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[70MD]加藤登紀子さん


通称「お登紀さん」

もうこの通称を使うファンはだいぶ減ったかもしれませんが、私もずっと使ってきてますので、ここでもそう呼ばせていただきますね。

「紅の豚」のジーナ

スタジオ・ジブリのアニメなら、どの世代にもよく知られているでしょう。
「紅の豚」でジーナというちょっといい女😊を演じていたのが、お登紀さん。
宮崎駿という人は、他のマスコミ媒体を全く見ない人で、お登紀さんのことも有名な歌手だとは知らずに、声だけ聞いてオファーしたそうです。
少し掠れた、味のある声、並外れた歌唱力・・・が、役にはぴったりだと思われたのでしょうね。

始まりはシャンソン歌手

昔「シャンソン・コンクール」というのがあったそうです。シャンソンっていうのは、フランスの歌のことで、「愛の賛歌」や「枯葉」「雪は降る」などが有名です。
お登紀さんは、お父様がコンクールに申し込まれ、そこからシャンソン歌手としてデビューしました。
以降、世界の歌も歌うことになります。

学生運動の只中で

お登紀さんが高校生だった頃は、学生運動が盛んでした。
学生たちが大人の社会に不満を募らせて、デモや座り込みなどをして抗議していたのです。警官や機動隊が出動して、もみ合いになり、逮捕者も数多く出ました。そんな中、ひとりの女学生が命を落とします。

その彼女の遺志を継ぎたいと、お登紀さんは同じ東大に入ります。デビューは、その在学中で、マスコミから「成人式には振袖で来てください。」と頼まれていましたが、あえてジーンズで参加。

その後、学生運動で出会った活動家と獄中結婚します。(その旦那さんとは、生涯添い遂げることになります。彼は農業家となり、環境活動に熱心に取り組みました。)

オリジナルの歌を

投獄中の旦那さんを思って作ったのが「ひとり寝の子守唄」という歌で、最初のオリジナル曲です。
以降、のちに中森明菜さんがカバーした「難破船」や石原裕次郎さんの最後の歌「我が人生に悔いなし」も作りました。

世界の歌を歌う

やがて、森繁久彌さんの「知床旅情」をカバーして大ヒット!これが代表曲になります。森繁久彌さんからは「君の声には、私と同じ北国の香りがするね。」と言われたそうです。二人とも旧満州にゆかりがあります。

旧満州ということは、もう帰れない故郷を持っているということなんですね。

「ユーラシア大陸の東に生まれた自分が、ユーラシア大陸の西の端の歌を歌う」と思って歌うようになったのが「百万本のバラ」。これも代表曲です。この歌は、今のジョージアで語り継がれていた実話が、バルト三国のラトビアで子守唄となり、ロシア語に訳されて当時のソビエト連邦全体で流行った歌なのです。
今だったら考えなれないスケールのもとに出来上がった歌です。

他にも、フィリピンの「ANAK」、中南米諸国の歌なども歌っています。私は、「コンドルは飛んでいく」の歌詞は、サイモンとガーファンクルの歌詞よりもお登紀さんがライブアルバムに収録した時の歌詞のほうが原詩に近いのではないかと思っています。

公式サイト

TOKIKO WORLD  https://www.tokiko.com


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三毛猫モカ@エッセイスト&プログラマ
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