見出し画像

ルシャナの仏国土 心願成就編 16-21


一六.レベッカ

 海賊船ローズナイト号では、レベッカが一人でわめき散らしていた。
「私に、こんな服を着ろと言うの?姫君に向かって、なんて無礼な!」
 ノアが着替えの服を持ってきた。ローズナイト号のセーラー襟の制服だ。
「しかし、これはこの船に乗る者のみが着ることのできる服なのです、レベッカ姫。」
「だいたい、その呼び方は何?!名前を直線呼ぶなど、考えられない!せめて様と付けられないの?!あなた、相当無教養ね!」
 責め立てる娘を、母親が叱りつける。
「レベッカ、いい加減にしなさい!この方は船長夫人ですよ!」
 それから、ノアに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。この子はいつもこんな風なのです。せっかくお持ちくださったものを・・・。私からよく言い聞かせますから。」
「何故頭を下げられるのですか、母上!こんな、海賊風情に!」
 食事の時間が来ると、食堂には現れたが、服装はもとのまま。さらにそこでもまた大騒ぎだった。
「朝食がこれ?こんな粗末な物を食べろと?こんなの見たことがないわ!」
 皆が皆、唖然として見ている。
「お姉ちゃん、食べないの?お腹痛いの?」
 機関室担当ソールの娘・アイーシャが近寄った。まだ五歳、可愛い盛りである。しかし、レベッカはその子さえ振り払った。
「うるさい子ね。あっち行って!さよなら!しっしっ!」
 これにはさすがにホルスが怒った。
「やいっ!小さい子になんてこと言いやがる!オメェそれでも女か?!いや人間か?!オメェだって、いつかは親になるんだぞ!」
「ふんっ!あんた達と一緒にしないで!少しは敬意を払って欲しいわね!私は皇女なのよ!口を利くのも汚らわしい!」
 レベッカは、とうとう何も食べずに食堂をあとにした。
「お待ちなさい、レベッカ!」
 母サンドラが後を追おうとした。
「おっ母さんよぉ、何もあんたまであいつに付き合うことは無ぇんだぜ。あったかいうちに食べな。」
「申し訳ありませんっ!どうかお許しください。あの子はあんな性格なのです。私の育て方が悪かったのですわ。」
 ステラも謝った。
「キャプテン・ホルス、ご無礼の段、どうかお許しください。姉はずっと傅かれて来たのです。」
 ホルスはステラを見た。
「同じ姉妹で、どうしてこうも違うかねぇ・・・。ステラさん、あんたも大変なこったな。さ、あんたも食べな。体が持たねぇぜ。」
 その様子を、ラルフと亜矢は静かに見守っていた。

 サンドラとステラが食べ終えて礼を言い、食堂から出ようとすると、ホルスが止めた。
「おっと、あんたらはしばらくあいつに近づかないほうがいい。向かいの部屋に居てくれ。俺に考えがある。いいか、あいつがどんなにわめき立てようと、決して手出しはなんねぇ。ここは俺の船だ。俺に従ってもらう。」
「キャプテン・ホルス・・・。」

 その日、レベッカは怒ったまま部屋に閉じ籠もった。
「もうっ!私がどうしてこんな目に遭うの?よりによって海賊風情と一緒にされて!母上とステラも来ないし!あー、お腹空いた!」
 本当に誰も来なかった。いくらぼやいても聞く相手はいない。そのうちに喉が渇いてきた。そういえば、昨夜この船に乗ってから何も口にしていないのだ。夕方、何か飲もうと部屋を出た。
 食堂に入ると、テーブルに水差しが置いてある。それを取ろうとした時、後ろから声がした。
「おーぉ、天下の姫君ともあろう者が水ドロボーかい?みっともねぇな。」
 振り返ると、ホルスと亜矢が立っている。
「ゆ、昨夜から何も飲んでいないのよ!水くらい良いじゃない!」
 ホルスは語気を強めてこう言った。
「おーおー、今度は開き直るか!船ん中じゃなぁ、少しの水も無駄には出来ねぇんだぜ!あんたは、せっかく出された食べ物を拒否した。みんなの心を傷つけた。人間じゃねぇ!甲板に出ろ!人間てぇのがどんなだか、俺が教えてやる!」
 亜矢が黙ったままレベッカに方向を指し示した。
「何?!あなたまで海賊風情の味方をするわけ?あなた、警察官でしょ!こいつを捕まえなさいよ!」
 亜矢は冷静な口調で言った。
「私は海洋警察所属。海洋警察は惑星市民条約機構の直轄です。どの国の誰の命令も受ける義務はありません。それに今、私が対しているのは、一人の水泥棒です。そして、あなたは多くの人々を傷つけた。それは傷害罪と侮辱罪に当たります。こちらへ。」
 亜矢は剣を抜いてレベッカの喉元に突きつけた。そのまま甲板に続く階段へと誘導する。
「な、何するのよ!姫君に対して、無礼な!」
 レベッカの甲高い叫び声を聞きつけたサンドラとステラが部屋から飛び出して来た。亜矢がレベッカに剣を突きつけているのを見ると、慌てて亜矢にすがった。
「亜矢さん、これは?!あなたは何をされているのです!」
「サンドラ様、彼女はこの船長の許可なく水を飲もうとしたのです。それ故、その処罰を受けなければなりません。」
 横から声がした。
「おっ母さんよぉ、手出しはなんねぇと言ったろ。亜矢は警察官としての職務をこなしているだけだ。目の前にいるのは、決して姫君なんかじゃねぇ。ただの水泥棒さ。あんたもいい加減、手ぇ切ったらどうだ。」
「キャプテン・ホルス!どうかお許し下さい!今度こそよく言い聞かせますから!」
 ホルスは母親を見た。騒ぎを聞きつけた乗組員達が集まってきている。
「それだよ。あんたの、その甘さがこの子をこんなにしちまったんだ。もう手遅れなんだよ!今、俺が引導を渡してやる!」
「そんな!」
「おい、野郎ども、このおっ母さんと妹さんを甲板にお連れしな。」
「は、母上ぇ!」
 その時、サンドラはホルスを見ていた。
(違う・・・。この人は冷静に何かをしようとしている・・・。)

