Webライター1年目を終えて
フリーランスのWebライターとして歩み始めて1年ちょっと。ここ数年分がギュッと濃縮されたような時間を過ごしました。
今日はこの1年間での変化と気づきを、ありのままに綴ってみようと思います。
個人の振り返りなので有益情報ではありませんが、駆け出しライターのリアルな歩みとして、温かい目で見ていただけると幸いです。
私の原点は八百屋です
まずは、ライターになる前のお話を少しだけ。
私は大学を卒業後、ソーシャルビジネスを扱う会社で八百屋をしていました🥕
出勤スタイルは上下ジャージに運動靴、必需品は軍手と厚手のタオルで、毎日何十キロもある野菜やお米を運んで販売していました。
食料廃棄と飢餓問題。この地球が豊食と貧食の世界にわかれていることを知ったのは高校時代です。
食べることが大好きだった私は「こんなことがあっていいはずない!」と、住んでいた地域(神戸)の食に携わる方々に連絡を取り、イベントやインターン、ボランティアに参加。今自分にできることを模索しながら、地域にいる個人や集団が問題に対してどう向き合っているのかを学ばせてもらいました。
そのなかで出会ったのが、フードロス問題に取り組む八百屋だったのです。入社した頃はまだメンバーも少なく、毎日みんなで試行錯誤しながら一生懸命に働いていました。
とても充実した時間を過ごしていたのですが、働き始めてしばらくした頃、責任感だけが先走り、そこに自分の心がついていっていないことに気がつきます。
食の問題を何かしなくては!と解決することに夢中になりすぎて、一度も自分の“好き”を考えたことがなかった。
「自分が暮らす社会をより良くして、次の世代につなげたい。だから、まずできることとして八百屋で……」という気持ちに、「そもそも私の好きって何だっけ?」と問いかける心が追いつかない。
このギャップは日を重ねるごとに大きくなるばかりで、このままでは誠意を持って仕事に取り組めないと感じ、退職を決断しました。
その後、改めてやってみたいことを考えるなかで、1番に思い浮かんだのが「文章で仕事をしてみたい」だったのです。
大学時代に参加したフリーランス養成講座がきっかけで、就職前から細々とブログは続けていました。漠然と「いつかはフリーで文章を仕事にできたらいいな」と思ってはいたものの、当時の私にはその熱量も自信もなかった。
でも、退職のタイミングは私にとっての転換期だったので、アルバイトとブログをしながら、思い切ってライティングに挑戦してみることにしました。
これがライターとしての第一歩です。
ライターとしての初仕事はSEO案件
最初に挑戦したのは、クラウドソーシングで受注したSEO案件。
ライティングは未経験でしたが、細々と続けていたブログがポートフォリオとなり、比較的スムーズに仕事をスタートできました。(この時は本当に「ブログをやっていてよかった」と思った!)
その後もいろんな媒体を使って案件を探し、要件を満たすものは片っ端から提案。応募時は「やったことありません」「できるかわかりません」が通用しないので、かなり背伸びしながら取り組んでいた記憶があります。
毎日が初めての連続で、周りには分からないことを聞ける人がいない。常に不安と恐怖があり、案件を受けてもなかなか筆が進まず、納期に追われ、大泣きしたことも……(笑)。最初は文字単価も低かったので、必死にライティング案件をこなしながら、アルバイトにも勤しんでいました。
それでも少しずつできることが増えていくのが嬉しくて、セルフブラックの鬼と化して夜中まで働き続けていましたね。
幸いにも参加していたブログ講座がきっかけで、ライターチームの一員としてもさまざまな案件にも挑戦させていただき、なんとかライティングだけで生活費が稼げる状態に。
当初は再就職を検討していたものの、書くことは嫌いではなかったし、時間と場所の制約がない働き方に憧れもあったので、そのままフリーランスライターの道へと進みました。
「書くこと」の意味を考え始めた
フリーライターになってからは、SEO記事のほかにもコラムやPR、広報など、幅広いジャンルのお仕事に取り組ませてもらいました。
そして、最初はほとんど「ブログのため」「生活費を稼ぐため」にライティングをしていたのに、いつしか「もっと他のジャンルにも挑戦して、ライターとしてスキルを積みたい」と思うように。
「意外と自分はライティングが好きかもしれない」と気がついたこと。仕事を通じて出会った仲間や編集者から、ライターとしてのキャリアの幅広さを教えてもらったことが大きかったのかもしれません。
恥ずかしながら、ここが初めて「私は何を書きたいのだろう」と考え始めた瞬間でした。
そんな時に友人から声をかけてもらい挑戦したのが、取材・インタビュー記事の執筆。
