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[70MD]小椋佳さん
このペンネームについて
普通、この名前は『おぐら・けい』とは読めません。
福島県にある北塩原村という所に、学生時代訪れた青年が、そこで夏の数日間を過ごします。その村の住民に、この『小掠』という名字が多くて、そこから名前をもらったそうです。
でも、「佳」の字は、本当は「か」としか読めないのですが、本名のイニシャルがKなので、無理に当てはめたものと推測されます。😁
始めは謎のシンガーソングライターだった?!
青年はやがて銀行に就職しますが、『人間はいかに生きるべきか』『生きる意味とは?』を考え続けて、導き出された答えが『創作し続けること』であり、それ以降、既成化されない『自分のための歌』を書き続けます。
当時は副業は禁止だったため、顔出しNG・本名NGの条件で、銀行側も黙認ということになったらしい。本人も、『ただの青春の1ページ』としてレコーディングしたのではないかと思われます。
でも、周りが放っておいてはくれなかった。すご~くたくさん売れちゃった。(笑)
そのうちに、とうとうNHKから、どうしてもコンサートを開いて欲しいという話が銀行上層部にいき、歌手として舞台に立つことになります。
ちなみに、当時の観覧は抽選倍率が何百倍だったそうです。
だから、小椋佳さんに限っては、自分から歌手になろうと思ってなったわけではないのです。その意味では無欲なのですが、気楽に凄いことをやってしまう人でもあります。
今、名前を言っても知らない人が多くなってしまったのは、あまりテレビに出たがらない性格のせいですかねぇ。引っ込み思案というか無器用というか・・・。そういうところも、私は好きなんですが。
たくさん売れちゃった歌たち
でも、ヒットした歌は、いっぱいあるんですよ。😊
「さらば青春」
「しおさいの詩」
「俺たちの旅」中村雅俊
「白い一日」井上陽水
「めまい」
「揺れるまなざし」
「少しは私に愛をください」
「シクラメンのかほり」布施明
ここまでを30歳くらいまでに作って、その後も・・・
「泣かせて」研ナオコ
「愛しき日々」堀内孝雄
「夢芝居」梅沢富美男
「愛燦燦」美空ひばり
「山河」五木ひろし
と続きます。流行らせたのは他の歌手ですが、作詞は小椋佳さんです。
あと、「銀河英雄伝説」の初回アニメ化のとき、テーマ曲全部を担当したとも。
小椋佳さん自身も、2オクターブは出たという恵まれた声質と、天性の歌唱センスで、類い希なるシンガーソングライターとなっています。少し年下のシンガーソングライター達からも敬愛されているようです。
80歳を迎えて、さすがにキーと声量は下がってますが、コンサートはまだ現役です。
『あまり欲はないけど、やる以上は真剣にやる!』
それが小椋さんなのです。😊
薩摩琵琶と小椋さん
小椋さんのお父様は、もと薩摩琵琶の師範で、おうちも料亭をしていて、邦楽が日常的に流れていたそうです。
それと、世代的に三橋美智也さんとビートルズを聴いていた。
それが小椋さんの音楽背景にあります。
なので、50代から60代にかけて、琵琶を自分の歌の伴奏に取り入れる試みもしています。和楽器演奏家や邦楽の歌手達とミュージカルを作ったりもしました。
また、ひと頃はピアノの発表会ならぬ『琵琶の発表会』に一般人として出たりなんかして。(私も何度か聴きに行きました。)
琵琶って、ほんとに良い音色を出すんです。💕
一般的には「平家物語」とか、最近では「鬼滅の刃」の中でも聞こえてきますね。カラカラカラカラベンギューンベベンっていうのが、たまりません!
(今年の大河ドラマでも、紫式部が琵琶を弾くシーンがありますが、いくら平安時代でも、弦をあんなふうに上から下へ1回なぞるだけ、なんてことはなかったと思いたい。)
オリジナル・ミュージカル
アメリカ留学中にブロードウェイ・ミュージカルに感動した小椋さんはオリジナル・ミュージカルを幾つか制作してきました。
40代から50代にかけては「アルゴ・ミュージカル」を、60代くらいには邦楽ミュージカル「歌語り」を、それぞれ上演します。
「アルゴ・ミュージカル」は、出演者は子供たちで、大人が子供のためのミュージカルを作るのではなく、反対に子供たちによるお芝居で大人を感動させようという試みでした。
結果的には、そこから二人のミュージカル俳優が育つことになりますが。
もう一つの邦楽ミュージカル「歌語り」は、民謡や浪曲の歌い手や、琵琶や尺八などの演奏家を交えたもので、単に『題材を日本にしただけの西洋ミュージカル』ではありません。
西洋の12音階に限定されない音や歌唱表現を取り入れる試みでした。
こちらのほうは、琵琶や三味線の歌を聴いて育った小椋さんでなければ、考えつかなかった試みだったと思います。
この時は浸透はしなかったようですが、次の世代に期待したいところではあります。
生前葬コンサート
小掠さん特有の、あっけらかんとすごいことしちゃう性質がよく表れたのが、70歳の時にやった「生前葬コンサート」。
NHKホールを4日間借り切って、25曲ずつ合計100曲歌う、なんてことやっちゃった。(笑)
コンサートの名前だけでも驚きますよね。
でも、NHKホールは初めてコンサートをした思い出深い場所。そこで開きたかったのでしょう。
翌年は「一周忌コンサート」、そして10年後の今年は「図らずも生き延びて~葬式後10年~」と銘打ちます。
引っ込み思案で無欲で無器用で、でも熱い情熱と豊かな心と気さくささえも併せ持つ・・・。こういう人は、なかなかいません。😊
公式サイト
小椋佳倶楽部 https://ogla-kei.club
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