![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/121037229/rectangle_large_type_2_2fdc1c161db927573d1371ef7fead520.png?width=1200)
あの時の苦い思い出
この前ふと学生時代の定期演奏会のDVDを観ました。
中学から6年間吹奏楽をやっていました(楽器はクラリネット)
観たのは高校3年の時、もう最後の演奏会のものです。
それをみていて、「あれ、自分だけ顔真っ赤すぎん?」と
思っちゃいました。
ステージが熱いというのもありますが、自分が真剣すぎて….
当時のことを思い出してしちゃったのです。
私が高校2年の終わりころ、自分のパートが人数少なくて他の溢れているところから人数調整の為に同級生と後輩が配属されました。
本当の理由はそれですが、伝えられ方が結構酷くて
「あなたたちステージにあがれないんだからこっちにきなさい」と
顧問の先生から言われなくなく来たような感じです。
(もう昔の話なんですが、今だったら訴えられますよね….)
彼女たちは、やりたくない楽器をやらされてすごく いやいや
していたように感じていましたが、私はリーダーとしてやらなきゃという
使命感だけで動いていました。
やらされている感でやっている子達に教えることって
結構精神的にくるもので
「なんでこんな思いを私がしないといけないんだろう」
「嫌だったらやめればいいじゃん」とそんなことを思ってました。
明日までにここやってきてねといっても、全然成長できてない
それを全体練習で指摘されるのは自分という悪循環。
こういう感情になってしまうのは、私にそんな経験がなかったから….
自分が初めて楽器をした時は、すごい興味に溢れていて
「これで音が出せるんだ!」「これ押したらこんな音が出せるんだ!」
という好奇心ではやくみんなみたいに上手くなりたいと練習していたので、自分とは違うような子に教えることにやりがいを感じれず、そのまま卒業となりました。
冒頭の演奏会での「自分だけ顔真っ赤」という状態は、
”自分だけ頑張ろうという1人相撲のような状態” だったように思います。相手とぶつかることや教えることから反れて、自分やできる後輩だけ頑張ればいいやというそれもそれでしんどかったけれど、教える大変さに比べたら楽な道。自分からも相手からも逃げて、頑張ることのはき違えをしてしまっていたように振り返ります。
時が経ち、社会人になりまた自分が教える立場となり、
”教える楽しさ”を経験しました。
社会人になれば、色んな人がいます。親になれといわれてこの仕事を選んだ人、人の役にたちたいと思ってと入ってきたひと。
学生の頃よりも背景が複雑で大変さというものは膨れ上がっていますが、それ以上に楽しさを感じれるようになりました。
それは色んな人との関わりの中で、色んな角度からのアプローチを学び俯瞰してものを見れるようになり教えるパイプラインを何種類ももてるようになったからだと思います。
DVDを観ながら、あの頃に戻りたいけど戻れないどうしようもない気持ちが涙として出てきてしまって当時のことを振り返りました。
ここで振り返ったのは、自分のダメだった経験ですがこういう経験がなかったら、立ち止まって振り返ることなんてなかったと思うし、いま辛い経験が回収されて繋がっているから、あの時のことは無駄ではなかったです。
良くないものばかりではなくて、色んな出会いもあったしいまだに会うのは部活の友達です。それくらい濃い3年間を過ごしたからこそ、大切な時間でした。