採用広報系の記事だったのですが、インタビュイーのストーリーを聞くのも、毎回新しい学びがあるのも、その想いを言葉にのせるのも、もう全部が楽しくて。
一言にライターといっても、“何を書くか”で仕事は全く違うものになる。「こんなに楽しい仕事は初めて!」と興奮したのと同時に、今までSEOしか知らなかった自分がいかに井の中の蛙状態だったかを思い知らされました。
そして、人に関わる取材・インタビューのなかでも、特に関心高く取り組んでいたジャンル・テーマがまた社会問題だったのです。
私はやっぱりライターを選ぼうと思う
これまでは、ライターになること・ライティングをすることがすべてだった。
でも、ライターとしてのこれからを考え始め、楽しと思ったこと・幸せだと感じたことにフォーカスして「何を書きたいのか」に向き合った結果、私にはずっと発信したい理由があり、書きたい“何か”がありました。
●なぜ発信をするのか
ブログにせよ、ライティングにせよ、そもそも文章で何かを発信する道を選んだのは、ありきたりかもしれないけれど、「言葉で誰かの背中を押したかった」から。
私が神戸で出会った食に携わる人たちは、社会が抱える問題に対して発信を続けている人が多かったのですが、そこで個々の発信が周りを少しずつ変化させていく光景を目の当たりにしました。
個人の発信力は、小さくても確実に誰かの心を動かし、背中を押す。発信する・事実を伝える・想いをかたちにすることの大切さを教えてもらったのです。
●なぜ書くのか
人に向き合っていると、世の中には決して白黒にはわけられない、グラデーションのような選択があることを知ります。
例えば、「野菜は無農薬のものがいい」といっても、そのために必要なあまりに大きい体力と金銭的な負担を背負えない人は?「家族は愛するべき」といっても、そもそも基盤に愛がない家族を持った人は?
二者択一がために犠牲と諦めを強いられている人がいる。その歪みを少しずつでもいいから、解消していきたい——。
この1年、ライターとしてさまざまなお仕事に関わらせてもらったおかげで、「ライティングは手段のひとつ」であることを知りました。そして、自分が1番楽しく取り組めるものであったから、私はやっぱりその手段としてライティングを選び、ほかでもないライターを続けたいと思った。
社会問題に向き合っていると、よく周りから「哀れんでいるだけだ」とか「偽善だ」とか言われることもありますが、誰かが苦しんでいる事実を知っているのに、知らないふりをして歩むのは、やっぱり私にとっては幸せではない。
このことに改めて気づかせてくれたのも、ライターとして歩んだこの1年でした。
私の原点は八百屋にあって、あの時とはまた違うかたちで同じ問題に向き合おうとしている。八百屋時代は自分が何をもって社会問題に対して向き合っていけるのかが明確ではなかったけれど、今はライターとして書く意義がここにあると思っています。
だから、2年目は「楽しい」と感じるライティングのお仕事を続けながら、自分の書きたいものもかたちにできる年にしたいと思っています。
社会問題をテーマにした記事の執筆にも挑戦するぞ〜!
最後に
1年を振り返って改めて学んだのは「ライティングはひとつの手段である」こと。
実際にライターとして働いてみると、未経験からの挑戦には時間がかかるし、書く以外の部分でもいろんな仕事が発生するし、スケジュールは立てにくいし……想像の何百倍も大変。
だから、いざライターとして歩み始めても、「書くのがしんどい」と感じる人はたくさんいると思います。
私は今ライターという職業に出会えて本当によかったですし、これからも続けたいと思っていますが、それは「実現したいことにアプローチする手段のうち、一番楽しく続けられそうなものがたまたまライティングであっただけ」です。
書くのがしんどかったり、行き詰まりを感じたりした時は、一度立ち止まって「自分の“好き”は何か」「どうしてライティングを続けるのか」を考えてみてください。
すると、そこにはもうひと頑張りする理由があったり、他のライティングに挑戦する選択肢がでてきたり、ライティング以外の他の方法が見えてきたりするかもしれません。
仕事は生き方のなかにあるもの。「これじゃなきゃダメ」なんて存在しないので、これからも自分と向き合いながら心地良い働き方を見つけていけたらいいなと思います。
初めて参加させていただいたアドベントカレンダー。とてもなく抽象度が高く、まとまりのない文章になってしまいましたが……ライター1年目の等身大の自分ということで、思い切ってここに残してみようと思います。
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