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結婚ラッシュがやってきた

よく耳にしていた“結婚ラッシュ”というものが、ついに私の周りにもやってきた。

友人の結婚式に参列することで、結婚というワードに向き合う機会が増えた最近。

ラッシュがやってきてくれたからこそ、結婚を意識していないようで、実はめちゃくちゃ意識していた自分に気がつき、今抱いている気持ちをゆっくり整理することができた。


結婚をどうしても前向きには捉えられなかった

振り返ると、ここ数年の私にはいつも「自分の人生の主導権を握れるようになってまだ間もないのに……」という気持ちがあった。

そもそも自分の人生の主導権なんて、本当は昔からずっと自分にしかないのだけれど、「周りが扱いやすい人間」として育つうちに、いつしかすべての問題を内面化して、他の誰かのための人生を歩むようになっていた。

友人の顔色を伺い、家族に反対されることを恐れて生きていた中高時代。

あまりにも視線が外に向きすぎていた自分から抜け出せたのは、大学生になってから。

就職活動を始めるちょっと前くらいから、周りの「当たり前」がいかに本当の自分を壊してきたのかに気がつき始め、みんなが期待していた就職をやめて1年間の休学を選んだ。

自分の人生は自分で決める——。

好きな勉強をして、絵をみて、音楽を聞いて、人を過ごす時間を優先するうちに、少しずつ飾らない自分を体現できるようになり、世界が色づき始め、見える景色が変わってきた。

だからまだ今は、本当の自分が私に少しずつなじみ始めような感覚で。

正直なところ、自分の命も大切に扱えているのかまだ自信がないし、その脆弱さに怖気づくこともある。

そんな気持ちが入り混じっていて、ラッシュがやってくるまでは、“結婚”は私の人生の道とは離れた場所に浮かんでいるものだった。


人と「共に」いること

どうしても結婚を身近に感じられずにいたのだけれど、この1年間でありがたいことに友人の結婚式への参列させてもらうなかで、結婚への考え方に少し変化があった。

「共に」がもたらす尊さ

まず、結婚式に溢れる笑顔を見て感じたのは、みんなが同じ時間を共有し、その空間が幸せだけで満たされるって最高に尊いということ。

“幸せ”とか“好き”は内から自然に溢れ出てくるもので、そこには偽りがない。

2人の姿や参列している人々の顔を見ながら、誰かと「共に」過ごすことでしかわからない尊さがあることを知った。

限りある時間のなかで、他の数えきれないほどの選択肢を捨てて一つを選ぶ。結婚は自分の人生の有限性を認めることでもあるから、奇跡なのかもしれないなあとも感じた。(言い方に語弊があるかもだけど……)

そんなことを考えると同時に、結婚式ではとても不思議な体験もしていて。2人の晴れ姿を見ながら食事をしたり、旧友と話したりと、「共に」過ごす時間になんだかリアルさというか、現実味みたいなものを感じたのだ。

それは多分、昨年はフリーランスという働き方と家庭の事情が重なり、家にこもって一人で過ごすことが多かったから。

求めてきた個の環境は心地がいいし、必要なものだとも感じるけれど、あまりに偏りすぎると「今」を生きることを忘れる。

毎日仕事に追われ、いかに効率良く取り組むかばかりに気を取られて、タスク管理に一生懸命。客観的に自分を観察できず、忙しさと効率だけで時間をとらえていたから、きっと見失ってきたものも多かったのだ。

「今」を生きることの本質にフォーカスされていて、タスクに追われていた昨年の私にとって、反省と発見だらけの一冊だった。

やっぱり人は社会とのつながりの中で生きている。

極端に個にこだわる必要はないし、人と「共に」いることに喜びを感じてもいい。

そんなことに気づかせてくれたのが友人の結婚式だった。

アラサーは思っているより面白い

一方で、結婚を身近に感じる機会が増えたからこそ、「結婚を選ばなくても人生は十分に面白い」と自信を持って言えるようにもなってきた。

それは、私もアラサーと呼ばれる年代になった今、「あれ?思ってるより30代って楽しいんじゃない?」と感じはじめたから。

「もう私らアラサーやん!やばいっ」
「ずっと20代がいいわ〜」
「お姉ちゃんとこ、こどもが産まれたからもう私おばさんやねん」
といった会話が増え始めたラッシュ前後。

キャリアを築いたり、パートナーを見つけたり、家庭を持ったり……。

みんなが思う「ちゃんとした大人」に私はなれるだろうか?と、歳を重ねることに怖さを感じていた。

でもいざアラサーになってみると、新しくできたお店へ一目散に食べに行ったり、朝一から映画を観に行ったり、お昼からお酒を嗜んだりと、この歳の私は居心地が良くて、それなりに充実していて楽しい。

この先もきっと、歳を重ねるごとに新しい楽しさやおいしさを見つけて、より穏やかに過ごせる。

そんな気がしはじめたから、歳に対する焦燥感や恐怖よりも、ワクワク感のほうが遥かに大きくなった。


誰かと共にいる喜びと、孤独の居心地の良さ、どちらも大切にしていきたい

だから、周りからの結婚の圧とか、「年相応の」という言葉に飲み込まれず、かといって流れてくるものを避けるわけでもなく、ただただ自分のペースでゆっくり歩んでいきたい。

難しいけれど、時間を「共に」することの尊さと、「個」の時間がもたらす穏やかさのバランスを保ちながら。

未来が自由や幸せで満たされるために、今を犠牲にしてがんばるのではなく、今の「幸せで満たされている」は今しっかり感じられるようになりたい。

たとえば、レストランに行っておいしいご飯を食べたり、友人と人生相談をしながらお酒を楽しんだり、とか。

未来のために努力はし続けたいけれど、今この瞬間をしっかり生きていきたい。

友人の式に参列してみて、なんとなく避け続けていた「誰かと一緒にいること」についてあらためて考える機会をもらい、今を直視することの大切さを教えてもらった。


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