[70MD]さだまさしさん
継続は力なり
さだまさしさんのことは、全世代に知られていることと思います。
それはおそらくずっとコンサートとテレビ出演を続けてきたからだと思われます。数多きアーチストたちとも交流を絶やさず、何か災害がおこれば、ギター1本持ってチャリティーライブを行う・・・。本当に凄いと思います。
長崎からバイオリン留学
彼は、小さい頃からバイオリンを始めて、小学校高学年くらいに長崎から東京に出てきて下宿生活をしていたそうです。
高校生になった時に、加山雄三さんを真似て、加山さんと同じコードを使って歌を作ったら(音楽的な知識はバイオリン留学で培われていたので出来たのですね)、それを聴いた友だちとても褒めてくれて。それから作り出したのだそうです。
一旦は挫折するも・・・
ところが、芸大には落ちてしまい、別の大学の国文学科に入学。さらに長崎弁を直したくて落語研究会に入ります。
そのことが後々コンサートトークに活きてくるのですが。
そのうちに、体調を崩して一時的に長崎に帰郷。その時に、東京から来た吉田政美さんと、グレープというグループを組んで、アマチュア活動を始めます。
ローカル・ラジオ局から番組を持たせてもらい、そこでも他のアーチストたちとの出会いがあったようです。下積み時代のアリスとも共演しています。
デビューは暗めの歌ばかり
そして、グレープとしてデビューしますが、「精霊流し」「無縁坂」と続いたため、なんとなく暗めにイメージされてしまうことに。😁
まぁ、それでも時代は彼らの歌を受け止めました。
数年後、グレープはさださんの体調不良のため解散しますが、休養後さださんは独立。山口百恵さんの「秋桜」、自身の「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」などを作り上げます。
でも、その間に自主制作で作ったドキュメンタリー映画「長江」でロケ代がかさんで、35億円もの借金を抱えてしまいます。💧
でも「銀行がこれだけ貸してくれたのだから、何とかなるはずだ・・・!」と、コンサートやテレビ出演を続けました。
結果的には、それがよかったのでしょう。今では知らぬ人なきシンガーソングライターです。😊
地元のため、世界のため
いつからか、彼は地元長崎で、無料チャリティー・コンサートを開くようになりました。
「夏・長崎から」は、毎年8月6日・広島の原爆の日に、長崎で行われ続けた平和祈念チャリティー・コンサートです。加山雄三さんをはじめ、多くのアーチストたちも参加して、二十数年間続きました。
(『地元のため』という言葉は、本当はこういうことを指すのです。)
また、世界平和のための「風に立つライオン基金」も設立。それは、今も続いています。
さださんの「風に立つライオン」を聴いて、青年海外協力隊になったお医者さんたちが少なからずいるとも聞きます。「僕ら音楽家は、直接的には何も出来ないけれど・・・。」と、彼は言いますが、彼はいくつも立派な社会貢献をしているわけです。
それに、音楽は人を元気にする力を持っているのです。優しく寄り添ってもくれます。
『何かを成す』ためには
人というものは、みんな他の人の力を集めて成長し、その恩返しをして生きていくものなのだと、私は彼から学ぶのです。
しかしながら、その第一歩『人を集める力』は、才能と努力と環境がすべて揃って初めて現実化していけるものなのです。
また、その環境も『常に最高を作り上げていけるだけの器』の賜物であることも考えると、改めて彼の大きさが見えてきます。
どこかで何かが起きてしまうと、ギター1本抱えて飛び込みライブもやってしまう身軽さと実行力も大したものです。😊
公式ホームページ
さだまさしオフィシャルサイト https://masasingtown.com/