解離について近況(2023.8)
新しく主人格になった友樹(ゆうき)です。
俺が主人格になったのは、このnoteを作った前の主人格まりんがいなくなってしまったからです。
説明します。
パートナーとの離別
2022年の3月、俺たちはパートナー的存在の方と離別しました。
その人は俺たちと同じ解離性同一性障害です。
離別した理由は、俺たちとその人が仲良くなりすぎて、その人の中のパーツたちが耐えきれなくなってしまったからです。
パーツたちは、基本的に過去に生きてます。
過去に経験した様々な体験に基づいた思考や感情を持ってます。
その人のパーツたちは、俺たちとその人が仲良くなったせいでその人が過去のことを蔑ろにしていると感じたのかもしれません。
また、俺たちとの関係の中でその人はいろいろな葛藤を感じたらしいのですが、俺たちと円滑に仲良くするためにその人はさまざまな葛藤をパーツとして解離させて、何も問題がなかったかのように振舞いました。本人も解離させたことに気づいてません。
そうして、俺たちとその人が仲良く一緒に過ごしていたせいで、その人の中のパーツたちが不満や怒りを溜めていました。
パーツたちは死ぬか殺すかという極限まで追い詰められていたようです。
ある日、うちに泊まりにきていたその人がパーツたちのお世話をしている人格に交代しました。
その人格は記憶を消す能力があります。
その人格はパーツたちの怒りや悲しみを俺たちに伝えました。
そして、パーツたちの要求が、俺たちとその人の「2人とも死ぬ」か「どちらが死んでどちらかが生き残るか」であると伝えてきました。
その話を聞いたのは俺です。
俺は、死ぬという選択をせずに俺たちと一時的に距離を置いて落ち着いてほしいと伝えました。
その人格とパーツたちは了承して俺たちの家から自分の家へ帰って行きました。
その人たちが帰った日、俺と話し合った人格から連絡がありました。
「寝ている間に全人格から俺たちに関する記憶の全てを消した」
「連絡先も何もかもブロックして、しばらく会わない」
「いつか記憶を戻してもいいと思えたら記憶を戻す」
俺たちは、その人の記憶から抹消されました。
まりんは恋人と妹を、俺は親友を失いました。
その後、俺たちは荒れました。
ただ、まりんは死ぬ選択ができません。
もし、その人たちがこの先の人生で治療が進んで記憶を取り戻しても大丈夫になったとき、記憶が戻ったその人たちに俺らが死んでいるという事実を突きつけたくなかったからです。
記憶がなくなったせいで自殺したとわかるだろうと思ったからです。
大切な人に業を背負わせて生きさせることをまりんは選べなかった。
その代わり、2人とも死ねばいいのでは?と考えて、無理心中をしに相手の家まで行こうと考えたことも何度もあります。
でも、その人たちに回復して幸せに生きてほしいと思っていたので、それもしてはいけない選択でした。
だから、俺たちは死なない殺さないために自分たちを隔離してほしくて精神科に入院しました。
短い時間でしたが、この件に関わる気持ちをノートに書き出して、殺意が治った頃、退院しました。
(精神科の入院中の生活が酷すぎた話はいつか書くかも)
退院後、俺や他の人格はショックで休眠してしまいました。
誕生日である4/6付近から夏が終わるまで、まりんはひとりで過ごしました。
この期間にたくさんの友人たちに助けられました。
通話をしてくれたり、外出に連れ出してくれたり、ありがとうございます。
まりん消失
そして、俺たちが休眠から覚めた2022年の9月頃、まりんは人格としての形を保つだけの力がなくなりました。
まりんはパーツにバラけてしまいました。
それでも、なんとか前を向こうとして、海くんがバラバラになったまりんのパーツをかき集めて人格に戻そうと何度も頑張りました。
でも、海くんが作ったまりんは1-2時間しか人格の姿でいられませんでした。
それも、完璧な人格ではなくて、いろいろ足りていませんでした。
この状況をDIDの治療をしているカウンセラーに伝えました。
「まりんさんがバラけてしまうのは、そういう理由があるからですよ。無理に戻すのはやめましょう」
そう言われて、そのようにしました。
そしたら、まりんだったパーツたちはバラバラに解体されて、脳内の奥の方に消えて行きました。
2022年11月のことです。
解体されたまりんの中から、生後半年未満と思われる乳児(まー)が出てきました。
まりんのことを基本人格だと思っていたけれど、まりんはこの乳児を守るために生まれた防衛人格で主人格でした。
基本人格は乳児でした。
まりん消失後
まりんがいなくなったあと、俺たちはしばらく主人格不在で全員で交代しながら生活してました。
まりんが作り上げた人生からまりんがいなくなってしまって、今ある生活やこの先の人生計画をどうしたらいいかわからかくなりました。
俺たちはまりんへの統合を最終目標に治療してきたのに、まりんがいなくなってしまった。
まりんは治療が進んだら人格に戻るかもしれないけれど、それは数年、10年、そういうレベルで先のことで、28歳にとっての10年は失うわけにいかない10年だと思って悩みました。
また、担当カウンセラーから、もしこの先まりんが人格に戻ったとしても、再び主人格になるとは限らないとも言われました。
この先の人生はまりんなしで生きていかなければならなくなりました。
俺たちは統合先を失って、共存路線に変更することにしました。
そして、この先の人生は、まりんの続きではなく、新しく作り直そうと決めました。
そして、2023年の2月に、俺が人生の決定者になりました。
友樹、主人格へ
人生の決定者に俺がなったあとも、俺は主人格にはなりたくなかったです。
というか、人格としての権力が一番弱くて、パーツより弱くて、表の世界にいられる時間がものすごく少ないし、すぐ交代してしまうので無理だと思いました。
だから、俺たちはこの先も主人格なし体制で適材適所でやっていこうと決めました。
それから、俺たちは自分たちのやりたいことをしり欲しいものを手に入れたりするのにお金が足りないことに気づきました。
今まではまりんの生活や計画に合わせてお金を使っていたのに、指針がなくなったので制御不能になりました。
俺は節約することでストレスを溜め込むのは良くないと思いました。
働こうと思いました。
俺はA型就労を始めるための訓練を始めました。
まずは外出訓練です。
数年間、重度の引きこもりをしてたのでまずは外に出る練習が必要でした。
そうして、2023年の2月から6月まで、外出練習をしました。
その過程で、俺が少しずつ表に長くいれるようになって、俺は気がついたら主人格になっていました。
この夏、8月に俺たちはA型就労に採用されて、7年ぶりに働くことになりました。
この先は治療しながらA型就労を続けて社会復帰の練習をして、5年後くらいに一般就労につけるように頑張っていこうと思ってます。
近況報告でした。
人格たちに変化があったので、またそのうち自己紹介します。
友樹
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