい。
あとは1階席でも中心部から逸れた場所(ゲートで言うとN12やN15、または屋根下) なんかは、ゴール裏の雰囲気を探りに来るには絶好の場所です。
僕自身も、より熱い熱狂を求めて試合ごとに段々と内側へ進軍してきた過去なんかもあります。
まずは1度、ゴール裏という場所の雰囲気だけでも味わって見て頂きたいです!
(脈略無視で勝手に面白かった記事をご紹介)
じゃあ、ゴール裏の目指す先って?
冒頭でも述べましたが、僕うっちはマリノスの応援を支えるウルトラやブリガーダといったコア団体には属していません。
自分自身のことに責任も取れない今の僕に、その資格は無く、さらには過ごしたい人達との関係が、希薄になってしまうのが怖いからです。
「マリノスと関わる上での楽しみ方は各々違っている」というお話をしましたが、僕にも、マリノスとの関わり方を考えていく上で悩むことが沢山あります。
今の時間を共にしたい大切な人達、20歳という年齢でこれからどうして行きたいのかという将来像、そのこれからの為にしなければならない事はなんなのかという事。
人生の岐路というのは不意に現れるものではなく、歩いている道の先に待ち構えているものなのだと思います。
ゴール裏も同じで、それに携わる人間それぞれに人生があって、携わる人の数と同じだけのドラマがあるんですよね。
積み重ねてきた事、取り組んでいる事が混じりあって今の形になっている。
誰かを応援する事って、それぞれの人の生き様の結晶みたいな想いを、応援したい誰かに託す事なんだと思います。
勝ち試合での信じられない程の熱狂も、負け試合での選手への悲痛な叫びも、あれはポジティブ、これはネガティヴと簡単に言葉で括りたくないような、それぞれの想いの結晶なのではないでしょうか。
そんな結晶を零すことなく同じベクトルに変え、真っ直ぐひたむきに選手へと届けようとしてくれるのが今のコア集団であり、前向きだ後ろ向きだと言うのは浅慮な評価であると言わざるを得ません。
そんな船頭が目指しているであろう、これからのゴール裏の姿。
どこまでも横浜F・マリノスらしく、どこよりも凛としていて真っ直ぐな集団。
サポーターはどこまでいってもサポーター(support-er)であり、どんな時でも味方であろうとする姿なんかが家族と形容されたりも。
何があっても味方でいてくれるのは家族だけですからね。
社会情勢の変化に伴うスタジアムでの空気感の変化や、サポーターコア集団の代替わり過渡期といった近年のマリノスサポーター界隈では、「ファミリー」や「家族」なんて言葉がみだりに使われるようになり、意味が違って聞こえて、心做しか以前より響かなくなっていったように感じます。
その風潮の中生まれたカンペオーネスのチャントでは、家族というフレーズが軽いと批判を浴びたりもしました。
でも僕気づいたんですよ。
誰よりも熱く狂ったアイツらが軽々しく家族なんてフレーズを使うわけないって。
かっこいいチャント1個くらい作ってやるかなんて軽い気持ちで作った訳なんかないって。
あんなに熱い集団を、僕は他に知りません。
誰よりも情熱を持って、マリノスを誇り支えようとするその姿勢を形容するのに「家族」以外の言葉は見つかりません。
横浜ゴール裏は、家族でい続けようとしているんだな。と。