#1 きみは強し恋せよ乙女 おそるべし恋のチカラ
皆様、こんにちは。
ごきげんいかがですか。
マリナデシコです。
今から100年くらい前の大正時代に流行した歌「ゴンドラの唄」の1番です。
youtubeで聴いてみると「曲調がどうしても古いな~」と思っちゃうんですけど、歌詞は素敵ですよね!
特に最初の「いのち短し 恋せよ乙女」は声に出して読みたい日本語!
ちょっと前に流行った恋愛小説『夜は短し歩けよ乙女』のタイトル元ネタにもなってますね。
100年経っても耳に残る歌詞を作詞した吉井勇先生すごい!
大正時代は平均寿命が40代だったそうなので「いのち短し」は納得です。
恋愛している期間がとても短かったんですね。
一つ前の明治時代には民法が変わって、お父さん一人に家族の色んな権利が与えられて「お父さんの言うことは絶対!」というルールが出来ました。
そのため、明治・大正時代の乙女の結婚は、お父さんが相手を決めていたので、ほとんどの人が恋愛結婚ではありません。
だからこそ「いのち短し 恋せよ乙女」の歌が、たくさん共感されたのかもしれません。
“自由な時間が短いから”の他にも、女性は恋をすると綺麗になるので、乙女は二次元三次元に関わらず、恋をした方がお得なのかもしれません。
この「女性は恋をすると綺麗になる」は、妄想でも冗談でもなく、科学的に解明されてるそうです。
難しいことは分からないので簡単に言うと、恋をすると女性ホルモンのエストロゲンやドーパミンが増えて、肌の質が良くなり、前向きになって、色んなことにチャレンジする力が沸いてくるのだとか!
すごいぞ! 恋するパワー!!
しかーし!
これはあくまでも、恋が順調なとき!
失恋や嫉妬でモヤモヤしてるときは、メンタルも肌も総崩れでボロボロになってしまう諸刃の剣!
それほど「乙女が恋をする」ということは、すごいチカラを持っているんですね!
一般的に、男性は“理性”で、女性は“感情”で動く生き物だそうです。
だから、女性の方が恋にのめり込みやすい。
しかも、女性は一度に二つ以上出来るマルチタスクだから、男性みたいに「仕事一つに集中!」じゃなくて、「仕事も恋もどっちも集中!」出来るんですね。
恋する乙女は美しい。そして、強い。
そんな美しくも強い、恋する大和撫子のエピソードを3つ選んでみました!
(1)夫の浮気相手の家を容赦なくボコボコにする嫁【北条政子】
鎌倉幕府をひらいた初代将軍、源頼朝の嫁、北条政子!
この姉御、行動力がとにかくすごいんです!
恋に全力! 政治にも全力!
「尼将軍」と呼ばれるほどに、出家して尼になっても、男性を差し置いて全部の権力をゲットしちゃった、とんでもない御方なのです!
そんな姉御の恋が、平凡なわけがないんですよ!
恋した相手は平氏側であるお父さんの敵、源氏の跡取り息子の源頼朝。
はい。もう、この時点でヤバいですね。
「なんでよりによって、敵の男を好きになるんだよ、政子ー!」
と、政子パパも頭を抱えたことでしょう。
この時代、平氏という武士一族と、源氏という武士一族が戦いまくってました。
平氏が勝って、源氏のほとんどが殺されてしまうんですけど、頼朝は幼い少年だったので、静岡県の伊豆に追放することで見逃してもらってたんですね。
見逃してもらった頼朝が成長して、平氏を滅ぼしちゃったので、これ以降、武士は敵の息子がどんなに幼くても皆殺しにするようになったのだとか。
伊豆の地方役人だった政子パパは、頼朝を監視する役でした。
それなのに、京都に出張に行って戻って来たら、娘は敵の息子といい感じになってたなんて、上司になんて言い訳したらいいやら。当然、大反対します。
パパ「政子! 頼朝はダメ! 源氏の跡取りで人質なんだから!」
政子「私は頼朝様が好きなの! パパは黙ってて!」
でも、政子姉御はパパの反対もなんのその。
嵐の夜に家を抜け出して、頼朝のところへ行き、そのまま駆け落ちしちゃいます!
高貴な女性が外に出るなんて滅多になかった時代に、まさかの夜、しかも雨の中、恋人のところへ。
政子姉御が、どれだけ情熱的だったか、お分かりいただけたかと思います。
都会から来たイケメンエリート御曹司!
しかも、どこかさびしげな雰囲気!
地方の世間知らずで、好奇心旺盛の情熱的な乙女が、惚れないわけがないんですよ!
▼日本の乙女が思わず惚れちゃう条件についてはコチラをご覧あれ
パパ「政子がそこまでするなんて……こうなっては仕方ないか」
結局、政子パパは二人の結婚を許しました。
そんな情熱的に結ばれた政子姉御と頼朝さんですが、この時代は一夫多妻制が当たり前。
京都生まれでモテる頼朝さんは、政子姉御が第二子を妊娠中に、愛人を家臣の屋敷に住まわせて浮気してました。
頼朝「家臣の屋敷に愛人がいれば、嫉妬深い政子に内緒で浮気出来るぜ~」
甘い! 甘すぎるぞ、頼朝!!
夫の浮気を知った政子姉御は激怒します。
身内のおじさんに頼んで、愛人がいる家臣の屋敷をボッコボコに破壊させます。
頼朝の愛人と家臣は、命からがら逃げだしました。
頼朝の命令通りに愛人を住まわせただけなのに……家臣、可哀想です。
その後の頼朝は、政子姉御を気にして、こそこそと隠れるようにしか浮気出来なかったのだとか。
夫が愛人を作っても、妻は我慢するのが当然だった時代でも、現代の私たちと同じように嫉妬していたんですねー。
好きであればあるほど、嫉妬は激しく燃えるので、嫉妬されているうちが幸せなのかもしれませんけど。
ちなみに、この「政子姉御による頼朝の愛人宅ぶっ壊し事件」ですが、昔の日本では正妻が愛人の家を破壊するのは、「後妻打ち」という、平安時代から江戸時代まで続いた慣習です。
政子姉御が特別というわけではありませんよー。
【後妻打ち】
正妻や前妻が、後妻や愛人の家と家財道具を破壊すること。
相手に直接危害は加えない。
打ち壊し時間を事前に後妻(または愛人)に連絡してから、
正妻(または前妻)は周囲の人を連れて壊しに行く。
びっくりな慣習ですよね。
ちゃんと事前に連絡するところが、おそろしいのか優しいのか分かりませんけど。
続きます。
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