 甲板に出た。
「おい、誰か剣を渡してやれ。丸腰の相手をったとなれば、海賊の名が汚れるわ。」
 剣を渡されたレベッカは、ぶるぶる震えた。もとより、剣術などまともに打ち込んだ事がない。家臣達も彼女には真剣を持たせなかった。家事も勉強も、全てチャランポラン。ただそうして過ごしてきたのだ。それが今、みるみるうちに船のへりに追い込まれ喉元に剣を突きつけられている。ホルスは彼女の顎を剣先でペタペタ叩きながら言った。
「さて、どうするね?このまま俺に刺されるか、海に飛び込むか、好きにしろや。ただ、それじゃオメェの身代わりになった娘たちの死が無駄になるなぁ。可哀想に。ま、どのみち死ぬのもいいかもな。」
 レベッカは、その場にへなへなと座り込んだ。
「あ、姉上!どうか、キャプテン・ホルスにお詫びを!」
 ステラの声が聞こえる。ステラは乗組員たちの腕を振り切り、レベッカの前に飛び出して彼女を庇った。
「ステラ・・・。」
 レベッカは、ぼーっと妹を見た。もはや何も考えられなかった。ただ、ステラの胸に飛び込んで泣き出した。
「やれやれ・・・やっと目が覚めたか・・・。」
 ホルスの声が聞こえた。

 気が付くと、レベッカの周りはステラとサンドラ、ラルフだけになっていた。
「レベッカ様、弟はもう貴女様に危害を加えることはございません。いや、あれは初めからその気だったのです。食堂の一件の後から、全ては貴女様のお目を覚まさせるための芝居。・・・」
「ラルフ・・・。」
「お腹がお空きでしょう。これを。」
 彼は水とパンを差し出した。レベッカは、それを無我夢中で食べた。
「美味しい・・・とっても美味しいわ、ラルフ・・・。」
 涙が頬を伝った。食べきった彼女の体が暖かいものに包まれる。サンドラとステラだった・・・。

 ラルフが船長室の扉をノックした。サンドラ、レベッカ、ステラも一緒だ。
「この度は誠に申し訳ありませんでした。数々のご無礼の段、どうかお許し下さい・・・。」
 扉が開くなり、レベッカは跪いて頭を垂れた。ホルスは彼女を見つめる。
「・・・そうか。俺たちのことはもう良い。おっと、俺も謝っとかねぇと・・・食堂のテーブルに置いてある水なぁ、あれはいつでも誰もが飲めるように置いてあるんだよ。騙して悪かったな。だが、オメェがみんなの心を甚振いたぶってたってことは忘れるなよ、レベッカ。もうすぐ晩飯だ。食堂に行って、みんなに謝るんだな。制服を着て行け。」
「はい。」
 素直な返事だ。立ち直ったな・・・。ホルスは内心嬉しかった。
 ステラが言った。
「キャプテン・ホルス・・・。お尋ねしてよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「亜矢さんは、何故貴方に私たちの保護を依頼されたのでしょう?確かに貴方は信頼に値する方です。でも、亜矢さんはまるで以前から貴方をよく知っていたかのような・・・。それに貴方も彼女を呼び捨てにされていますよね。」
「気が付いたか。」
 ホルスはニコッと笑って、自分とラルフの生い立ちのことと、亜矢との出会いを話して聞かせた。
「それでは、貴方はクファシル公卿殿下の・・・。それに亜矢さんも・・・。」
「ま、そういうこった。」

一七.船上の再会

 フレデリックは、再びラヒドラのテレポートに乗って、カレナルドに帰国した。しかし着いたのは元の場所ではなく、海洋警察本部の前だ。
「ここは、海洋警察本部ではありませんか。」
「左様でございます。陛下におかせられても、ご家族のことは気にかかっておいでの筈。ここで行方を訊かせていただきましょう。」
「そうでしたか。ラヒドラ殿、お心遣いかたじけない。」

 長官サリム・アマートは、先ずフレデリックの無事を喜び、彼の家族の居場所を教えた。
「ご家族は、海賊船ローズナイト号にいらっしゃいます。船長はホルスといって、信頼できる男です。私の配下の春野亜矢を付けてありますので、どうかご安心下さい。」
「海賊船・・・。確かに信頼の置ける者なのですか?」
「はい。確かでございます。只今、カレナルド第一海域に停泊中です。お出でになりますか?」
「うん。よろしくお頼み申す。」
「それならば、私が。アマート長官、私が陛下をお送り致します。ありがとうございました。それでは・・・。」
 フレデリックとラヒドラは共に消えた。
「時空機動隊が動いたか・・・。」
 時空機動隊の面々は容姿が普通なので、普段は惑星市民条約機構内部の他の部署に紛れて働いているとのことだった。海洋警察本部長官のサリムでさえ、そのトップの顔しか知らない。

