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様々な''視る''話
広島です。
公立高校の高校2年生の修学旅行先としてはポピュラーな広島です。
うっち自身もそんな理由から4年前に初めて広島を訪れ、今回で2度目の訪問となります。
ルヴァン広島戦での退場を想起させる、永戸勝也の不在。山根や角田など、痒い所に手が届くプレーヤーの離脱。
新スタジアムへの移転が既に決まり、マリノスが使用するのは最後になるであろうエディオンスタジアム。
ドラマ続きの横浜F・マリノスは、今回はどんな物語を紡いでくれるのでしょうか。
うっちです!
遠征日記のように綴っているこのnote、最近は目新しさが無くなり、惰性でその遠征で楽しかったことをタラタラと描き並べてしまっているのではないか、などという思いに駆られることがあります。
大学生の懐事情にはかなり苦しい遠征費用と、それを賄う為に時間を注ぎ込んで出来上がっている、いわば血と涙の結晶。
そして、その結晶が放つ遠征先での感動や興奮、これからの自分を形成していく地盤になる経験や見聞。
そういったものを出来るだけリアルに、生のまま、鮮度抜群の状態で書き残しておきたい。
とどのつまり、その時に感じた事をその時に残そうというシンプルな気持ち。
これが僕のnoteの原点であり頂点です。
そんな気持ちを再確認しながら、広島での物語を丹念に書き落としていこうと思います。
因みに、「トドのつまり」という言葉は、ボラという出世魚の呼称の変化に由来したものだそうです。最後がトドなんだとか。
via 宮島水族館
自分で選ぶ道から、視えた世界
今となっては「あたりまえ」の生活となってしまった僕の週末。
気が付けば遠方のアウェイはほとんど消化。
シーズンも中盤を迎えてしまいました。
小学生の頃、親の転勤によって名古屋へとやってきた僕は、それからの青春時代をマリノスに……
ではなく、ごく平均的な学生生活を金鯱の見守る土地にて過ごしてきました。
点取り屋と言えばマルキか大黒、ドゥトラや中村俊輔といったウルトラなレフティー達の周囲をを奔走する町さんや兵藤の姿。
そんな小学生。
1人のティーンエイジに視える世界では、両親に頼み込んで、年に1度日産スタジアムへと馳せ参じることがやっと。
中学、高校と進むにつれ、郷里の記憶は薄れるばかりか次第に強くなっていきます。
僕にとってのマリノスは遠いものとなり、長い年月と共に、日産スタジアムや横浜は憧れの土地へと昇華していきました。
横浜F・マリノスの試合を1試合でも多く現地から見届けるというのは、僕に視えている小さな世界において、大きな悲願だったのです。
ほんと、今これだけ「マリノスのある生活」を謳歌できていることに感謝しなければいけませんね。
そんな訳で、今季遠方アウェイの連続が終わったこのタイミングに、自分のマリノスへ熱の質量と方向性を再確認出来ました。
前置きが長くなりましたが、いつもの通り #うっち広島遠征のお話を始めていこうと思います。
序
至極浅い微睡みと覚醒を繰り返すこと、約十時間。乾燥しているはずの車内の空気は、湿気を吸ったように重たい。無対流の空気の重さとでも言うのだろうか、正直あまり気分のいいものでは無い。
そんな中で、朝になったことを知るより先に、自分が広島という土地にたどり着いたという事実に気づき、僕は目を覚ました。
広島だ。
4年前の修学旅行以来の、広島駅。
駅前を少し歩くだけでも、青春時代の甘酸っぱい記憶が蘇ってくる。
ビルの6層に所狭しとお好み焼き屋が並ぶ、あのひろばは、あの頃と何も変わらない。
変わっていたのは、この1年でほんの少しだけ広く日本を知った目に映る、その視え方だけ。
今は深い事を考えず目の前の興奮に熱狂できる僕も、いずれ視野の変化とともに、違う世界の住人へと姿を変えてしまうのだろうか、なんて考えたりする。
僕はとりあえず、この筆舌に尽くし難い気だるさを晴らそうと思い立ち、銭湯の一つや二つないものかと歩き始めた。
少し歩いた先で快活クラブを見つけ、シャワールームへと駆け込む。少し熱いくらいのネットカフェのシャワーは夜行バス明けの身体にはもってこいで、目を閉じ全身でその熱を感じた。
一、
目の前には、見渡す限りの青。
今朝のそれとは違う種類の、仄暗い廊下。
ぷかぷかと自由に泳ぎ回るくらげの数々。
