八方美人でなにがわるい。
よく「みんなにいい顔するよね」と言われていた。
クラスのなかでいつもとは違うグループに行って話していると
普段はあんまり話したことない子に話しかけると
とちょっと嫌味っぽく言われたりもした。
当時はその度に傷ついた。
好かれようとしているつもりはなかったけれど、普段あまり交流がない子から「おのまりちゃん」って声をかけてもらえるとハッピーな気分になるし、話せる人が増えてうれしいし……
いや、これはみんなに好かれようとしているのか……?つまり八方美人?でもそれって悪いことなの……?とグルグル考えていた。
周りの視線が気になって、平穏に過ごすために決まったグループとしかいないようにしたほうがいいのか、とか、今となってはしょーもないことを考えた時期もあったけど、いつも自分がいるところ、以外もやっぱり気になってしまう。
その結果、小学生〜高校生くらいまで、周りからの「八方美人のおのまり」という印象は変わらなかったと思う。
当時は、みんなと関わりたい=周りからよく思われたい=ネガティブなことだと思って、自分に自信が持てなかった。
でも、そんな八方美人もひとつの個性で、もはや強みだと思えるようになったのは、大学時代に出会ったとある人の言葉がきっかけだった。
「きっとおのまりちゃんは、たくさんの人の感情を汲み取るのが上手で、だからいろいろな人とコミュニケーションがとれる。それって魅力的なことやん!同情には心配や哀れみがある。でもおのまりちゃんは、そんな想いを持ちながら友だち達と関わってるわけではないでしょう?」
その人は言ってくれた。
それまでの私は「同情」と「共感」の言葉の意味をあまり深く考えていなかったし、漠然と一緒の領域にカテゴライズしていた。
たしかに、この気持ちに哀れみなんてこれっぽっちもなくて、そこにあるのは、みんなと仲良くしたい、みんなに愛されたいという率直な想いと、新しい世界を知りたいという好奇心だけ。
人間みんな違い過ぎていて、相手の気持ちなんて理解したくてもしきれない。自分には同じ経験がないから到底わからない。そんな、“その人にしかない世界”に惹かれて、人との輪を外に広げていくのは決して悪いことじゃない。
同情と共感の話をしてもらって、八方美人な私をやっと受け入れてあげることができた。
◇・・・◇・・・◇
つい最近、高校卒業ぶりに同級生にばったり会った。それもスタバのガラス越しに。10年近く経つけれど、あまりに私の顔が変わっていなくて、すぐに気がついたらしい(笑)。
学生時代の彼女たちとの関係は、複数人のグループでは遊んだことがある。1:1はない。たまに話はするし、些細なことでも盛り上がる。でもクラスも部活も一緒にならなかったし、めっちゃ仲良かったかといわれると、そうでもない。そんな感じ。
でも久しぶりの再会をきっかけに、夜3人で一緒に飲みに行くことになった。
正直、前の距離感を忘れるくらいに日が経っていたから、待ち合わせ場所に行くまでにはちょっと緊張した。何話そうかなあ……と沈黙にならないために話題を考えたりもしたけれど、
結果、そんな心配なんて必要なかった。
その夜はここ最近で一番笑った気がする。
なんせお互いの記憶が10年前で止まっているもんだから、「高校卒業後から今日まで何してた?」から会話がはじまり、3人それぞれの、それはそれは長い人生ストーリーを、お酒片手にシェアし合った。
みんなひとつとして同じ道を歩んでいなくて、なかなかまっすぐに進めないいことにもがいていて、話が尽きず、あっという間に4時間が経っていた。
と友人。
あのとき、自分とは違うグループ、クラスだったからって話さなかったら、この新しい感情も、たのしさも、視野も広がらなかったわけで。私に気がついて、ガラス1枚挟んで大きく手を振ってくれて、ピョンピョン飛び跳ねて(笑)、わざわざ店に入ってきてくれて、「久しぶり!」と声をかけてくれることもなかっただろう。
だから今なら思える。
八方美人でなにがわるい。