 ローブナイト号に着くと、甲板に幾つかの人影があった。モップで甲板を磨いている。
「もし・・・。船長はお出でかな?」
 フレデリックがそのうちの一人に声を掛ける。その人物が振り返った。
「あ・・・父上!」
「何?」
 よく見れば、それはレベッカだった。
「レベッカ?・・・信じられん!お前が掃除など!しかし、どう見ても・・・。」
 レベッカは、父親に抱きついた。
「私です!よくご無事で!母上とステラもいます!」
 周りの者たちは、彼女の言葉を聞いて気が付いたようで、父と娘を囲んで跪いている。
 とても海賊船とは思えぬ・・・。ラヒドラは思った。女子おなごたちが揃いの制服を着て自主的に働いていたからだ。しかも皇帝を前にして跪いている。
「お父上かな?」
 男の声がした。いつの間にか、船長服を着た恰幅の良い男と眼帯を付けた男とが、こちらを見ていた。いくら親子とその周りに気を取られていたとはいえ、何故存在に気づかなかったのか・・・。
「お初にお目にかかる。ホルス・ジルティガーと申す。ご家族はこの通り無事にお預かりしている。・・・ジャッカル、おっ母さんとステラも運んでやれ。親子のご対面だ。」
「はい、親方。」
 サンドラとステラもその場に現れた。
「フレデリック?!」「父上!」
「サンドラ、ステラ!」
 家族は抱き合って無事を喜んだ。
「そうか、貴方はウユニ人だったのか。道理で瞬間的に事が運ぶと思った。」
 ラヒドラがジャッカルに話しかけた。彼は答えた。
「はい。貴方のテレポートの気配を感じ、船長を連れて来ました。どうやらお味方のご様子。安心いたしました。私はジャッカル・マーフィーと申します。」

 ホルスは皇帝一家を船長室に案内した。ティーセットを持ってきたノアのことを紹介していると、ラルフと亜矢も駆けつけてきた。
「キャプテン・ホルス、私は本当にお礼の申し上げようがありません。それにラルフ、よくぞ家族を守ってくれた!礼を申すぞ。それから、亜矢殿と言われたな、家族と家臣がお世話になり申した。礼を申します。」
 フレデリックはホルス、ラルフ、亜矢の三人それぞれに深く頭を下げた。サンドラ、レベッカ、ステラも頭を下げる。フレデリックは、そこでもまた驚かされた。レベッカが他の者に頭を下げるなど、それまでには見られなかったことだ。
 ラルフが言った。
「皇帝陛下、実はホルスは私の弟でございます。そして亜矢は、兄の警察学校校長時代の教え子で姪も同様なのです。」
「ん?そういえば君には血の繋がらぬきょうだいがいると聞いたことがあったな。キャプテン・ホルスもそうだったのか。それで合点がいった。
 だが分からぬのはレベッカの変わり様だ。モップを持って掃除などしておったのだからな。何があった?」
「父上・・・。」
 レベッカは頬を赤らめて俯いた。サンドラが娘の代わりに答えた。
「この子は、初めはいつもの調子で喚き立てていたのですが、キャプテン・ホルスのお陰で目が覚めたのです。家事もいくらかするようになりましたわ。」
「そうか・・・。キャプテン・ホルス、重ね重ね礼を申します。
 ところで、今後のことだが、レベッカ、ステラ、お前たちは二人ともマクタバの然るべき処へ嫁がせる。そのつもりでいなさい。」
「フレデリック!」
 サンドラが夫の顔を見る。娘たちも同様だ。
「此度の内乱は、皇位を巡る争い。それを収めるには、私が自分の子ではない者を皇太子に指名するしかないのだ。さすれば現代派は納得し、皇帝派もその提案を受け入れるに違いない。残るは宗家派だが、彼らには多くの者を傷つけ殺した罪がある。決して許さぬ。私は、それをもって内乱を鎮める。
 幸い、マクタバのシュカル帝陛下が、お前たちの婿を探すと約束して下さった。皇太子には他の者を指名する。」
「だけど、誰に?」
 サンドラが尋ねた。
「それはまだ決めておらぬ。・・・しかし、レベッカ、ステラ、お前たちはマクタバで平穏に生きてくれ。この父の取り決めに不服はあるか?」
 二人は顔を見合わせて頷いた。両親の前に改めて跪く。
「どうぞ父上のご意志のままに。何にも増して神の御恵みのままに。」
 フレデリックは大きく頷き、サンドラは娘たちを強く抱きしめた。

 しばらくして、ホルスが切り出した。
「それで、姫さんたちは何時マクタバに行くんです?この船でこのまま送り届けて差し上げても宜しいが?」
「しばらくはかかる。二人は一応死んだことにはなっているが、蟻の巣が堤防を崩すとの例えもある。宗家派がまた狙わんとも限らぬ。彼らを残らず牢に繋がねば、決して安心はできない。
 キャプテン・ホルス、引き続きお頼み出来ますかな?」
「勿論。もっとも、このお二人さんが良ければの話ですが。」
 レベッカは、はっきり言った。
「キャプテン、どうかこのまましばらくここに置いてください。私は、ここで多くを学び直したいのです。お願いします!」
 ホルスは彼女の決意が強いと見た。
「分かった。今日からはお前たちも正式に俺の配下として働いてもらおう。俺のことは親方、ノアを女将と呼べ。良い婿が見つかると良いな。」