あれだけ自由でかわいらしく見える存在でも、蓋を開けてみれば、私達にとって危険な毒を孕んでいたりするのだから、世の中侮れない。
水族館とはいいものだ。
時間の流れがゆったりとしており、普段みえるはずの無い静かな世界に没入する事が出来る。
スナメリの自由な泳ぎ方を眺めたり、ガチガチに凝り固まった身体をしたヒトデに触れたりして試合までの時間を埋めていく。
なるほど、いやしとふれあいがテーマだと宣う理由も頷ける。
水族館を後にすると、目の前にはすぐ小川が流れていて、フグのような魚が泳いでいるのに困惑する。こんな所にフグなんて居ていいのだろうか。
小橋を渡った先で「THE 瀬戸内」と言った景色を視る。
青海原ではなく、多くの島々が青いキャンパスに点々と描かれたようなそれは、瀬戸内海独特のものであろう。
宮島口へ向かう船に乗り、4年ぶりに訪れた思い出の地から新たな思い出を持ち帰る。
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二、
スタジアムへの道のりはどうしてこうも短く感じられるのだろうか。楽しみが先に待っているとの確信があるからだろうか。時間の流れが電車とバスに揺られること一時間弱、今回の旅の目的地であるエディオンスタジアムへと向かう。
初めてのエディオンスタジアム広島。
同時に、最後のエディオンスタジアム広島。
1992年11月に開業した、広島広域公園陸上競技場はJリーグ開幕初期から約30年間もの間、サンフレッチェ広島のメインスタジアムとして同クラブのJ1リーグ優勝や、J2降格など、数々の歴史を見届けてきた。
新スタジアムへの移転により、サンフレッチェ広島がエディオンスタジアムを利用するのは今年2023シーズンが最後となり、それは、年に1度しか敵地を訪れない私達アウェイサポーターにとっての最後の訪問をも意味する。
昼の暑さが、段々と薄くなっていく青空に吸い込まれていく時刻になった。試合が始まる。
この試合を一言で表すなら「耐え」だろう。
メンバーを固定する傾向の強い今季のマリノスではあるが、ルヴァンカップの影響で永戸が出場停止。今季三ツ沢でのルヴァンカップでも永戸は途中退場、また、勝ち点3を得ることはできなかった。
左サイドバックの位置においで2番手となる小池裕太は、加入後ここまでで信頼に足る活躍を残せていない。ピッチ上よりも美容師のInstagramで姿を視ることの方が多かったかもしれない。
また、途中出場で必ずと言っていいほど流れを変えてくれるマルコスジュニオールも不在だ。
ルヴァンカップでの脳震盪から、慎重な復帰プログラムを組まれているそうである。
そんな中で迎えたこの試合、なんとも言えない不安を吹き飛ばしてくれるのはやっぱりこの人でした。
押し込み続ける中、サンフレの配置の穴をついたエウベルがこの試合最初で最後となるゴールをもぎ取ったのです。
広島のプレッシングをいなし、押し込むことが出来ていた前半の時間帯に掴み取ったこの1点こそが、両チーム通してこの日唯一のゴールでした。
後半に入り、広島がプレッシングに修正を加えてくると、マリノスは少し押し込まれる時間が続くことになりました。
そして、''いつもの''メンバー達が徐々にプレスを剥せるような修正を加えていく中で、それに食らいついていくのは、広島の選手ではありませんでした。そう、小池裕太です。
持ち前の走力を存分に発揮するだけでは無く、気持ちの伝わる粘り強い守備と上下運動が、マリノスの左サイドを躍動させていました。
最終盤で足をつる姿こそ見せたものの、結果は無失点。小池裕太含む守備陣の頑張りがこの苦しい試合のクリーンシートに繋がったのです。
終、
熱気に晒され続けた空気が、逃げ場をなくしたように、スタジアムのそこら中に垂れ込めていた。
アウェイの地で勝を視た威勢良き群衆が向かう先はただ一つ。安価な芳香剤のする街の外れにある白看板のビストロだ。
ビストロとひとくちに言ってみても実際はよくある居酒屋の一つだ。牡蠣ひよっこ商店という、その名の通り牡蠣をウリにした広島ならではのそれ。ビストロ(bistro)というフランス語は広く美味しいもの屋さんと訳されるのだからあながち間違ってもいないだろう。
