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中立というアイデンティティ


私は完全菜食でもないけど、肉食はしない。
私は異性も好きになるけど、同性も好き。
私はナチュラルに自然と共存したいけど、派手髪やおしゃれも諦めない。

中立って言うと聞こえは言いけど、中途半端ともとれる。
でも、私にとってのこのバランスって間って感覚じゃなくてひとつのアイデンティティだったりする。


肉を食べないとう選択

わかりやすくカテゴリー分けとして「ぺスカタリアン(魚介類は食べる菜食主義)」と言っているものの
そこへ辿り着くのにも《想い》がたくさん乗ってるの。

私は、肉食を悪だとは考えてない。
動物を人間の都合で犠牲にする当たり前に違和感を感じてるだけ。
どんな動物であれ、本来のその動物らしい日々を過ごしてほしいから
そんな日々を搾取したくない。という大前提。

ジビエや釣ってきたお魚を食べるのが悪いとは思ってない。
無闇矢鱈に乱獲してないのがそれこそ大前提だけど。
だから、飛び回って楽しそうにしてる鶏の卵は食べるんよ。

こんなに知能を持って生まれたならさ
誰かの立場になって考えようとか思いつく人間なんだからさ
苦しみを放っておきたくないじゃん
幸せを奪いたくないじゃん

せまーい檻の中で、横たわることすらも出来なくて
毎日同じものを食べて
自分の糞尿に塗れて
よくわからない注射されるわ薬飲まされるわで
幸せだと思う?楽しいと思う??
そんな環境で育ったお肉が自分を幸せにしてくれると思う???
食べて感じた幸せって本質的な幸せ????
幸せのかけ算できてる?????

ってな感じで3年ほど前に今までの盲点に気づいてしまったからには
肉食を辞めずにはいられずに
ただ、命の搾取をしないというヴィーガニズムとは違う哲学だなと感じているから
あくまでお肉を食べません。て話をします。

そして何よりも他人に強制はしません。
ただ、無知は罪です。現実を知ったうえで自分の力で判断してほしいなと思って私の価値観の話はします。

私のこの想いはぺスカタリアンだけじゃ
肉を食べないだけじゃ伝わらないから。

そんなアイデンティティを持ちながら、想いを伝える日常を過ごしてます。

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