一八.マクタバ沖第九海域

 フレデリックはラヒドラに運ばれて、皇帝派の拠点ユース市内に戻った。多くの人々が皇帝の無事の帰還を喜んだ。
「皇帝陛下!ご無事でのお帰り、何よりです。」
 外務次官オズワルド・フォークが皆を代表して言った。フレデリックの留守中、皇帝派をまとめ上げていたのは彼だった。
「うむ。皆、この非常事態に留守にして済まなかった。私は、惑星市民条約機構本部で各国の皇帝方と協議して、一つの結論に達した。
 二人の娘たちは残念ながら避難の途中で海に沈んでいた。・・・サンドラはラルフがどうにか拾い上げたようだが。・・・」
 フレデリックはそこで言葉を切った。あくまでも二人を死んだものとして通すつもりだった。
「私は世襲によらず皇太子を指名する。今、その候補を三人にまで絞っている。」
 響めきが起こった。
「直ちに、その方向で現代派との話し合いを持つ。内務局次官ニコル・アンダーソン、先方に話を付けて来てくれ。」
「畏まりました。」
 警部アイザックが言った。
「陛下、宗家派は如何いたしましょう?彼らは宮殿を焼き討ちし、多くの人々を傷つけ殺しました。重き罪に問わねばなりますまい。」
「私もそのつもりだ。彼らは殺戮者だ。到底赦すわけにはいかぬ。現代派と合意に達した後は、必ず彼らをこの手で殲滅してくれよう。皆の者、カレナルドの平和のために力を貸してくれ!」
 方々から歓声が上がる。
「皇帝陛下、万歳!」
「カレナルドに平和を!」
「カレナルドに、神の御恵みあれ!」

 現代派のリーダー・ブライアン・アーノルドは、フレデリックの提案を歓迎した。初めは皆、正義のためを思って行動しているものと思っていた。だが、いざ選挙の具体的な方法を話し合ってみると、各々が我こそはという権力欲があることが表面化して、いい加減飽き飽きしていたのだ。こんな奴らにはとても政治は任せられない。こんなことなら、二人の姫君たちを立てたほうがまだましだった!だが、その姫君たちはもはや失われた。それに、我々の目的は、皇帝の座を世襲とせぬこと。皇帝自らそれに沿う提案をしてくれているのだ。断る理由はない。
 かくして、フレデリックとブライアン達は、フレデリック自身が次の皇太子を一般市民の中から指名することで合意した。
 これを知った宗家派はナント山に立てこもったが、結局はほぼ全員が投降し、裁判に掛けられた。内乱は、僅か七日で終結した。

「この度は、皇帝陛下および多くの方々に多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。皆があれほど権力欲を露骨にしてくるとは想いもよらず・・・。私は、人間というものがつくづく嫌になりました。」
 ブライアンはフレデリックに言った。
「しかし、確かに世襲はあまり良くないな。君たちの言うことにも一理ある。実際、レベッカは我が儘になってしまった。今はただ、あれが神のお慈悲にかかることを願うばかりだ。」
「皇帝陛下・・・ご心中お察し申し上げます。どうか、姫君たちに神のお慈悲の降り注がんことを・・・。」
 フレデリックは、まだ若い指導者を見つめた。青い瞳が聡明さを湛えている。
「時に、君はそもそも何故リーダーになったのかね?地方の有力者なのか?」
「いえ。私は本来は政治学者なのです。古代から現代まで、様々な治世を研究しているうちに、世襲を重ねた王朝が生まれては滅んできたことを憂うようになったのです。その思いに人々は賛同してくれました。そして気付いたらリーダー、という訳です。
 けれども、本当は違ったのですね。みんなは私の信念などどうでも良くて、私はシンボル的な存在に過ぎなかったのでしょう。」
 ブライアンは俯いた。
「それで、今の状態が落ち着いたら君はどうするのかね?参謀にでもなるか?」
「さぁ・・・。先のことは神がお決めになりますから。」
「そうか・・・。」
 ブライアンは、柔らかく静かな受け答えで通した。

 ところが、宗家派には生き残りがいた。そして、一人のウユニ人がフレデリックが眠っている時に忍び入って、彼の記憶を読み、二人の姫君が生きていることを突き止めてしまったのである。
 この上は、二人の姫君を人質にして情勢を巻き返すしかない・・・。六艘の大型船がローズナイト号を追った。

 ホルスは、万が一の場合に備え、戦闘態勢を整えた上でマクタバ沖第九海域に移動していた。カレナルドとマクタバとの中間地点に当たる。
「親方、大型船が六艘、本船に近づいてきます!」
 レーダーを見ていたアヌビスが報告した。しばらくしてその船団から無線が入る。
「キャプテン・ホルス!そちらにカレナルドの姫君がいるのは分かっている!大人しく渡してもらおう!」
 ホルスは怒鳴った。
「こちとら海賊だぁ!欲しけりゃ奪ってみやがれ!命がけでなぁ!」
 そして、女子供には船底に潜んで扉を閉じるように命じた。
「ダン兄、ノア、亜矢、みんなを頼むぞ!俺が良いと言うまで出るんじゃねぇ!」
 彼は、乗組員達を武装させ、甲板に集めて檄を飛ばした。
「野郎ども!今日の相手とは本気で戦え!生死は問わねぇ!女子供を守るんだ!」
「お-!」
 戦いは壮絶ではあったものの、海賊たちは圧倒的多数を相手に互角に渡り合った。大型船は四分の三が死傷していたが、ローズナイト号は半数の負傷者のみで済んでいる。
「さすが海賊・・・。なかなかやるな。こうなったら・・・。」

 船底では、入り口付近に亜矢とラルフが、奥では女たちがまとまって槍を構えていた。と、そこへホルスがふらっと姿を現した。
「親方、どうしたんですか?まだそんなに経っていないのに。」
 ソニアが尋ねた。
「いや、心配になってね。お姫様たちは無事かい?」
 その瞬間、亜矢が二人の間に飛び込んで彼の胸を一突きにした。
「亜矢さん!どうして!」
 亜矢は落ち着き払ってこう言った。
「ソニアさん、これは偽者です。おそらくはウユニ人。一撃で仕留めておかねば危険です。今の言葉遣い、変ではありませんでしたか?キャプテン・ホルスは一度たりとも『お姫様』などと呼んだことはないはずです。それに私たちを信頼している。戦闘中に戻ってくるはずがない。」
 虫の息になった偽者は、術が解けて元の姿となり、笑って言った。
「言葉遣いか・・・。へへっ、なんて・・・こと・・・だ・・・。」
 彼は息絶えた。