広島草津市場1508の卸売免許をもつ店主自らの足で宮本かき作業場へと赴き、味と品質にこだわって商いを営んでいるこの店は、本拠地である横浜市から約800km離れたアウェイサポーターが、その土地と勝利を味わい尽くすにはもってこいであろう。宴の始まりだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会も半ばを過ぎ、座がほどよく交ざりあっている頃。
「うっちは広島のあれ、書くの?」
僕の、いや、僕らのお兄さんともいえるようなサポーターであるyasu君から声をかけられた。
「あれって、なんですか笑」
酔いの回った身体が、その熱のやり場をなくしたように、心地の良いけだるさを持て余す。
「noteだよnote。書いてるじゃん。」
「あー!書きますよ!書きたいこといっぱい出来たんで!笑」
まるで酒の匂いまでもが伝わってくるかのような赤い声で問いかけに答える。疲れと酔いで既に意識半ばである。
「うっち、屋根下どうにかできない?」
アルコールのもたらす酔いには、その時の気分を増幅させる作用がある。この時の僕はほとんど酔っ払いであった。が、遠い地での勝利に浸っていた僕も、これには、座りかけていた目が動く。
「どうにかってなんすか、日産の話ですか」
「そう。この間の宮市の劇的弾あったじゃん、スタジアムが割れんばかりに盛り上がったやつ。昔はもっとずっとあんな空気がスタジアムに溢れてたんだよな。思い出補正もあるかもだけど。」
彼とは、2022シーズン最終節、アウェイ神戸の地にある居酒屋で偶然出会った。yasu君の家は、家族みながマリノスサポーターでありそれぞれの観戦スタイルや座席はバラバラであるものの、当の本人も20年来のサポーターであるという。そんな彼が、サポーター歴でいえば半分程度である齢20のお子様に、酔った勢いでも、想いの丈をぶつけてくれたのだ。
「あんな空気が溢れてたって、昔の方が''棲み分け''されていたって事ですか?屋根下は熱狂的なエリアとして?」
「いや、違うんだよ。むしろ棲み分けは今の方がされてるのかもね。昔より楽しみ方の自由化は進んだし。」
僕自身、ゴール裏の熱量を高めようと、「棲み分け」についてのノートを載せたばかりであった。それぞれの楽しみ方を、それぞれの場所から。これが僕の考えるゴール裏論争の答えであった。
ただ、そう単純な話では無いらしい。
「昔も今も、家族連れだったりお年寄りだったりは多かったし、別にみんなが跳んでたわけでもないんだけど、なんていうか、もっともっと熱かったんだよ、俺はそう思う。」
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これは、そのyasu君の、家族でのLINEグループの会話である。屋根下を熱くしたい=屋根下も跳ばせたい、という訳では無く、みなが自由にそれぞれのスタイルを持っていた中で、それでも、今よりもずっと熱かったというのだ。
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熱くしたいというのは、自らがサポーターになった時の景色を思い起こし、自分と同じように巻き込まれていく新規を作り出したいがための想いであるというのを補足しておく。建前のように聞こえる人もいるのかもしれないが。
だから、昔の熱さというのは思い出補正かもしれないし、実はあの頃からスタジアムの盛り上がり方そのものは変わっていないのかもしれない。
きっとそうであれば、昔の熱いサポーターだって、きっと同じことを感じ、同じことを想っていたはずだ。こんな議論は今に始まった話では無いのだから。
ただ、それでも
「でもどうにかしたいんだよな」
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比較し難い領域のお話であるが故に、この問いに正解はない。
試合を視る。
試合をみているサポーターを視る。
それについて語り合う人々を視る。
感じた事について深く考えている自らの心の内を視る。
他人の考えたそれを視て、また知らなかった新しい世界を視る。
今回の記事では、それらに加え、僕たちのHOMEである日産スタジアムの今後をも視た。
正解のない、線引きのされていない(あえてしていないのかもしれない)問いであるからこそ、僕はこのサポーター人生をかけて、じっくりと向き合っていきたい。いつか横浜ゴール裏が、もっともっと熱狂するその日まで。