大切にすべきは流行?個性?

私の中で答えが出てないことなんだけど、「みんなと一緒」であることを良しとするか、「自分が満足」であることを良しとするか。

綺麗事を言うならば「個性」ってことになるのかもしれない。けれど、特に学生だと顕著だけれど、日本は「出る杭は打たれる」。人と同じことが、大切だったりする。現に私も、人と違うんだろうな、空気が読めないのかな、浮いてたし意地悪されたことがある。ある程度の自分のこだわりを捨てて周りに合わせることの大切さは否定できないと思う。

クラスの人気者がスタンダードになり、それに合わせるような学校生活。人気者が右と言えば右が正しくなる。最近みたドラマか映画でもそんなこと言ってたな。タイトル忘れちゃったけど。だからね、人気者が私のことを気に入ったとして、そしたら一気に私が人気者になるわけです。そのくらい、他人の評価って脆弱なものだったりしますよね。他人の評価の元に自分の評価を置いてはいけないですね。これは最近気づいたことなので当時の自分にそこまでのことを思うのは無理でしたが。

そのドラマか映画で、「人気者」と一線を置いたところに「クールな子」っていうジャンルがあったんですよ。アメリカの作品だから日本人にその感覚はないかもしれないけど。私はそれを見てて、できることならその「クールな子」ジャンルに居たい、と思ったんです。疲れそうな「人気者」ではなく、団子になってくっついてくピクミンみたいな「人気者の金魚のフン」でもなく。人気者にも認められてる存在なんですよ、クールな子は。それでいて、ブレない。かっこよすぎる。

まあきっと、そこまでキレッキレなクールな子には今からなれないと思うし日本においてはもっと周りに溶け込まないと面倒なこともあるから、完全には目指せないけれど。人気者とそれに好かれるのを目指すのはやめようと思いました。つまんなそうだから。

その作品の「クールな子」は、髪型がビリーアイリッシュみたいに派手な色でたしか紫とかで。タバコも吸うし不良なのかなって、日本の作品ならそこで終わらすところを、彼女は文学の才能があって、かなりの読書家で文章の才能もあるんです。知的な部分がめちゃめちゃかっこいい。それから、友達想いだったりもする。こういうのが本当の個性ですよね。こう言う見た目ならこういうキャラだろう、っていうイメージに自分からハマりに行っちゃって、ギャルの見た目で本当に頭も馬鹿だったら、何の魅力もない。自分の個性を諦めずに、好きなことを追求する姿はかっこいいと思う。

ちょっと話を戻すと、流行りと個性ってわかりやすいのは例えばファッション。流行りの髪型にメイク、服などがあるけれど、かならずしも自分に似合うわけではないですよね。流行りの髪型を色々試してるうちに、例えば重め前髪が似合わなかったけどシースルーの時代になってそれにしたら一気に垢抜けたとか。流行というモノサシ通りにやっていたら大間違いで。

私も実際、髪型もみんながストパーの時代にストレートしていたけど顔の形にいまいちあってなかったし、前髪の長さもしかり、服装も人気者の子の服を真似ても自分には似合わない。容姿がコンプレックスになる。っていう経験があります。

人気者の子が好きなのがディズニーだったけれど私はカートゥーンネットワーク系のほうが好きだったりして、ミッキーとかのかわいさがわかってなくて、わかってないのに学校で使うものをディズニーにしてたり。そういうのが窮屈だったなと。でも当時の自分にはそうするほかなかった。そうするほかの手段を知らなかったから。個性の出し方を知らなかったから。

もういい歳なんだけれど、色んなメイクを試してみて、色んなファッションを試してみて、自分はどういうものが好きなのか、感じとりながら見つけていきたい。個性的でいても孤立とは違う、クールな子をめざそう。

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