 しかし、さすがに数は侮れない。ホルス達は次第に劣勢に立たされつつあった。怪我人が増えている。ホルス自身も左腕と脇腹に矢を受けた。
「もはやこれまでか・・・。」
 ホルスがそう思った時、敵方が慌ただしくなった。他の、より大きな船団に囲まれて動けなくなったのだ。
「こちらは海洋警察である!全員、武器を棄てて投降せよ!刃向かえば命の保証は無い!」

 一人の警察官がいち早くホルスに駆け寄った。
「キャプテン・ホルス!大丈夫ですか!救援が遅れて申し訳ありません!」
 それはホルスが見知った顔だった。
「徹か。遅いぞ・・・。」
 ホルスはその場にうずくまり、そのまま意識を失った・・・。

一九.海賊の恋

 ホルスが目を覚ましたのは見知らぬ部屋の中だ。横に寝かされているらしい。
「よかった!気がついた!」
 誰かが抱きつく。
「いてっ!」
 脇腹と左腕が痛い。
「ご、ごめんなさい。でも本当に良かった。ホルス・・・。」
 妻のノアだった。
「ノア、ここはどこだ?」
 横から声がした。
「ここは巡洋艦『トルファン』の中です。安心して下さい、キャプテン・ホルス。」
 見渡すと、ノアの他にも亜矢と徹がいた。今の声は、徹だったのだろう。
「へっ、海賊が巡洋艦に助けられてたんじゃ世話ねぇなぁ・・・いてっ!」
 彼は、立とうとした。
「寝てなきゃ駄目です。貴方は怪我人なんですから。乗組員の方々も、命に別状はないようです。女性たち、子供たちも全員保護しました。船底に入るには少し苦労しましたけど。」
 徹は少し笑った。ここで笑いが出るということは、俺の怪我も大した事ではないらしい、とホルスは思った。
「何でだ?」
 亜矢が答えた。
「仲間たちが来る前に、ウユニ人が貴方に化けて現れたのです。だから仲間たちが来たときも果たして本物かどうか疑いました。でも、徹があとから来て、壁を信号で叩いて本当に仲間たちなのだと知らせてくれたのです。それで扉を開けました。」
「そうだったのか。有難うな。・・・それでダン兄と姫さん達は?」
「我々とは別の巡洋艦に保護されました。そのままカレナルドとマクタバへ向かわれます。」
「そうか・・・そりゃあ残念だったなぁ。レベッカはもうちょっとしごいてやろうと思ったのに。大丈夫かなぁ。」
 それは、ちゃんと家事が出来るようにさせてやりたかった、という意味なのだと一同には伝わった。
「それは、これから彼女が嫁ぐ先の人の領分じゃないかしら、ホルス。」
 ノアが言った。

 亜矢と徹は席を外した。船窓の外は日が暮れて、綺麗な星空が現れ始める。
「なぁ、ノア・・・。俺たちももう船を下りるか・・・。何だか、そんな気分になっちまったぜ。」
「ホルス・・・。」
「あの星空の星の一つ一つ、その寿命に比べたら、俺たちはほんの一瞬の命だ・・・。海賊だの何だのといくらほざいた所で、人は結局はみんな同じなんだ。
 俺は亜矢に、とうとう人を殺めさせちまった。あの世でマコ兄にどの面下げて会えるってんだ・・・。」
「ホルス、それは貴方のせいじゃない。ううん、あれは完全に正当防衛よ。亜矢さんがいてくれなかったら、私たちは傷つけられて姫君達がさらわれてた。・・・
 それに、たとえ瞬く間の命でも、人はやっぱり少しずつ違うと思う。私は貴方の温もりの中にいたい・・・。」
 ノアはベッドに屈み込んで、横になっているホルスの頬にキスしてその胸に顔を埋めた。
「ノア・・・。やっぱりお前は俺の最高の女房だぜ・・・。」
 ホルスは動かせる右手で妻の髪をとかした。
(そういやぁ、あん時も星が綺麗だったよなぁ・・・。)

 二十一年前、マクタバの港町カシュガル・・・。

 荒削りな言葉遣いとは裏腹に、仲間やその家族達と優しく接し、親方と呼ばれるに相応しいホルスに、乗組員だったノアは次第に心惹かれていった。
 彼女は、カレナルド系オルニア人の茶道家の家に生まれた。客船で家族旅行中に海賊セトに襲われて一家皆殺し、無理やり囲い者にされていた所を、セトを打ち負かしたホルスが助け出した。海賊同士の果たし合いも、決して珍しいことではないのだ。
(表面上は豪快だけど、この人は寂しさを隠し持っている・・・そんな気がする。助けてくれている彼に、私は何もしてあげられないの?何だか胸が締め付けられるよう・・・。)
 その思いは、やがて愛へと変わった。
(駄目!彼はキャプテンなのよ!こんな気持ちを持っちゃ駄目なの!)
 だが、遂に思いに耐えきれなくなった彼女は、夏の夜、密かに下船した。もう二度と会わないつもりだった・・・。

「なにいっ?!ノアがいねぇだと!探し出せ!今すぐにだ!」
 ホルスはハッとした。そういえば最近、ノアは彼を避けていた。廊下で出会うと、顔を赤らめて去ってしまうのだ。ホルスは内心それを寂しく思うようになっていた。
(ノア!まさかお前・・・!)
 ホルスは他の乗組員に混じって懸命に街中を走った・・・。

