「男だろ!」の今昔(駒沢大・大八木監督の声かけから)
今年の箱根駅伝で優勝し、今シーズンの学生駅伝三冠を遂げた駒澤大学。
このチームを率いる大八木監督が勇退するという。
平成の常勝軍団を作り上げた大八木監督の勇退は惜しまれるが、それ以上にお疲れ様という気持ちの方が強い。
四連覇を達成したときの駒澤大学は本当に無敵だったと記憶しているが、平成後期にかけては青山学院大学や東海大学の台頭もあり、総合優勝からは遠ざかり、予選会も経験する時期もあった。
その中で、2021年の箱根駅伝で総合優勝を、2022年シーズンには学生駅伝三冠を達成するまでにチームは蘇った。
この強豪復活について、青山学院大学の原晋監督は、「大八木監督が変わったから」と評している。
確かに昔の大八木監督は、髪型はオールバックで鋭い眼光で選手を叱咤激励する姿の印象しかない。
声かけの際に「追え!追え!追え!」とまくし立てたり、中継所でガッツポーズした選手に対して、「何がガッツポーズだ!バカヤロー!」と叫んだり。
一見すると近づきたくない怖い人としか思えない。
ところが、近年は、優しい声かけをすることもあれば、特集番組では寮に併設されたサウナルームに選手と仲良く入る姿があったりと、丸くなった姿を見せることも少なくない。
こうした変化を踏まえて、他大学の名将をして「大八木監督は変わった」と言わしめているのだろう。
還暦近い人間が、周囲の環境に応じて自らを変えるというのは生半可なことではない。
それは自分の職場の年配の方を見ても思うことでもある。
ただ、大八木監督が変わらなかったことがあるとすれば、それは「男」というフレーズを使った声かけだ。
選手に活を入れるときには「男だろ!」と気合いを注入し、いい走りをした選手にとっては「男になったよ!」と褒めたたえる。
もはやこのフレーズは箱根駅伝とセットでなくてはならない存在だ。
一方で、「男だろ!」という言葉に対して、ジェンダー論を盾に批判する内容の雑誌記事が掲載されたことも記憶に新しい。
確かに、何も知らない人が「男だろ!」と選手を叱咤激励する姿を見れば、「この人は大丈夫か?」と思ってしまいそうだ。
ただし、発している言葉は同じであっても、大八木監督自身も「男」という言葉の意味は今と昔で異なった意味で使っているのではないか。
少し考えてみよう、というのが今回この記事を書いた理由である。
前置きが長くなったが、本題に入る。
「男」という言葉の意
「男」という言葉が独り歩きしてジェンダー的な批判を浴びうるのは、言わずもがな、日本古来の男性を中心とする価値観に起因するものだ。
大八木監督の故郷である会津では、江戸時代では「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」という「什の掟」と呼ばれる決まりごとが存在していた。
この背景には、婦人を軟派な対象として捉え、武士として軟派なものに流されない、強く芯のもった存在になるべきだという思想がある。
また、有名な葉隠の一説「武士道というは死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて早く死ぬほうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。」は、私心を捨てて、死の覚悟をもって公務に尽くすべきという佐賀藩の教えを説いている。
武士である以上、責任をもって忠義を示すべきものという考えが根底にある(と個人的には考えている)。
昔は、「男」という言葉について、「男だから責任感強く持て!」「男だから弱くなるな!強くあれ!」といった意味が言外に含まれていたのは間違いない。
そして、それが戦後に至っても、「男性は外で仕事をして、女性は家を守るものだ!」という考えは根強く続いている。
多義語としての「男だろ!」
大八木監督が駒澤大学の指導者として就任したのは1995年。まだまだ男女平等を押し進める世論が強くなかった時代。
大八木監督からの声かけは、まだ、「男だから〇〇だ!」という意味合いがあったのではないかなと思う。
ただし、この数年、大八木監督は選手との関わり方を、「一方通行のコミュニケーション」から「双方向のコミュニケーション」に変えざるをえなかったとインタビューで語っている。
この現代において、「男だから〇〇しろ!」と選手たちに一方的な押し付けを行い、選手たちの声を受け入れていないとしたら、孫に近い年齢の選手たちはたぶん追従していかない。
現代社会の管理者として、大八木監督は若者世代との融和を果たしたのだと思う。
その一方で、礼儀と当たり前のことをおろそかにしないという軸は持ち続けている。先述した会津藩の掟「什の掟」でも、「年長者には御辞儀をしなければなりませぬ」「虚言を言うてはなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」といった、現代においても当然守るべき決まりが数多く定められている。
この30年近い指導の中で、「男」というよりかは、「駒沢魂」というものを築きあげていったのだと思う。
では、本筋に戻って、どう声かけをするのが最も選手に伝わるのか。
人はだらだらと長い言葉をかけられてもその内容すべてを記憶する頭のつくりになっていない。一発のインパクトあるフレーズを聞いた方が脳に叩き込まれる。根拠は調べてないが、実体験でそうだと確信している。
「男だろ!」という言葉を受けてはじかれるようにスピードを上げる選手たち。
もし、もし大八木監督がだらだらと長い言葉を並べたとしても、「男だろ!」と同じ影響を選手に与えるとも思えない。
とすると、「男だろ!」の声かけは、言葉の意味云々ではなく、選手の起爆スイッチを点火させるスイッチとして使っているのではないかと推測する。
もし意味が含まれているとしても「男だから」という意味よりは、「俺がお前を信じて起用したんだ。俺の信じるお前を信じろ」「駒沢大学の中で学んできたことをすべて出し尽くせ」といった多義語として機能しているとしか思えない。
だからこそ、この言葉をかけられたいと思って駒澤大学の門をくぐる高校生が後を絶たないのだろう。そして、選手たちが「監督のために」走るのだろう。
言葉の内実とは裏腹のトリガーとしての「男だろ!」
それが好意的に受け止められるチームを築き上げた大八木監督は改めてすごいと心から思う。
【参考】