「親方ぁ!見つけましたぁっ!」
 エスメラルダが半ば強引にノアを引っ張って来るのが見えた。エスメラルダは言った。
「ノアは親方のことを好きになったみたいです。」
 ホルスは俯くノアを見つめた。乗組員たちは気を利かせて、先に船に引き揚げていった。
 彼はノアの手を掴んで船が見える桟橋の近くまで連れて来た。「心配かけやがって!」と叫びたかった気持ちは、そこに着いた時にはすっかり収まっていた。
「ノア・・・。もしお前がこんな俺でもいいんだったら・・・俺の船で女将をやってくんねぇかな・・・。何だか寂しくっていけねぇよ。」
「親方・・・。」
 小柄なノアはホルスの顔を見上げた。
「お前に避けられて、俺は寂しかった。乗組員たちが大勢いても、俺には身近に家族と呼べる奴がいねぇ。きょうだいたちがいるが、あちこちに散らばってるから滅多に会えねぇしな。俺は部屋に帰っても、いつもひとりぼっちだった。ただ酒飲んで寝る、それだけだった・・・。
 お前にいなくなられて、改めて思う。俺はお前に家族になって欲しいんだ、ってな。・・・これからは、ホルスと呼んでくれ・・・。」
「本当に?」
 ノアは独り言のように尋ねた。
「本当だとも。さぁ、呼べ。」
 こんな時に、なんでこんなぶきっちょな言葉しか出ねぇんだよ、俺!それにキスくらいしろ、馬鹿野郎!・・・ホルスは自分で自分を殴りたくなった。
「ホルス・・・。」
 呟くように名前で呼んだノアを強く抱きしめた。女を抱きしめたのは初めてだった。
 空を見上げた。
「ノア、見ろよ、満天の星空だ・・・。今のお前は、あれに負けねぇくらい綺麗だぜ・・・。」

二〇.転身

 翌朝、海洋警察本部に着くと、ローズナイト号の乗組員たちは会議室に集められて全員での再会を果たした。室内には数人の医務官が付き添っている。
 ジャッカルが言った。
「親方、みんな、本当にすみません。私は、いの一番にテレキネシスかけられて・・・。」
 そうだったのかと皆は思った。もし彼が危険だと判断したら、船ごと遠くにテレポートさせてくれていた筈だからだ。敵方が彼の気配を察知して、まず彼を押さえ込む作戦に出たことは十分に考えられる。
「そうだったのか。ま、気にするな。こっちには死者が出なかったんだ。それよりお前、左目はどうした?眼帯が包帯になってるじゃねぇか。」
 ホルスが言った。
「実は・・・あの左目はもう無いのです。」
「何?!」
「敵に両眼を潰されました。敵はそのまま私を殺そうとしたのですが、誰かが救ってくれたようです。それに、巡洋艦の中で回復術を施されて右眼は元通りになりました。・・・でも、私はもう妖力を使えないでしょう。」
 ホルスはふらつきながらジャッカルに近づき、その肩を抱いた。
「・・・そりゃあ、さぞかし痛かっただろうなぁ・・・今も痛むのか?こっちこそ済まねぇ・・・。」
 ホルスはポロポロ涙を落とした。
「・・・親方・・・。こんな私でも傍に置いてくれますか・・・。」
「あたぼうよ!誰が手放すもんか!」
「親方・・・。」
 ジャッカルも泣いた。その場の全員が涙した。

「その怪我は、おそらく治るよ。」
数人の警察官たちが入ってきた。徹と亜矢もいる。言葉を発したのは、その中でも高い階級の制服を着た男だ。
「私はサリム・アマート。海洋警察長官を務めている。我が海洋警察には、優秀な医師が揃っている。勿論、ウユニ人もね。とりあえず応急処置はさせてある。だが、完全に治すには、ウユニ本土に行く必要があるとのことだ。
 キャプテン・ホルス、君に頼みがある。君が特定の組織に縛られるのを嫌うことは知っている。だが、是非とも我が海洋警察の一部になってもらいたい。あるいは別働隊という形でも構わない。名付けて『ローズナイト巡洋隊』・・・どうかな?」
「もし断れば逮捕・・・ってぇ寸法かい?」
 ホルスはニヤリと笑った。このサリムという長官、おそらく話の分かる男だ。
「そうは言わない。君たちはカレナルドの女性たちを匿い、味方の何倍もの敵に勇敢に立ち向かった。我々はそれを正当防衛と認識する。ただ、そんな君たちにも大きな後ろ盾が必要なことは、今回のことで分かっただろう。それとも、部下を命の危険にさらしてもまだ孤高を貫くかな?」
 サリムはホルスに手を差し出した。
「・・・わかったよ。どうせ救ってもらった命だ。好きにしやがれ。」
 二人は固く握手を交わした。その握手を以て、ホルスは海洋警察の一員になることを承諾したことになる。
「それでは君たちは今から海洋警察の指揮下に入る!・・・ホルス・ジルティガー、君を警視正に任命する!ジャッカル・マカフィーは警視に任ず!他の戦える者は巡査とする!」
 サリムは敬礼した。警察官たちもそれに倣う。
「け、警視正?!お、俺が?!」
 ホルスは勿論、ローズナイト号の面々は腰が抜けるほど驚いた。
「そうだよ。各部署のトップは必ず警視正でなければならんのでな。聞けば君は環境設計家ヴィクトル・ベッカー氏の息子で様々な知識をみっちり仕込まれたそうじゃないか。さらに長い航海生活では、海洋法も充分に身に染みついているはずだ。それに私が見たところ、リーダーとしても最高。ジャッカル君も頭脳明晰と、それぞれの役職に相応しい。皆、今後は海洋警察官としての活躍を期待しているよ。」
 サリムは、ホルスの肩をポンと叩いた。
「怪我が治り次第、直ちにローズナイト号でウユニ近海の巡回任務に就け。同時にジャッカル警視に本格的な治療を受けさせるように。以上だ。」

 巡洋隊として初めて出航する日、徹が制服を持ってきた。
「何だか妙なことになっちまったもんだ。」
 制服に袖を通しながら、ホルスは苦笑した。
「良いじゃないですか、とにかく生きておられるのですから。とてもよくお似合いですよ。
 ですが、敬礼だけはお願いしますね、ホルス警視正。」
「しょうがねぇなぁ・・・。こうか?」
 ホルスは少しはにかみながら右手のひらを伸ばして額に当てた。

 巡洋艦として改装され、白と青に塗り直されたローズナイト号は、元々の乗組員だった海洋警察官たちと、新しい幾人かを乗せて、ウユニ本土に向かった。ノアや女性たちの多く、子供たちを警察官宿舎に残して。・・・

「しかし、誰が私を助けてくれたのでしょう?かなり大きな力を感じましたが・・・。」
 ジャッカルが言った。
「まぁ、少なくともウユニに関係した奴だろうな。そのうちに分かるさ。」
 戦いの舞台になったマクタバ沖第九海域は、比較的ウユニに近い。巡洋艦がその海域にさしかかった時、走査係が叫んだ。
「本艦左舷十時の方向に、巨大な生命体反応あり!近づいて来ます!」
 霧が垂れ込めて、一人の年配の女性が巡洋艦内にいたホルスとジャッカルの目の前に現れた。
「私はサテン。本来は竜族なのですが、体が大きすぎて船には入れないので、幻で失礼しますよ。ジャッカル殿、貴方を助けたのは私です。」
「貴女が・・・。どうもありがとうございました。」
 ジャッカルは丁寧に礼を述べた。
「俺からも礼を言わせてくれ。サテン殿と言われたな。こいつを救ってくれて本当にありがとう。」
 ホルスも帽子を脱いで頭を下げた。
「私は竜。あれくらい造作もありません。
 ジャッカル殿、貴方は私の娘の宿り主を思っておられる。救って差し上げるのは当然です。」
「宿り主?」
 ホルスとジャッカルは一瞬何のことか分からなかった。が、二人はほぼ同時に気が付いた。
「そうだ!」「騎士殿!」
「そうです。海洋騎士・ボーディ・・・。彼女に付いているのが我が娘スヴァーハーなのです。
 ジャッカル殿、どうか我が娘を宿り主共々よろしくお願いします。・・・」
 幻影は消えた。
「ボーディ殿・・・。」
 ジャッカルは夢見心地だった。ホルスが肩を叩く。
「しっかりしろ!今度こそプロポーズしろよ。」

 ウユニ本土では、アムリタがボーディを伴って彼らの到着を待っていた。サテンがスヴァーハーにテレパシーで知らせておいたのだ。
「ボーディ、回復術は私が行います。傷ついたジャッカル殿を大切にしてあげるのですよ。」
「しかし、あのジャッカル殿が私を・・・。とても信じられません。それに、私は皇太子殿下を終生お守りしなければ。」
「私は貴女に幸せになって欲しいのです。それが私に対する何よりの忠義と思いなさい。」
「姫様・・・。」

 ホルスとジャッカル、アムリタとボーディの四人は久々の再会を果たした。それぞれの変容ぶりに年月を感じつつ、時間城に入った。
 アムリタは、ジャッカルを医務室の寝台に座らせ、包帯を外した。左眼に手を当てて回復術をかけ始める。アムリタの手からあふれ出した光がどんどん大きくなって、彼の身体を包み込むほどになり、それがやがてジャッカルの左眼に吸い込まれていった。おそらく膨大なエネルギーだったに違いない。ジャッカルはそのまま眠りに落ちた。
「あとは、見守るだけです。付いていてあげなさい、ボーディ。」
「姫様・・・アムリタ様、私は・・・。」
「忘れていました。・・・貴女を海洋警察に推薦しておきました。貴女には、鎧はもう必要ありませんね。」
 アムリタはボーディの鎧を国庫にテレポートさせ、刺繍入りの民族衣装を着せた。躊躇うボーディを残して、アムリタは部屋を出た。いつの間にか席を外していたホルスが、廊下で待っていた。
「ありゃあ花嫁衣装なんだろ?なかなかやるじゃねぇの、姫さんよぉ。」
「ふふっ。貴方ほどではありませんよ、ホルス警視正。
 申し訳ありませんが、少し疲れました。明日また九時半に主だった方々を連れてお越し下さい。」
「分かった。すまねぇが、ジャッカルを頼む。」

 部屋に取り残されたボーディは、改めてジャッカルを見た。傷つき、眠っている彼が、あの時からずっと自分を思ってくれていた・・・。彼女は近づいてその手を取る。胸に何かがこみ上げて来た。
「ジャッカル殿・・・。」
 長い夜が明けるまで、彼女はそのまま動かなかった。

 夜明けから二時間後、彼は目を覚ました。
「目覚められましたか、ジャッカル殿。」
「騎士殿・・・傍に居てくれたのですか。」
 ジャッカルは、半身を起こした。初めて間近に見るボーディをじっと見つめ、立ち上がる。
「貴女が好きです!結婚して下さい!」
 言葉が勝手に出た。ボーディは、彼の頬に手を触れた。自分でも驚いたが、彼を心から愛しいと思った。
 どちらからともなく唇を重ねる。抱き合い、互いの温もりを確かめた。
「ジャッカル、鏡を見て・・・。貴方の眼は、もう赤く大きくはありません。」・・・

 医務室を出た瞬間、二人は突然ライスシャワーと喝采を浴びせられた。慌てて見渡すと、アムリタ、ウユニ騎士団、オンネト、ホルスと乗組員たちが揃っている。
「これだけの方々が祝ってくれているのだ。必ず幸せになれ、ボーディ。」
 ボーディの兄パラガテが言った。

二一.目に見えぬもの

 内乱収束から二ヶ月が経過した。内乱の最中もその後も、政治は地方自治体の知事たちがよく支えてくれていた。そのため、フレデリックは暫しの間、首都の政と宮殿の修復に専念する事が出来た。王宮の造りを質素にし、規模を縮小して、その分、役所部分を拡充した。あと少しで完成する。
(もうそろそろ発表しても良かろう・・・。)

 彼は、宮殿前広場にできうる限り多くの人を集めた。
「皆の者、私は今からカレナルドの未来を託す皇太子、内務長官、外務長官を指名する!何者も異議を申し立てること勿れ!良いな!」
 一同は静まり返った。誰も息をしていないかと思われるほど静かになった。
「皇太子にはブライアン・アーノルド!内務長官にはオズワルド・フォーク、外務長官にはニコル・アンダーソンを任ずる!これより、私も含めたこの四人で実務担当者を決める。以上である!」
 慌てたのはブライアンだ。
「お、お待ち下さい、陛下!私など・・・!」
 フレデリックは微笑んで言った。
「異論は許さぬと申した。・・・ブライアン、君には確かな思考と指導力がある。持って生まれた才能がね。ついてきなさい。これからは、君は私と行動を共にするのだ。
 オズワルド、ニコル、君たちには分かるね。」
「はっ!」
 元から官僚の二人は跪いて承諾の意を表した。
 フレデリックは、ブライアンを宮殿の一室に連れて来た。
「今日からはここを使いたまえ。」
 ブライアンは尋ねた。
「皇帝陛下、何故私なのです?他にも多くの方々が生き残っておられるではありませんか?」
 フレデリックは椅子の一つに腰掛け、ブライアンにも座るように促した。
「君は言ったね。皆が権力欲に塗れていると。私も同意見だ。たとえいくら全国的な選挙をしたところで、自分から手を挙げてくる者たちに限って、権力欲や名誉欲が強いものだ。惑星市民条約機構が各国に皇帝を定めているのもそのためなのだ。従って、私も、我こそはなどという者たちに皇位を任せる訳にはいかぬ。
 その点、君は自らを政治学者だと言った。にもかかわらず、人々から慕われてリーダーになった。それこそが皇帝たる理想像なのだよ。」
 ブライアンは考え込んだ。
「なお、我が后は娘たちを見送ってから帰ってくる。その時に改めて引き合わせよう。」
「姫君たちをお見送りになる・・・皇帝陛下、それは何を意味しておられるのですか?私には分かりません。」
「実は、娘たちは生き残ったのだ。そして、マクタバの何れかへ嫁いだ。カレナルドに帰ってくるのは后だけだ。」
「おぉ・・・。」
 ブライアンは安堵した。たとえ誰であろうとも、命は救われるべきなのだ。
「もう、皇太子は君と決まった。娘たちがどこにいようと関係ない。だから今、君に明かすのだ。」
「それは何よりでございます。どうか姫様たちの上に、神の御恵みの多く降り注がれんことを。」
「ありがとう。」

 マクタバのシュカル帝は、隣国からの四人の客を丁重にもてなした。無論身元は伏せてある。彼らの顔を知る者たちにも固く口止めした。そうして二ヶ月かけて二人の姫君の嫁ぎ先を決めて送り出し、皇后サンドラとラルフをカレナルドに帰した。
(これで、カレナルドも平和になるだろう。隣国カレナルドにも、神の御恵み多かれ・・・。)

 レベッカが嫁いだのは、大きなオアシス都市フェルガナの族長の家だ。花婿は、次男カリーム。彼は古代マクタバ語の研究者にしてシャイナニ教聖典専門の書家だった。
 すぐに結婚式が挙げられ、レベッカは、これから家族となる女性たちによって初夜の寝室へと導かれた。あとからカリームが入ってきて、薄衣一枚の彼女に近づく。
「君は、運命をそのまま受け入れるのかい?皇帝陛下のご紹介とのことだけど、昨日まで全く知らなかった相手に抱かれるんだ。君が今どんな気持ちなのか聞かせてくれ。」
 レベッカは答えた。
「私は、多くの罪を犯してきました。我が儘に育って、多くの人の心を踏みにじってきた・・・。出来れば、それを償って、全てをやり直したいの。貴方は聖典の書家だと聞いたわ。私に、聖典に記されている真実を、そして全てを教えて。」
 カリームは彼女を見つめた。彼女は懸命に何かを探し求めている・・・そんな気がした。
「君は、大切な何かを探し求めているんだね。・・・我が妻よ。」

 レベッカに家事をさせてみた姑のスハーは驚き、呆れた。
「あんたはよほどのお嬢様だったんだね。それにしてもひどい。その分教え甲斐があるけどね。」
 それでもスハーは優しく一から根気よく教えてくれた。レベッカが懸命に学びとろうとしているのが感じ取れたからだ。そのうちに勘のようなものが芽生え始めた。
(そうか、そうだったのね、すべてが同じなんだ・・・。)
 レベッカの中で、全てが変わり始めた。・・・

いいなと思ったら応援しよう!

三毛猫モカ@エッセイスト&プログラマ
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!